御山祭より(四)
「始まらねえな、俺の駆け足より遅え。坊さんたち何やってんだか」
山道から人だかりを見下ろした玄が首をひねった。傍らではリリンと乙矢が切り株に腰を下ろしている。それぞれ不安げな、不思議そうな顔をしていた。
すると、乙矢がサッと立って手を挙げた。
「冥狐ぉ! 下でなんかあったの?」
急ぎ足で坂をきた冥狐は、しいっと人さし指を唇にあて、
「待ったがかかりましてよ。王子様が消えたとか」
とささやいた。三人が目を丸くする。
「どうやら宿を抜け出してしまって、こっそり捜しているけど見当たらないそうですわ。早矢は空から見てみるって」
「そんならあたしも!」
鳥に変わった乙矢が大きく羽ばたき、
「王子って男の子だっけ? 光ってたりするとわかりやすいんだけど……」
と弾丸のように飛んでいく。玄は太い眉を寄せ、頭巾でおおった坊主頭を撫でた。
「えらいことになっちまったな。俺らも捜しにいくか」
しかし、歩き出しかけた彼をリリンがついと止めた。その目は山の奥に注がれている。玄と冥狐の視線に気づいた少年は、ひとつうなずいてみせた。
「子どもの足じゃそう遠くに行けないはずだ。なのに見つからないとなると…… 怪しいな」
三人が顔を向けたずっと先に、茶藝館がある。
主が細やかな手つきで茶を淹れるのを、律曹は真剣な顔で見ていた。
初めに感じた横暴さは時がすぎるにつれてなりを潜めていく。満たされた茶杯をすすめられると、丸みのある目で彼女を見上げた。
「ロクハ、お前もおあがり。お茶の時間にしよう」
少し甘えた口調は、広い店内にとり残されるのを嫌がっているようだった。
「それでは、お相伴にあずかります」
と彼女が対面に座すと、律曹は安心も露にはにかんだ。頬にできたえくぼがいかにも子どもらしく、愛らしい。
温かなお茶と金柑で風味をつけた白羊羹をせっせと口に運ぶあいだ、彼はほとんど喋らなかった。そして菓子を食べきってしまうと、空いた小皿を寂しそうに見つめた。
「お代わり、されますか」
思わず微笑んだロクハが、そっと尋ねる。律曹はやわらかな眉間にしわを作って悩んでいたが、決心して首を横に振った。
「午前のお茶では、甘味はひとつだけ。じいやって、そういうところは特にうるさいんだ」
「決めごとを守られてご立派です。お付きの方も喜びましょう」
そう言ってお茶を注いでやると、うん、と律曹が答える。
「じいはね、なんにでもうるさいけど、本当は優しいんだよ。すっごく年寄りで、僕が生まれた時からおじいさんで、頭が真っ白なの。手をつなぐとかさかさして、冬の枝みたい。遠出のときはいつも一緒なんだ」
「まあ、そうなのですか! お年を召してもお元気で、よろしいですねえ」
と笑った少女に、律曹は大人ぶって肩をすくめてみせた。
「そうでもないよ、腰が痛いとか膝が割れそうだとかよく泣き真似するの。鬼ごっこはもうやってくれないし……」
長生きできるかなあ、と小声で呟く。幼い顔に似つかわしくない孤独の影を、主の瞳が静かにとらえた。
「大切な方なのですね」
「そう。でもしょっちゅう怒らせちゃう。怒ってるとちょっと安心するんだよ。じい、まだまだ元気だなって」
枝のような老人をふり回す王子の姿は容易に想像できた。ロクハが見守っていると、律曹が呟く。
「一緒にいてくれるのは、じいだけなんだ」
「あら、他にお付きの方は?」
「いるけど、いない。たまに考えるんだよ、長い夜なんかに。じいが死んじゃったらどうしよう……」
急に言葉を切った彼は、勢いよく顔を上げた。
「ねえロクハ、お前はここでひとりぼっちなの?」
差し迫った表情の王子は、さっきまでの様子が嘘のように、とても頼りなげに見えた。
同じころ、町の入り口に戻ってきた早矢は人ごみの中に思わぬ顔を見つけた。
「おやあ、青の字じゃないか」
と、東青のそばの立ち木にとまる。大きな山鳥の登場に驚いた彼だが、すぐに「早矢さん! 奇遇ですね」と笑顔を見せた。
「さては祭りで来たか。それが、ちっと大変なんだやな」
早矢が頭を回したとき、「兄者ぁっ」と空を裂いて第二の鳥が下りてきた。旅装の東青に気づいた乙矢は首をかしげる。
「あれえ、これが王子? だいぶ育ってんのね」
「落ちつけ鳥頭、こりゃあ青の字だ。前に話した土の申し子だよ。あのね青の字、こいつは俺の妹、見りゃわかるな。それで、ええ、なんだっけか」
そうそう、と引き取ったのは乙矢の方だ。
「リリンがね、王子は店なんじゃないかって言うのさ。で、冥狐と確かめに行った、玄さん置いて。あたしら、青の字さんも、どうする?」
「どうする?」
二羽の鳥にきょろっと迫られ、東青はわけの分からぬうちに答えていた。
「お、お店に行きます!」
だよなあ、と早矢が意味深にうなずくのを、乙矢はいぶかしんで見つめていた。
「ひとりではありませんわ。店は弟と開いておりますし、お客人やお友だちも……」
ロクハがそう言いかけると、律曹は首を振った。
「ううん、人だったらお城にもたくさんいる。でも、どれだけいても僕しかいないんだ。こんなふうに触れるくらい近いのに、触れてもね……」
もどかしげな彼に、ロクハはそっと助け舟を出す。
「心が通わない、と」
主の言葉は、穏やかゆえに彼の目に涙を溜めさせた。
「いつも。父上も母上も、兄上も。じいやだけだ、じいがいなくなっちゃったら、誰も僕を見ない。どうしてなの、ロクハにもそんな時がある?」
悲痛な問いかけに、彼女は卓上で彼の手をとった。
「ずっと以前に。お店を始める前、よくそういう気持ちになりました」
ロクハはどこか遠くを見ている。光のさした瞳は不思議な色をしていた。
「今は、ないんだね」
律曹は少しがっかりして呟く。この女の子と自分とが、同じだったらいいなと思っていたから。
「いろいろな方と出会って、弟ともよく話をして。それから庭づくりも始めて…… 時間はかかりましたけれど、もう囚われておりませんわ」
本当に長い時間だった、と彼女はひとり考える。
しかし調子のいいことに、孤独に苦しんだ日々すら記憶の一つにすぎず、楽しい思い出たちに埋もれてしまっている。たまに顔をのぞかせても、それをしげしげと眺めるだけの強さをロクハは得ていた。
「……僕にもできると思う?」
すがるように見つめてくる幼い少年に、主はまっすぐで温かいまなざしを注いだ。
「はい」
ゆるやかな雲の流れが影を投げかけ、去っていく。やがて律曹は、照れたそぶりで彼女の手を振りほどいた。
「お庭、案内してよ」
晩秋の庭はやや切ない趣だ。「せまい!」と笑って元気に駆け出した王子の後ろを少女がついて歩く。
「ロクハ、この花はなあに。こっちは?」
「足もとは篝火花、かわいい色でしょう。この金柑はさきほどの羊羹に使ったものですよ。実をお持ちになりますか?」
「うんっ」
あれこれ楽しげに見回っていた律曹だが、金柑の包みを受けとると急に大人しくなった。はるかに連なる稜線を眺め、ただ立ち尽くしている。
そして、ふいに言った。
「お城においで。お茶の係にしてあげる」
そっぽを向いた表情は見えない。となりに立ったロクハは、律曹の手を優しく握った。
「ありがとうございます、王子。けれど、私はここで生きてゆくのです」
冬の冷たさをはらんだ風が、山肌をさあっと駆け下りてくる。並んだふたりには、重ねた手のぬくもりがきわだって感じられた。
「……知ってたもん」
と律曹が金柑をふり回し、少女の手をぎゅっと握り返した。つないだ手をそのままに、どちらともなく木戸へと歩き出す。
そのとき、
「あっ、やっぱり!」
という少年の声が二人を止めた。




