御山祭より(二)
この国では、すべての国土を領に分けた上で統治を行っている。
ということで、牙骨丘とふもとの町もひとつの領に属していて、ちゃんと一帯を代表する領主がいる。
突然の知らせを受けて、田舎領主の穏やかな日々は消し飛んでしまった。老年に近い彼はみずから馬を駆り、急ぎ山麓町へ向かった。
「みな、仕度はとどこおりないか!?」
そういうなり馬を飛び下りる。出迎えた若者が「く、食い物だけはかき集めました!」と叫び、周りの人々も真剣な面持ちでうなずく。領主は冷や汗のにじむ額に手をあてた。
「籠城するのではないのだぞ。沢巳坊はどこにいる」
「山道の広場に。やぐらを建てようって話になりまして……」
「やぐら? なんだねそれは」
怪訝な顔を返され、若者があたふたと説明する。
「歓迎のしるしに、お囃子のひとつでもお納めしようと。踊りもできればいいんですが、ここらで一番の踊り手が去年の暮れに九十七で大往生してしまったもので……」
領主は天を仰いだ。祭りまであと二日、誰もが混乱している。
そして、人々が右往左往するさまを山の中から見つめるものたちがいた。
「あんなぐらついて危なっかしいったら…… ほら崩れやがった! 見ちゃいられねえ」
と、広場のやぐらをうかがっていた玄がひげ面をしかめた。南の海から冷え込みの厳しい牙骨丘に来るとあって、がっしりした身体を厚着に膨れさせている。
となりに立っていた冥狐もため息をついた。
「にわか仕込みの舞台裏って悲しいのねえ。親王陛下も罪作りだこと」
「そのまんま迎えるってんじゃ心配にもなるか、酒抜きの祭りだもんよ。紅葉狩りくらいはすすめられるだろうが……」
二人を取り巻くのは燃えるような木々の群れ。秋色の眠れる竜が、真上に太陽を抱いている。
そろって樹上を見上げたとき、「よう、ほう」と声がして影が滑り込んできた。大きな翼をそのままに、長身の青年の姿になって舞い降りる。
「お早いご到着だやな。祭りの終わったころ現れるかと思ったぜ、深波の甲よ」
鳥男がニヤリとして言うと、玄は「その名前はやめろい」と嫌そうに手を振った。
「まあ急いできたさ、お前んとこの妹が尻を突っつくもんでな。茶屋の顔も見たかったころあいだし……」
彼はふと口をつぐんだ。冥狐が「どうしたの?」とのぞき込む。見返してきただるま顔は、なんとも悲しげだった。
「気づかねえか、冥狐。この山の気配、今までと違ってらあ」
彼女はハッとしてあたりを見回した。玄は、お前わかってんだろ、と早矢をこづく。腕組みしていた鳥男は、眉をひそめて襟巻きに顎をうずめた。
「そりゃ、あんた方より近くにいるから。乙が呼び込みに張り切ったのもそのせいだやな、ちっとでも気分を上げようって」
妖たちは、様々な思いを込めて目を交わしあった。
白い一角の子どもに会った、というのは、少し前にロクハから聞いていた。そして、ともし火が風に吹き消されるときのように、彼女の力が明滅していることも。早矢はそれをそのまま二人に伝えた。
「一角ってのが何者か、郷のやつらも知らなかったよ。ただ、吉兆ではなさそうだやね」
「……あたし嫌だわ。お別れなんて」
冥狐が独り言のように呟く。
「誰だってそうだ」
と、玄も弱々しく言った。彼らを見くらべていた早矢は静かに口を開く。
「抜け道がないか、ほうぼう探してみたがね」
ふたりが辛そうに顔を上げる。
「残念ながら難しそうだ。竜の来訪を止めるのは……」
学生の一団とすれ違い、東青は頬をゆるめた。いきいきと会話する姿にかつての自分たちを思い出す。何年たっても、この八束守は変わらず学徒の町だ。
母校を後にした彼は、しばらく歩いて住宅街にやってきた。懐から取り出した紙を何度か確かめ、ようやく目指す家に辿りつく。
細長い庭を通って戸口で声をかけると、少しの間をおいて「どちら様でしょう」と老婦人が顔を出した。彼は笑顔で頭を下げる。
「東青と申します。漠先生には、学院で大変お世話になりました」
「あらまあ、どうぞお入り下さい! 生徒さんたちが帰ってしまって、主人が退屈しているんです」
喜んだ夫人は、いそいそと彼を招き入れた。小ぢんまりしつつも快適な住まいは先生にぴったりだ。広い窓のある明るい部屋に、会いたかったその人はいた。
「東青君! これは驚いたな、元気にしていたかい」
籐椅子にかけていた老人が立ち上がろうとしたので、東青は慌てて止めた。
「先生、どうかそのままに。学院でお会いできるかと思ったら、静養されていると伺いまして……」
「兆先生から聞いたのかね? なに、足首を折っただけだよ。ほら」
と軽く上げた裾から、添え木を当てた包帯巻きの片足がのぞく。もてなしの盆を掲げてきた夫人が、
「南岳に登るというから嫌な予感がしたんですよ。いつまでも若者気分で、こちらは心配ばかりがつのりますわ」
と声を上げる。なかば本気での抗議にあい、白山羊のような老人は気まずそうに頭を掻いていた。
今も官立学院で教鞭をとる漠老人だが、規定の年齢に達したことで常勤を外れ、特別講師へと変わった。研究への情熱を失わない彼のこと、時間の融通がきくようになったとあって、さっそく南方の山へ出かけていったというわけだ。
「骨はいいんだ、じきにくっつくだろう。それより、調査が半端になってしまって残念至極だ。雪の降る前に終えたかったんだが」
治ったなら明日にでもと言わんばかりの気勢に、東青は安心しつつ尋ねた。
「今回は、なにを調べに行かれたのですか」
漠先生の専門は史学、伝承。
そして東青の在学中からずっと、“翼ある竜”にまつわるものを追っているのだった。古きの時代、東と南だけに突如発生した、不思議な竜の姿を。
「南岳の上で見つかった遺跡を改めにね。転げ落ちたせいでじゅうぶんではないが、面白いものが見れたよ。すまんが、そこの棚を開いてくれるかい」
古い書棚には調査の記録がつまっている。指示どおりに取り出した束には、“口碑・南岳山上民”と大きく書いてあった。
「以前、君にも話したことがあったね。遠い昔には、牙骨丘と南岳、二か所の高地に住む者だけが竜と交信していたのではないかという仮説を」
自然とロクハの顔が浮かび、東青の胸は高鳴りだした。はい、と真剣に答えると、先生もすっかり入り込んで調査書をめくった。
「新たな発見は、それらの民族に関わるとふんでな。遺跡は、塚だったよ。規模は小さいが、内部は丹念に飾られていた」
示された絵は、その場の様子を簡潔に写しとっていた。話を聞きながら、東青は南岳に隠されていた塚をありありと見ることができた。
最初に見つけた地元の老人は、なんだか分からないまま塚に入り、奥のほこらを開いてみたという。
「一体、何があったんですか」
生徒の顔に戻った彼に、先生も「これをごらん」と身を乗り出した。
次にめくられた図には、ほこらの中央に下がった朽ちた木像と、下に散らばる数個の欠片が描かれている。そのうち一つを詳しく記した姿は、長く引き伸ばされた勾玉にも似ていた。
「爪だ。花崗岩で作った、蜥蜴のような爪だよ」
先生の言葉どおり、失われた木部を推測した図は、まさしく見る者につかみかかろうとする、大きな蜥蜴の……
いや、違う。
「竜の手」
東青が呟くと、先生は「わしもそう思いたい」と笑顔で答えた。
「さて、この爪の一つにこんな碑文が彫ってあったんだ」
古体字の横に書き下された文はこのようなものだった。
“失われた留爪丘と山上の民に捧ぐ”
「失われた、丘……?」
留爪丘。聞いたことはないが、あの牙骨丘と響き合うような名前に思える。
「塚のできた年代はおよそ四、五百年前と思われ、竜の伝承が広まり出した時期とちょうど重なっている。この時点で、なにかが起こったはずなんだ」
漠先生は、静かに高揚する東青にこう語った。
碑文のとおり、過去にひとつの山がなくなったのではないか。
留爪丘と呼ばれていた南の山とそこにいた民族が、何らかの理由でこの大地から消えてしまった。おそらくは竜にまつわる理由で。
それを知る何者かが小さな塚に隠した名に、今このとき、我々が触れている……




