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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第九話
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御山祭より(四)

「始まらねえな、俺の駆け足より遅え。坊さんたち何やってんだか」

 山道から人だかりを見下ろした玄が首をひねった。傍らではリリンと乙矢が切り株に腰を下ろしている。それぞれ不安げな、不思議そうな顔をしていた。

 すると、乙矢がサッと立って手を挙げた。

「冥狐ぉ! 下でなんかあったの?」

 急ぎ足で坂をきた冥狐は、しいっと人さし指を唇にあて、

「待ったがかかりましてよ。王子様が消えたとか」

とささやいた。三人が目を丸くする。

「どうやら宿を抜け出してしまって、こっそり捜しているけど見当たらないそうですわ。早矢は空から見てみるって」

「そんならあたしも!」

 鳥に変わった乙矢が大きく羽ばたき、

「王子って男の子だっけ? 光ってたりするとわかりやすいんだけど……」

と弾丸のように飛んでいく。玄は太い眉を寄せ、頭巾でおおった坊主頭を撫でた。

「えらいことになっちまったな。俺らも捜しにいくか」

 しかし、歩き出しかけた彼をリリンがついと止めた。その目は山の奥に注がれている。玄と冥狐の視線に気づいた少年は、ひとつうなずいてみせた。

「子どもの足じゃそう遠くに行けないはずだ。なのに見つからないとなると…… 怪しいな」

 三人が顔を向けたずっと先に、茶藝館がある。

 主が細やかな手つきで茶を淹れるのを、律曹は真剣な顔で見ていた。

 初めに感じた横暴さは時がすぎるにつれてなりを潜めていく。満たされた茶杯をすすめられると、丸みのある目で彼女を見上げた。

「ロクハ、お前もおあがり。お茶の時間にしよう」

 少し甘えた口調は、広い店内にとり残されるのを嫌がっているようだった。

「それでは、お相伴(しょうばん)にあずかります」

と彼女が対面に座すと、律曹は安心も(あらわ)にはにかんだ。頬にできたえくぼがいかにも子どもらしく、愛らしい。

 温かなお茶と金柑で風味をつけた白羊羹(しろようかん)をせっせと口に運ぶあいだ、彼はほとんど喋らなかった。そして菓子を食べきってしまうと、空いた小皿を寂しそうに見つめた。

「お代わり、されますか」

 思わず微笑んだロクハが、そっと尋ねる。律曹はやわらかな眉間にしわを作って悩んでいたが、決心して首を横に振った。

「午前のお茶では、甘味はひとつだけ。じいやって、そういうところは特にうるさいんだ」

「決めごとを守られてご立派です。お付きの方も喜びましょう」

 そう言ってお茶を注いでやると、うん、と律曹が答える。

「じいはね、なんにでもうるさいけど、本当は優しいんだよ。すっごく年寄りで、僕が生まれた時からおじいさんで、頭が真っ白なの。手をつなぐとかさかさして、冬の枝みたい。遠出のときはいつも一緒なんだ」

「まあ、そうなのですか! お年を召してもお元気で、よろしいですねえ」

と笑った少女に、律曹は大人ぶって肩をすくめてみせた。

「そうでもないよ、腰が痛いとか膝が割れそうだとかよく泣き真似するの。鬼ごっこはもうやってくれないし……」

 長生きできるかなあ、と小声で呟く。幼い顔に似つかわしくない孤独の影を、主の瞳が静かにとらえた。

「大切な方なのですね」

「そう。でもしょっちゅう怒らせちゃう。怒ってるとちょっと安心するんだよ。じい、まだまだ元気だなって」

 枝のような老人をふり回す王子の姿は容易に想像できた。ロクハが見守っていると、律曹が呟く。

「一緒にいてくれるのは、じいだけなんだ」

「あら、他にお付きの方は?」

「いるけど、いない。たまに考えるんだよ、長い夜なんかに。じいが死んじゃったらどうしよう……」

 急に言葉を切った彼は、勢いよく顔を上げた。

「ねえロクハ、お前はここでひとりぼっちなの?」

 差し迫った表情の王子は、さっきまでの様子が嘘のように、とても頼りなげに見えた。

 同じころ、町の入り口に戻ってきた早矢は人ごみの中に思わぬ顔を見つけた。

「おやあ、(せい)の字じゃないか」

と、東青のそばの立ち木にとまる。大きな山鳥の登場に驚いた彼だが、すぐに「早矢さん! 奇遇ですね」と笑顔を見せた。

「さては祭りで来たか。それが、ちっと大変なんだやな」

 早矢が頭を回したとき、「兄者ぁっ」と空を裂いて第二の鳥が下りてきた。旅装の東青に気づいた乙矢は首をかしげる。

「あれえ、これが王子? だいぶ育ってんのね」

「落ちつけ鳥頭、こりゃあ青の字だ。前に話した土の申し子だよ。あのね青の字、こいつは俺の妹、見りゃわかるな。それで、ええ、なんだっけか」

 そうそう、と引き取ったのは乙矢の方だ。

「リリンがね、王子は店なんじゃないかって言うのさ。で、冥狐と確かめに行った、玄さん置いて。あたしら、青の字さんも、どうする?」

「どうする?」

 二羽の鳥にきょろっと迫られ、東青はわけの分からぬうちに答えていた。

「お、お店に行きます!」

 だよなあ、と早矢が意味深にうなずくのを、乙矢はいぶかしんで見つめていた。


「ひとりではありませんわ。店は弟と開いておりますし、お客人やお友だちも……」

 ロクハがそう言いかけると、律曹は首を振った。

「ううん、人だったらお城にもたくさんいる。でも、どれだけいても僕しかいないんだ。こんなふうに触れるくらい近いのに、触れてもね……」

 もどかしげな彼に、ロクハはそっと助け舟を出す。

「心が通わない、と」

 主の言葉は、穏やかゆえに彼の目に涙を溜めさせた。

「いつも。父上も母上も、兄上も。じいやだけだ、じいがいなくなっちゃったら、誰も僕を見ない。どうしてなの、ロクハにもそんな時がある?」

 悲痛な問いかけに、彼女は卓上で彼の手をとった。

「ずっと以前に。お店を始める前、よくそういう気持ちになりました」

 ロクハはどこか遠くを見ている。光のさした瞳は不思議な色をしていた。

「今は、ないんだね」

 律曹は少しがっかりして呟く。この女の子と自分とが、同じだったらいいなと思っていたから。

「いろいろな方と出会って、弟ともよく話をして。それから庭づくりも始めて…… 時間はかかりましたけれど、もう囚われておりませんわ」

 本当に長い時間だった、と彼女はひとり考える。

 しかし調子のいいことに、孤独に苦しんだ日々すら記憶の一つにすぎず、楽しい思い出たちに埋もれてしまっている。たまに顔をのぞかせても、それをしげしげと眺めるだけの強さをロクハは得ていた。

「……僕にもできると思う?」

 すがるように見つめてくる幼い少年に、主はまっすぐで温かいまなざしを注いだ。

「はい」

 ゆるやかな雲の流れが影を投げかけ、去っていく。やがて律曹は、照れたそぶりで彼女の手を振りほどいた。

「お庭、案内してよ」

 晩秋の庭はやや切ない趣だ。「せまい!」と笑って元気に駆け出した王子の後ろを少女がついて歩く。

「ロクハ、この花はなあに。こっちは?」

「足もとは篝火花、かわいい色でしょう。この金柑はさきほどの羊羹に使ったものですよ。実をお持ちになりますか?」

「うんっ」

 あれこれ楽しげに見回っていた律曹だが、金柑の包みを受けとると急に大人しくなった。はるかに連なる稜線を眺め、ただ立ち尽くしている。

 そして、ふいに言った。

「お城においで。お茶の係にしてあげる」

 そっぽを向いた表情は見えない。となりに立ったロクハは、律曹の手を優しく握った。

「ありがとうございます、王子。けれど、私はここで生きてゆくのです」

 冬の冷たさをはらんだ風が、山肌をさあっと駆け下りてくる。並んだふたりには、重ねた手のぬくもりがきわだって感じられた。

「……知ってたもん」

と律曹が金柑をふり回し、少女の手をぎゅっと握り返した。つないだ手をそのままに、どちらともなく木戸へと歩き出す。

 そのとき、

「あっ、やっぱり!」

という少年の声が二人を止めた。

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