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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第九話
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御山祭より(六)

「王子!」

 山道の脇から走り出てきた律曹を、じいやは驚きながらもしっかり受けとめた。後ろについていた従者たちも、おお、と安堵の声を上げる。枯れ枝のような腕で痛いほど抱きしめられ、律曹は目を閉じた。

「じい、ごめんね。山に行ったんだ」

「本当にあなたという方は! この老いぼれの寿命を縮めないで下さ…… おや、なにをお持ちで?」

 老人は、王子が握りしめていた巾着のような包みを不思議そうに見やった。素朴な緑色の布に見覚えはない。やわらかい結び目から伸びた耳に、葉っぱのような刺繍(ししゅう)がぽつりとのぞいていた。

「山に茶房があって、女の子がいた。金柑をくれたよ」

 はて、とじいやは首をかしげる。聞いた話では、山中に人家などないはずだ。しかし「お茶と羊羹もいただいた、おいしかった」と話す王子の表情は真に迫っている。

 じいやは、ひとつうなずいてこう言った。

「それは、神様かもしれませんなあ。山の神は女人(にょにん)と決まっていますから。王子、お行儀よくなさいましたか?」

「う、うん……」

 最初はよくなかった、と律曹は後ろめたく考えた。それにしたって、あの子は神様じゃないと思うけどなあ。

「さて、いったん宿に戻りましょう。仕度を急がねば」

 老人がいそいそと王子の手をとった。彼はおそるおそる尋ねる。

「お祭り、始められる?」

「勿論ですとも。しかし、お待たせしたみなさんと、お父上に謝ってからですよ」

 あれっ、と律曹が思ったことに、じいやはそれほど怒っていない。どうやら抜け出したときからあまり時間が経っていないようだ。

 あんなに長いあいだロクハといたのに。手を引かれながら、彼は納得いかない面持ちで山を見上げていた。

 少し遅れをとったものの、御山祭は例年どおり(おごそ)かに始まった。

 腹をくくった沢巳坊と二人の修行僧は、山への感謝という本来の目的だけに集中し、小さな堂で一心に祝詞をあげる。町の者も粛々と頭をたれていた。

 重たい冠を頂いた律曹は、寺の庭に用意された台に父と並び座し僧たちの後ろ姿を見つめていた。

 お坊さん、僕の気持ちも一緒に届けて。ロクハが神様でもそうじゃなくても、ありがとうってたくさん伝えて……

 祈りを終えた僧が家々を回り、寺へ戻り、祭りは静かに終わった。

 外から集まっていた人々は「なんだ、こんなものか」と拍子抜けの顔をしていたが、ふいに侖親王が領主と沢巳坊のもとへ進み出た。

「牙骨丘は、古き名を持つと聞いた。申すがよい」

 この東の果ての山に、それほどのご興味を持たれたとは。領主は驚きながらも誠実に答えた。

「はい。国が(おこ)ったころより伝わる、ドラクグリーフという名でございます」

 ドラクグリーフ、と親王が呟き、背後の山をふり返る。何者に見つめられようが、竜は知らん顔で眠り続けている。

「まこと、奇妙な名よ。真名字(まなじ)はなんと書く」

「ございません。文字の生まれる前からの名で、音のみがあるのです」

 親王は「音の名か……」と短く言って、納得したようにうなずいた。

「大儀であった。よき神事に、よき山を見た」

 領主たちは低く低く頭を下げ、町の民もそれにならう。堂々と歩いていく父の背中を見ながら、律曹は決めた。

 ちょっと怖いけど、後でちゃんと聞いてみよう。父上はどうしてここに来たいと思ったのか……

 じいやと並んで歩き出した彼の頭上を、二羽の鳥が鮮やかに飛んでいった。


「ああ、背中が痛えや。山道で人を乗せるなんて何年ぶりだか」

 卓を囲みながら玄はしきりに肩を回していた。茶碗を配ったリリンが、

「僕の小さかったころが最後じゃないか。また乗ってやってもいいぞ」

と含み笑いをする。そんなら俺も、あたしもと鳥兄妹が手を挙げ、玄が「やめろ!」と怖い顔を作る。みんなの笑い声が一斉にはじけた。

 嬉しそうに言葉を交わすロクハと東青が目に入り、リリンはやれやれと息をつく。あの土まみれ、呼ばなかったら勝手に来たので驚いたが、まあ良しとしよう。何度も辿りつけるということはそれなりの縁があるものだ。

 そう思いながら厨房で羊羹を切り分けていると、

「運ぼうか」

と当の東青が顔を出した。

「お前は客だ、座っていろ」

 呆れ顔で返されても、相変わらずのお人よしは「これくらいは手伝いたい」と盆に小皿を載せ始めた。

「じゃあ覚えろ。右端が乙矢、一番薄いのが玄、中くらいの厚みが姉さんで、残りのうち重い方が……」

「ま、待った、もう一度頼む!」

 慌てた東青に「冗談だ」と言い、少年はふと向き直る。のん気なやつだが、このままなにも知らないではさすがに哀れだろうか。視線に気づいた相手は顔を上げた。

「なんだい?」

 微笑んだ顔を見て、リリンは迷った。しかし東青とロクハのためには伝えておくべきだろう。彼は決心して告げた。

「姉さんは誰のものにもならない。姉さん自身のものにも」

 二人の間が急に凍りついたようだった。笑顔は消え目の色を変えた東青は、震える口をやっと開いた。

「それは、一体……」

「竜を待っている。姉さんを迎えに…… 奪いに来る」

「と、止められないか。守れないのか!?」

 蒼白になった彼の顔を、リリンは冷ややかに見返した。

「変えられる運命ならとっくに変えているさ。僕のすべてをかけて」

 挑みかかるような視線に圧され、東青は厨房を出ていく。ひとり残ったリリンは、小窓の向こうの色あせ始めた空を見上げていた。

「東青様、みんなも知らないようなんです、“留爪丘”」

 困り顔で、しかし楽しげに少女が彼を迎える。

「だいたい遺跡ってのがデタラメかもしれねえやな」

「兄者みたいな暇人が作ったのかもねえ」

「あっ早矢、賭け! お前の負けだぞ、お褒めの言葉まで(たまわ)ったんだから倍にしてもらうぜい」

「あのねえあなた方、神事の日くらい慎ましくなさいよ! いい年してまったく……」

 にぎやかな卓がひどく遠く思えた。凍える心を隠した東青は、小さなぬくもりを目指して足を踏み出した。


                         (第九話 了)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

第十話は氷原に馬が駆けます。

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