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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第十話
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薄氷の彼方へ(二)

「ええっと、誰か、馬の言葉はわかったかしら」

 とりあえず、と手綱をとったロクハが困り顔で尋ねる。

「どうだろう。早矢(はや)乙矢(おとや)に聞いてみるか……」

と首をひねったリリンだったが、いつの間にか姉が雪景色の一点を凝視していることに気づき、あとを追うようにそちらを見た。

 初めは見落とした。しかしよくよく見ると、馬の鼻先のずっと向こう、道のない木々の間に一人の子どもがたたずんでいるではないか。異相の者だ。白い髪と乳白色に輝く一本の角……

 例のやつだ!

 彼はとっさに前へ出て姉をかばった。敵ではないと聞いていてもその異様な気配にあって穏やかではいられない。

 ロクハは、リリンの肩にそっと手を置いた。

「……大丈夫。持っていて」

と手綱を渡し、舞い散る雪の下へ進み出る。弟と馬が見守る中、彼女は一角の子の前で頭を下げた。

「先日は、お力添えをいただきました」

 奇怪な役者と対決した際、危ないところを助けてもらったのだ。返事はなく、氷に似た瞳が彼女を見つめている。寒さとは別のもので凍えそうになるが、初めて会ったときの押し潰されそうな恐怖までは感じなかった。

 ロクハは緊張しながらも少しだけ笑みを投げかけ、引き返そうとした。

()(こと)を継がん」

「えっ?」

 急な言葉にふり返ったが、子どもの姿は消えている。

 かと思えば、その子は馬の目の前へと出現していた。あまりに突然のことに、リリンは顔を引きつらせ扉にへばりついた。

 すっ、と一角が左手を挙げる。姉弟が息を詰めていると、灰色の馬はおとなしく首を垂れ小さな手のひらに顔を当てた。ロクハには、その手を取り巻くうっすらとした輝きが見えた。

駿蹄(しゅんてい)後裔(こうえい)、申す」

と、なかば閉じた冷たい目が光る。

「われらが祖の地、ドラクペルティカの(もり)。わが(しゅ)の仇に対すを阻まれたまえ。守の深き言の葉をもちて、いかでか無血の道へ正さんことを乞う……」

 手を外したと思った瞬間、一角の子は消え去っていた。そこに立っていた跡すら残さずに。

 リリンが呆然として呟く。

「あれがこの前の……?」

「ええ、あの方。また助けてくれたんだわ」

 まばたきをしつつ固まっている弟を、ロクハは「しっかりしっかり」とぽんぽん叩いてやった。そうしていると自身の緊張もほぐれてくる。彼女は馬に向かって微笑んだ。

「ともあれ、事情はわかりました! ご主人の仇討ちを止めてほしいのね」

「これはまた血の気の多い話だな。あんまり危ないやつは立ち入り禁止だぞ、いいな」

 リリンがこわごわと馬の顔をのぞき込む。

「それでは、ご主人をお連れしてください。お話をうかがいたく思います」

 そうロクハが語りかけると、伝わったのだろうか、馬はゆっくりと身体を返して歩き始めた。その姿が見えなくなったころ、姉弟はそろって大きな息をついた。


 野営の仕度を終えたキアラは、違和感を覚えて立ち上がった。

 ユトゥがいない。

 氷原を抜けた岩場の陰。すぐそばに控えていたはずの愛馬を探しながら、彼女は瞬時に感覚を研ぎ澄ます。什族に嗅ぎつけられたのだろうか?

 だが、人はおろか獣の気配すらしない。闇に沈み出した林の間で戸惑いながら頭をめぐらせる。

 すると林の奥に、灰色の大きな影が浮かんでくるのを見とめた。ほっとした彼女は軽やかに歩み寄る。

「どうしたかと思った。もうお腹が空いたの?」

 小さく声をかけ、温かな首に腕を回す。張りつめた皮膚の下のたしかな脈動。何百、何千回と撫でてきた感触は、いつでもキアラを安心させてくれる。

「道は長い。休まないと」

 ふたたび辺りを警戒しつつ、主と馬は岩場に戻っていった。

 雪の夜となった牙骨丘では、明かりの残る茶藝館で姉弟が話し込んでいる。

「よさそうな馬だったけれど、飼い主はどこの誰だろう。本当に来るのかな」

 古書をめくったリリンが尋ねる。馬が去ってから客人を迎える準備をしてはいたが、どうも半信半疑のようだ。

「そう思いたいなあ、せっかく(ゆき)ちゃんに手伝ってもらったし」

 縫いものをしつつ答えたロクハに、弟は「雪ちゃん?」と顔を上げた。

「うん、あの一角の子。雪みたいな色合いだから、お名前がわかるまでそう呼ぼうかと……」

「そんなに可愛らしく呼ばれるような存在かな、あれは。まあ姉さんらしくていいけれど」

と笑ったリリンだったが、目にした光景を思い返して首をかしげた。

「そういえば、ひとつ妙なことを言っていたな。ここの古名ならドラクグリーフなのに」

 あの馬は、彼らを“ドラクペルティカの守”と呼んだ。

「ひょっとして、頼みに来る先を間違えたとか。馬語の通じるドラクペルティカって場所があるのかもしれないぞ」

 冗談まじりに言うと、ロクハが身を乗り出してくる。彼女の顔は真剣だ。

「私も気になっていたの。古名が残る土地って、他にもあったかしら」

「ううん、西の海の群島くらいだね。でもあんな名前は聞いたことがないし……」

 リリンは知識を引っぱり出そうとして宙を見上げた。少し寄り目になったまま考え込む弟に、ロクハが語りかける。

「われらが祖の地、とも言ってたよね。ユトゥの先祖はドラクペルティカから来たっていうことかな」

「馬の産出地とすると、せいぜい中央か南か…… ん、南?」

 彼は、はたと本を閉じた。ロクハも(つくろ)いかけの上衣を膝に落とす。顔を見合わせた二人は同時に口にした。

留爪丘(るそうきゅう)!」

 それは、先月に行われた山麓の祭りの日のことだった。

“留爪丘という地名に心当たりはないか”

 店にやってきた東青(とうぜい)が彼らに尋ねた、南方で新たに見つかった謎の名前。そして彼の恩師は、それが牙骨丘に関連すると考えているという……

 ドラクグリーフは、牙骨丘。

 ドラクペルティカは、留爪丘?

 わっと立ち上がったロクハは、弟の肩を思いきり揺さぶった。

「リ、リリンちゃん! 教えてあげて、東青様に教えてあげてっ!」

「そっそんな、素人の当てずっぽうをわざわざ……」

「なにか役に立つかも。ほら、(ばく)先生の力にもなれるよ。前にお世話になったお返しができるじゃない!」

 彼女の目は輝き、頬は紅潮している。あの老先生もこんなふうに熱意にあふれていたな、とリリンは懐かしく思った。

 しかし。

 東青とはどうにも顔を合わせづらいのだ。先の祭りのとき、リリンは彼に重大なことを告げていた。

 姉さんは誰のものにもならない。竜が奪いに来る。

 少女の宿命を急に知らされた東青は、深く傷つき、混乱していた。かつての自分を見るようで苛立ったリリンはつい突き放した態度をとってしまい、そのまま和解することなく終わっていた。

 つまり、気まずい。それを知らないロクハは、

「ねえお願い、一生のおねがい!」

とますます揺さぶりをかけてくる。姉の“一生のお願い”は半年に一度くらい聞かされているが、今期はここで来たかと彼はうなだれた。

「わかった、わかったよ。馬の件が片づいたら伝えに行くから」

 ロクハの顔がぱっと明るくなる。

「ありがとうっ。リリンちゃん大好き!」

 椅子の背ごと抱きしめられながら、少年は「あんなやつ、土だるまになってしまえ」と小さく毒づいた。

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