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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第十一話
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竜を断つ者・前編(一)

挿絵(By みてみん)


 厚い木でできた看板には歳月以上のものが降りつもっていた。

 しゃがみ込んだロクハは、片すみに立てかけられた古い字体をそっと撫でた。店だった場所はいまやがらんとして、亜麻色の壁がやけに広く見える。卓や椅子は一組を残して壁ぎわに寄せ、吊り下げていた飾り提灯もぜんぶ片づけてあった。

 もうここで客人の話に耳をかたむけることはない。どこにどんな草花を活けようかと楽しく悩むこともない。自分で決めたとはいえ、続けてきた日常がなくなってしまうとやはり寂しかった。名残といえば、つい身につけてしまう紅色の前掛けくらいだ。

 のれんを取り払った厨房からリリンが顔を出した。

「これでいいのかな。どっちがどっちだった?」

と両手に茶碗をかかげる。

「絵つきが冥狐(めいこ)さん、黒塗りの方は早矢(はや)に。それから玄さんにはあの土瓶でしょ、乙ちゃんには…… ああ、他にも色々つつんでおかなきゃ!」

「大荷物が四つか、夜逃げの斡旋(あっせん)みたいだな」

 弟は苦笑して引っこんだ。ロクハは、指を折りながらあれこれの品に思いをめぐらせた。

 最後の茶会は年の瀬に開いたところだった。

「兄者のが芋団子が多い! お碗とりかえてよっ」

「嫌だね、こいつは俺が食う」

 早矢と乙矢(おとや)は騒がしく、となりの冥狐はロクハとのおしゃべりに忙しい。

「近ごろ眠ると足先が冷えてしまって。いよいよ年ですかしら」

「あら、この寒さだもの。生姜紅茶がいいよ、合わせておいたのがあるから持っていって!」

 そこに横やりを入れるのは大酒飲みの大亀・玄だ。

「そんなもん酒飲みゃ一発だぜ。あったかいどころか熱くならあ」

「お前がいつまでたっても冬眠しないのはそのせいか……」

と、リリンがため息をつく。

 誰もがまったくいつも通り。なじみの顔が手土産を持ち寄ってのにぎやかな席は、少しだけ長引いてから、笑顔で終えることができた。

「今日はお店とのお別れをしたまで。またすぐお邪魔しますからね、姉さま」

 夕暮れの店の前。一段と冷え込みはじめた空気の中で、冥狐はロクハを強く抱きしめた。

「うん、たくさん遊びにきて! 待ってるよ」

 (あるじ)としての役目を終えた少女は無邪気な笑顔で答える。その後ろでは鳥兄妹がリリンを追いかけ回していた。

「なんで逃げるの? あたしらもぎゅってしよう!」

「素直になっちまえよ」

 少年は引きつった顔で逃げ続ける。

「気持ちだけで、いや気持ちもいらない! さっさと帰れっ」

 なにやってんだか、と呆れ笑う玄だったが、ひとつ気にかかることがあった。みんな気づきながら口にしていないであろうことが。

 東青(とうぜい)がいない。

 彼ら(あやかし)と同じくらい…… もしかするとより強く別れを惜しむかもしれない人間を、茶屋の姉弟は呼ばなかったのだ。

 玄はやるせない思いでロクハを見た。そして、

「よかったのか、これで」

と呟く。わずかな夕焼けに頬を染めた少女が、彼の視線に穏やかな笑みを返した。


 茶藝館と自分の周りでは時の流れが等しくないことを、東青はとっくに理解していた。

 あの店にたどり着いてから十年近く。年月をおいて会うたび、彼だけが変わっていった。

取り残されるような感覚と、変わらぬ相手に安堵する心。あの場所に足を運ぶといつも不思議な感情で満たされたものだ。

 牙骨丘(がこつきゅう)山麓での秋祭りの日、東青はロクハの運命を初めて聞かされていた。彼女は、やがて来る竜のものだとリリンが語ったのだ。

 いくら思いを寄せても叶うことはない。

 事実を突きつけられ茫然自失に陥ってしまっていたが、しばらくすると、彼の働く町にリリンが現れた。

「わ、悪い知らせかと……!」

と、早とちりで肝を冷やした東青に少年は冷静に告げた。

「その日が来たならこんな悠長にしていられるか。第一、僕がどうなるかも分からないんだからな」

 畑のそばの詰め所で不器用にお茶をすすめ、東青は戸惑った顔を上げた。

「君は…… 残るのだと思っていたよ」

「さだめは姉さんだけに課せられた。僕はいわば余分な部品だから、消えるか残るか、それとも別か…… まあ、そんなことはどうだっていい」

 お茶に口をつけて「なんだこれは」と顔をしかめたリリンは、居ずまいを正して本題に入った。東青が調べていた“留爪丘(るそうきゅう)”の古名らしきものを聞いた、と切り出す。

「ドラクペルティカ。牙骨丘(ドラクグリーフ)と似てるだろう。役立つかわからないけれど、(ばく)先生によろしく伝えてくれ」

「勿論だよ、ありがとう! やっぱりこの二つは関連しているんだ。先生も喜ぶ……」

 思いがけない情報に沸き立った東青の表情が、急に消えた。向かいに座る少年が訝しげに彼をうかがう。

「どうした、頭に土でもつまったか」

「……君たちに話していなかったことがある。留爪丘は、消えてしまった可能性があるんだ」

 南岳で見つかった新たな遺跡、その塚に祀られていた竜の手の像。漠先生は、かつてあった留爪丘という山が竜にまつわる理由で失われたと考えていた。

「もしも、留爪丘と牙骨丘が同じ役割を持っていたとしたら……」

 牙骨丘もそこにいるものも、竜の来訪とともに消失するのではないだろうか。東青は答えを求めて少年を見た。

 しかし彼は、「なるほどね」と呟いただけだった。

「なにかの手がかりにならないか」

 すがりつくように尋ねた青年を置いて、リリンは顔を背けながら席を立つ。

「山が消えたらどうだと言うんだ。どっちにしろ姉さんは助けられない」

 その言葉は、平板なようでいて悲しみを隠せずにいた。小屋を出て行く彼を東青が慌てて追いかける。

「リリン君!」

 必死に呼び止めると、彼は道の途中でふり向いた。白っぽい冬の空の下に延々と広がる畑。寂しげな光景のただなかで問いかける。

「君はずっと苦しかっただろう。一番長く、近くにいて、ロクハさんを救おうとして」

 リリンは無言で彼を見返した。なにか珍しいものでも覗いた、という顔をして。

「……まあね」

 そうして背を向けて歩き出した。

「私はあがいてみるよ、その瞬間まで! なんとかして道を見つける。だから君も……」

 東青が大きく呼びかけると、リリンは「勝手にしろ!」と言い残して去っていった。

 つまり、頑張れということかな。

 ひとりで納得した東青はさっそく考え始めた。流れの異なる時間は、自分に与えられた最後の機会になるかもしれない。

 まずは漠先生に会うのだ。今まで言えなかった不思議な姉弟との縁と、彼らの宿命についてすべて話す。先生の力を借りたならきっと進むべき方向が見えてくるはずだ。

 希望があるかぎり、私はどこへだって行ってみせよう。

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