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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第十話
58/74

薄氷の彼方へ(三)

 (まき)を集めていた什族の女は、音もなく白刃を突きつけられて枝を取り落とした。

 叫び声を上げなかったのは賢明なことだ。女を羽交い絞めにしたキアラは、その耳もとでささやいた。

「什の者を捜している。セブという男で、年は四十あたり。わかるか」

 大人の前腕ほどもある半月刀をちらつかせると、女は必死にうなずいた。

「ま、まだずっと北の方に……」

「どの集落?」

と、身体を押さえる手に力を込める。

「ら、落にはいない。林の外れの岩場に、ひとりで」

 キアラは眉をひそめた。この平原で共同体を離れる者といえば、世を捨てた隠者か呪術師くらいだ。もし後者であればみずからの死になにか仕組んでいる可能性もあり、殺してしまうと面倒なことになる。

 セブという男にまじないの心得があるとは聞いていなかったが、母を殺したあとで報復を恐れ呪術を学んだのかもしれない。そう思うと新たな怒りが湧いてきた。

 籠もほうって逃げていく女を見送り、キアラは愛馬に飛び乗った。

「ユトゥ、北へ!」

 向かい風は荒く、激しい。薄氷の大地に嵐の気配がただよっていた。

 母のことはほとんど覚えていない。

 急な別れが訪れたとき、キアラは二才と少し。なんとなく思い浮かぶ優しげな面影は、後に聞いた話からつなぎ合わせた偶像なのだろう。

 それでも彼女は亡き母を慕い続けていた。誰かに呼ばれるといつも母を思う。

 キアラ、“駆ける者”。大好きな自分の名前。

 いつも控えめだったという母が、

「私の初めて産んだ子です。どうしてもこの名を」

と懇願した末につけられた大事な贈り物だ。先に二人の妻と五人の子を持っていた父は、まあ一度くらいはと気まぐれに許したそうだ。

 母を失ってから、キアラは親の愛情を父に求めてきた。寂しさを抱えた日々、幼い彼女は水面(みなも)に映る顔を眺めては祈ったものだ。もっと父や母に似るように、少しでもかわいいと思ってもらえるように。

 願いはことごとくはねつけられた。彼女は両親の面影の薄い、どこか内省的な凛々しい娘に育ち、父の鋼のような態度はキアラが十七になった今まで揺らぐことがなかった。

 しかし、この旅が終わればすべて変わる……

 いや、元に戻るのだ。仇討ちが成就したと知らせれば、父さんはきっと元気になる。そして私たちはもういちど親子になれる。

 物思いにふけっていたキアラは、急に風がぬるくなったことに気づいて顔を上げた。

 あたりの様子が一変している。

 平らかだった地表は起伏に富み、見たこともない高い木々に囲まれている。雪をかぶりながらも葉を残すものまであり、彼女は戸惑って馬を下りた。

「ここは……?」

 空気まで違っている。慣れ親しんだ冴えるような寒さはどこかへ行ってしまっていた。

 すると、愛馬が勝手に歩き出した。忠実なはずのユトゥは、主が手綱を引いても力強く首をふるいどんどん進んでいく。

「ユトゥどうした、どこへ行く!」

 すっかり動転した彼女は、引きずられるようにして白い山道を登っていった。


「ようこそ、おいでませ」

 笑顔で扉を開けたロクハは、客人を見上げて目をしばたかせた。

 すらりと背の高い娘。漆黒の髪をひとつに編み、片側に垂らしている。まっすぐな濃い眉は意志の強さを表しているが、その下の大きな瞳に警戒と困惑の色を浮かべていた。

 そして、その服装。

 毛織の外套(がいとう)に袖はなく、大きくかぶさる頭巾が一体となっているようだ。細くした革を編んだ、(よろい)に似た上衣。膝の上まで届く長い靴。どれもこの国では見たことがなかった。

 ……()つ国のお客人!?

 茶屋の(あるじ)の驚きが伝わったのか、異国の客がなにごとか口走った。その音はロクハの耳を風のようにすり抜けていく。

 一度たじろいだロクハだが、気を取り直した。言葉は違えど同じ人間ではないか。手ぶりで店の中を示して微笑みかける。

「どうぞお入りください。リリン、お馬を中庭へお願い!」

 キアラの方はというと、呆然と立ち尽くすのみ。

 妙な建物に辿りついたと思ったらユトゥが大きくいななき、誘われるようにして女の子が出てきた。亜族でも什族でも、どこの部族でもない変わった格好だ。ちょこちょこしていて柔らかそうで、うさぎの仔みたいだと彼女は思った。

「ここは、どこ?」

 つい尋ねたが、どうやら意味が通らないらしい。女の子の後ろから自分と年の近そうな少年が現れ、なにか喋りつつユトゥを指した。

「僕が、馬を、つなぐ…… ああもう、しち面倒くさいな。ついてこい」

と、外に出て手招きをする。

 ユトゥが、私とこの子たちを会わせたがったのだろうか。亜族の常として用心深いキアラだが、この場に限っては従わなければいけない気がした。

 少年の後を行くと囲いの中に草木を集めた場所があり、そこでユトゥを待たせろということらしい。見たところ危険はない。キアラは心を決めて手綱を離した。

 あらためて通された室内は暖かい…… というより、暑い。急いで毛皮の襟巻きを外し、マントを脱いで椅子の下に丸める。腰に下げた半月刀を目にした少年が、ハッと緊張したのがわかった。

「無闇にふるうものじゃない。安心して」

 せめて敵意のないことが伝われば、と彼女は片手を挙げて声をかけた。

 広い部屋を見回していると女の子がやってきて、キアラの前に小さな杯を置く。そして身ぶりを交えて一生懸命に話し始めた。

 が、いかんせん言語が異なる。喋る方も聞く方もしばらくがんばったが、結局たがいの名前を教えあうので精一杯だった。

 奥から少年の声がして、ロクハというらしい子はそちらへ消えてしまった。キアラはなんだか申し訳ない気持ちで杯に口をつける。

 ほのかな果実の風味と香辛料の香り。今まで味わったことのない美味な甘露水は、歓迎の気持ちをはっきり表している。旅の間じゅう張りつめていた心が、少しずつゆるみ始めた。

「キアラさんと、お馬はユトゥ。ここまではわかったよ」

「さて、どうしようか。仇のことなんて聞き出せないだろうな…… あの得物じゃあ、ずいぶん張り切っていそうだ」

 厨房にひっこんだ姉弟はかまどの前で声をひそめた。リリンは心配を隠してロクハを見つめる。

 彼女に備わっていた勘がほとんど残っていないことは、冬の初めに告げられていた。

「なにも感じ取れないときのが、多くなっちゃった」

 そう打ち明けた姉は、小さないたずらを見つかったかのような顔をしていた。リリンは「うん」とだけ答え、ロクハもうなずく。

「お店、そろそろ閉めないといけないかな」

 それはここふた月あまりで話し合ってきたことだった。これまでのようなもてなしができなくなれば、客を迎えるのをやめようと。

「姉さんが決めて。僕はいつだっていいよ」

「うん。あと少し、と思う……」

 覚悟はしても思った以上に衰えが早かったのだろう、ロクハは寂しげな面持ちだった。

 あの異人が最後の客か。

 リリンはのれんを押し上げ、そっと様子をうかがった。きりりとした印象の娘は、物珍しげに天井の(はり)を見上げている。顔を動かすたびに石輪の耳飾りが鈍く光った。少し和らいだ今の表情だけを見れば、仇を追っているとは思えない。

 が、ここで止めない限りは向かっていくのだろう。

 リリンは姉へとふり返る。終わりに難題を持ってこられてしまったが、湿っぽくなるよりは頭を悩ます方がいい。

「さあ湯が沸くぞ。主どの、茶葉の選定やいかに」

「も、もうちょっと待って!」

 ロクハは、小さな顔に両手をあてて必死に考えている。ふいに目の潤むのを感じ、リリンは慌てて鉄瓶(てつびん)へと向き直った。

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