御山祭より(一)
日ごとに夜が長くなっていく秋の終わり。赤や黄の葉にいろどられた牙骨丘も、あと少したてば真白に雪を頂くようになる。
山麓の町がにわかに騒がしくなったのは、そんなころだった。
「ど、どなたがいらっしゃるって?」
吹けば飛ぶような、ちっぽけな寺の老僧は、走り込んできた宿屋の主に聞き返した。夢見るような顔をしている主人は、「はあ……」と言ったきり言葉を失う。
「しっかりしなさい、ほい!」
と、僧が目の前で柏手を打ってやると、彼はようやくこちら側に戻ってきた。
「はっ! ええっと、侖親王と、下の王子だそうで。前の日の晩からうちに、うちに……」
「お泊りになるのか!?」
思わず大きくなった僧の声に、主人はがくがくとうなずく。歴史だけはある、といった風情の宿屋を思い浮かべ、僧はまばたきすら忘れて呆然としていた。
その知らせを茶藝館まで運んできたのは、乙矢だった。
「ねえ大変、ふもとのお祭りにシンノウが来ちゃうよ! シンノウ、親王って誰さんだっけか」
中庭に舞い降りた鳥は、紅葉にも負けない色の翼をせわしなく羽ばたかせた。草木の手入れをしていたロクハと、それを縁側から眺めていたリリンは、揃って「ええっ!」と声を上げた。
「親王というと、帝の弟君だな。なんでこんなところに……」
リリンは、誰もが思いながら口にできなかったことをすんなりと呟いた。乙矢が羽毛を膨らませてうなずく。
「ほんと、建国以来の珍事じゃないの。急にお達しがあったって、下じゃ町ごとひっくり返りそうさ」
「お祭りって、御山祭だよね。お寺で祝詞をあげるんだったかしら」
と、ロクハが弟をふり仰ぐ。
「ああ。それから僧が町を一回りして、寺に戻って……」
それで、おしまい。歌も舞いも酒もなく、遠くからわざわざ人が訪れることもない。山の恵みに生をたのむ者たちだけの、ささやかな神事のはずなのだが。
親王の息子までくると聞くと、リリンは彼らしからぬ気の毒そうな顔で言った。
「たしか、まだ幼いんじゃなかったか。あの地味な祭りを見たってつまらないだろうに」
なにかのついでに寄るわけでもないらしい、ますますびっくりだねと乙矢が続けた。
「親王陛下は、牙骨丘に縁がおありなのかしら」
「聞いたことがないな。王宮ぐらしに飽きて、へんぴな土地に変な憧れを持ってるのかもしれない…… がっかりしないといいけれど」
少年が心もとなさげに呟く。
「そうそう、あたしも心配でさ、お祭りの準備から見守ろうと思って」
と、篝火花の前にしゃがんでいたロクハのもとに、山鳥がとっとこ歩み寄った。
「それで、軒先ちょくちょく借りてもいい? 郷から通うんじゃ遠いのさ」
「軒先なんて言わないで私の部屋においでよ、朝晩だいぶ冷えるもの」
ロクハが笑いかけると、乙矢は嬉しそうに首を揺らした。
「へへ、じゃあお言葉に甘えよっかな。兄者には秘密ね、小言くらっちゃうから。“お前ってのは、いつまで経っても主どのに敬意が足らなんだよ!”」
さすが妹、のんびりしつつ口を尖らせる真似があまりにもそっくりで、茶屋の姉弟はついつい吹き出してしまった。一緒になって楽しく笑った乙矢だが、すぐに忙しく飛び上がる。
「せっかくだし冥狐にも教えてくる。ついでに玄さんも、冬眠してなけりゃあね。あと誰かいたっけ? 誰でも呼んじゃうよ!」
垣根にとまって振り向いた彼女に、リリンは「土……」と口を開きかけたが、慌てた姉の手が引き止めた。
「みんな揃ったら嬉しいなあ。ありがとう乙ちゃん、気をつけてね!」
青空に消える鳥に手を振り、彼女は息をついた。じろっと様子をうかがったリリンは、
「呼んでやればいいのに」
とチクリと呟く。ロクハは頬を染めながらもかぶりを振り、ごまかすように花壇に向き合った。
「お仕事も忙しそうだったし、あまり気軽にお招きできないわ。もう、ご自分の暮らしがあるでしょうから……」
「土にまみれた乾いた暮らしがね。東の干天に慈雨きたらず、か」
そっけなく店へと引っこんでいく弟の背中を、姉は複雑そうに見つめていた。
「律王子、明日の朝も早うございますぞ。そろそろお休みに……」
「出発なんてするもんか。僕はお城に帰る!」
顔を出したじいやに、律曹は竹細工の虫を投げつけた。老人の方は慣れたもので、飛んできた玩具を機敏によける。
「なにをおっしゃいます、やっと東方に入ったというのに。陛下のお供として、皇族として、しゃんとなさいませ。さあお片づけを」
九つになったばかりの王子は、老人が拾った竹細工を「うるさいっ」とはねのける。哀れな髪切虫は板壁に当たって力なく落っこちた。
なにもかも気に入らなかった。
祭りというからついてきたのに、何日も馬車に揺られ続け、見える景色はどんどん寂れていく。夜ごと変わる宿にしろ、首都を離れるほど狭く古くなっていくではないか。
いつもであれば、皇家ご用達の定宿でじゅうぶんなもてなしを受けられる。きらびやかな部屋に調度品、それから彼だけのために取りそろえた玩具や菓子。
この旅にはすべてが足りない。せめて遊び相手をと思っても、初めて皇族を迎える地方の者たちは恐縮しきっていて、じいやに「気の毒なので……」と止められてしまったのだ。王子の我慢は限界だった。
「もう嫌だ、みんな勝手に行ってしまえっ!」
かんしゃくを起こした彼に、じいやは切り札をつきつけた。
「あまり聞きわけがないと、お父上にお出で願いますぞ!」
「…………」
みるみる萎れていく律曹を見て、じいやは内心で深いため息をついた。
侖親王には二人の息子がいて、上の王子は十二才。自分の立場を心得ている兄君は、興味のないことでも大人しくつきあうだけの分別がある。本当であれば、この旅には彼が同行するはずだった。
しかし、お妃様の横やりが入った。
「あの、兄君王子は歌会への出席が決まっていたはずだと、花杏様からご伝言が……」
気まずい役目を負った侍女が告げにきたとき、じいやはたまたま居合わせていた。妻の采配を知らされた親王は、ただ眉間にしわを寄せて短い息を吐き出した。またか、と言うように。
じいやは昔を思い出し、無常を感じる。
かつては宮中でも稀に見るほど仲のよい二人だったのに、今では式典以外で顔を合わせることもない。すっかりひび割れた夫婦は、いつからか物分りのいい長男を取り合うようになってしまった。
その兄君に尋ねたことがある。今の一家の在りようが辛くはないか、と。
「さあ、特別悪くもないと思う。私があちこち行って均衡が保てるなら、それでよかろうよ」
若き王子は表情ひとつ動かさずに答え、じいやはそこにも無常を見たものだ。
静かに冷めている兄と対照的に、律曹はわがままな暴れん坊に育ちつつあり、これは行く末が思いやられるともっぱらの噂になっていた。
しかし、長いあいだ彼に手を焼かされてきたじいやだが、ふとした拍子に哀れみを覚えることが幾度もあった。
たとえば、城の近くの小川へ散歩に出たときを思い出す。
「じい、あれが見える?」
と、律曹が中洲を指した。小鳥の声がさかんに聞こえると思ったら、葦の間に巣があるらしい。
「おや、なんの雛でしょうかなあ。ずいぶんお腹が空いているようで」
目をこらしたじいやの手をとり、王子は止まない声に耳を澄ませていた。そしてぽつりと呟いた。
「誰も来ないよ」
雛への言葉か、それとも己か。ハッとして見下ろした王子の顔は驚くほど空虚だった。
あんな顔をされるよりは元気に暴れてくれた方がいい。とはいえ、今はこの旅を無事に終えなくてはいけない。
じいやは、できるだけ心地のいいように寝台を整えてやった。
「さあ、これでぐっすり眠れましょう……」
彼が言い終えぬうちに、助走をつけた律曹がぽーんと飛び込んだ。
「お、王子!?」
慌てるじいやを後目に、彼はわあわあ叫び散らして布団をめちゃくちゃに跳ね上げ始める。どったんばったん、寝台どころか宿じゅう揺らす大騒ぎに、すぐに戸が叩かれた。
「律王子、豊代どの! いかがされましたか!」
従者の焦り声を背に受けながら、じいやは白髪頭を抱え込んでいた。




