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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第八話
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あやにしき(六)

「さあ、千両役者のお手並み拝見だな」

 僕は騙されないぞとリリンがうそぶき、ロクハも「そうね」と意を決する。弟には、身に危険が及びそうならば逃げるように、と言い含めてあった。それを守ってくれるかどうかはわからないが。

 彼女は扉へ顔を向けた。

「……来る」

 ふたりが勘定台の前で息を潜めていると、すり硝子(がらす)の上にゆらりと影が現れた。

 音もなく開かれた入り口に比太屋弐織が立っている。少し首をかしげ、長い髪を風に遊ばせながら。

「ようこそ、おいでませ。牙骨丘茶藝館が主、ロクハと申します」

 主と少年に向けて笑みを返した客人は、なにも言わずに通された卓へついた。磨きぬかれた褐色の木目を指でなぞり、傍らに立った少女を静かに見上げる。大きな明るい窓を背に、彼女が口を開いた。

「比太屋弐織様でございますね」

 ロクハの言葉に、彼は「ええ」とうなずいた。

「芝居をするときは、そう呼ばれております」

「本日はお話をお聞きしたく、お呼びいたしました。あなた様のことを」

 穏やかに会話を進める二人を、リリンは厨房から見守っていた。

 霊的な存在ではないかという考えは杞憂で、客人にはれっきとした肉体があるようだった。派手派手しい柄の上下と青い長羽織のいでたちは、弐織という役に合わせた衣装のようにも見える。そして彼は確かに、華やかな見目(みめ)に反して妙な不気味さを持つ男だった。

 万が一のことがあれば、とリリンは拳を握りしめる。ここは厨房、武器になるものならたくさんあるぞ。

 弐織の卓に飾られているのは、まだつぼみのない山茶花(さざんか)の枝葉だった。彼の指がその輪郭に触れる。

「わたしはしがない三文役者。お耳にかけるほどの身の上話など、とてもとても……」

 さようでございますか、とロクハがいったん退く。茶葉の好みを尋ねると、彼は少し考えてから「ご店主の心のままに」と呟いた。

 厨房へ入ってきた姉に、リリンは声を下げて聞いた。

「どう?」

「半分。半分だけ、こちらにいる」

 ロクハが厳しい顔で答える。真意はわからずとも、少年はその様子に勇気づけられた。姉の方に打つ手はありそうだ。

「お湯をお願い」

 大盆に茶器を携えた彼女は、迷いのない足どりでのれんをくぐっていった。


 赤い茶葉にのぞく青紫の小さな粒たち。緊張気味のリリンによって湯を注がれた薫衣草(くんいそう)の花は、かすかに甘く爽やかに香り立った。

(まこと)しき香、聞かれますことを」

 姉弟が頭を下げると、客人はゆるやかに茶杯を口もとへ運ぶ。卓を離れながらロクハは祈る。供したお茶が彼の心を鎮め、沈黙の中でもういちど己を見つめさせることを。

 そして、此岸(しがん)に強い根を下ろす草木の(いざな)いで、どうか彼がこちらへ戻ってくるようにと。

「ご店主」

 呼び止められた少女は、ためらわず振り向いた。不安げな弟を先に行かせ、ふたたび客人のもとへ歩み寄る。弐織は、伏せていた長いまつ毛を上げた。

(うつ)し世には無駄が多すぎる。そうは思われませんか」

 前掛けの上でつつましく両手を組み、ロクハは「たとえば、どのような?」と落ちつき払って答える。

「まことを隠すすべて。人は誰しもいちばん純粋なものを隠してしまっている、そのもののかたちを。あなたのかたちは」

と、ふたつの瞳が少女の顔を探りかけたが、弐織は怪訝そうに目を見開いた。

「いまだ成らずや。これはこれは、実に興味深い……」

 男の手が小さな頬に伸びる。

 厨房からリリンが飛び出してくる気配を感じながら、ロクハは強いまなざしで弐織を見返した。

 ばっ、と音を立てて景色が一変した。

 黒いかがり火の焚かれる薄暗い舞台と、中央にそびえる大きな雛壇(ひなだん)。その上には、数え切れないほどの髑髏(どくろ)が並べられていた。

「……あなたの場所ですね」

 舞台の片すみ、卓と椅子はそのままに、首に手を添えられたロクハは呟く。

 彼女は、炎の照り映える骨たちを見て、彼を呼び戻そうという考えが甘かったことを悟っていた。この男はすでに多くのものを奪いすぎている。汀蘭のように、魅入られた人々を選りすぐり……

「いかにも。されど、完成にはまだまだ足りません。さきほども逃したばかり、大事なひとつを」

 ひとつ?

 汀蘭は、これからも濃密な人生を歩んでいくひとりの人間だ。この男によって身勝手に数えられるいわれはどこにもない。茶藝館の主は大きな瞳をいからせて弐織をにらみつける。

「そう、ひとつ逃した。あなたの所為(せい)で」

 対する弐織の両眼も黒く燃え上がり、ロクハの細い首を両手で締めつけてくる。だが彼女は恐れない。激しい怒りが、残された勘を鋭く砥いだ。

 そして見えた、男の背後に笑う大きな髑髏が。

 捨て身の覚悟で意識をつき立てようとしたとき、ふいに闇を割って声が響き渡った。

「進みし者へ、いま(みち)を定めん」

 あの一角の子だ!

 ロクハが驚いて天を仰ぐと、間髪いれず膨大な光が降りそそぐ。白く埋めつくされる一瞬のうちに、上を向いた弐織が眩しそうに目を細めるのが見えた。

「姉さんっ」

 駆けてきたリリンが、ロクハの肩をつかんで卓から引き剥がした。彼女がはっとして見回すと、そこは変わらず秋の陽の差す店の中だ。

 そして、まだ温かい茶杯を残し、客人は消えていた。


「変ねえ。このあたりだと思ったんだけど」

 保丹次の町はずれで、長いこと歩き回っていた汀蘭は足を止めた。

 芝居小屋での恐ろしい夢から数日が経った。ようやく気力を取り戻した彼女は、もう一度あの姉弟に会いたくなったのだが。

 きょろきょろしているところに、息を切らした夫がやってくる。このところ元気のなかった妻が急に出かけると言い出したので、心配してついてきたのだ。

 彼はだいぶ後退した額をぬぐいながら言った。

「店を畳んだんじゃないかね。子どもだけでやっていくのは難しいだろう」

 そんなはずはないと感じた汀蘭だが、「そうかもしれないわね」と素直に応じることにした。

 そういえば、あの子たちには親類縁者がいないようだった。自分ばかりべらべら喋らなければよかった、と彼女は恥ずかしく思った。店を続けるのが大変だったなら、なにか相談に乗ってやれたかもしれないのに。

 けれど、きっともう会えない。

 他の店で休もう、と町へ引き返すと、広場に小さな人だかりができていた。折り込み草紙の売り子が枯れた声を張り上げている。

「さあ、花形役者が煙と消えた! はたして事件か陰謀か、比太屋弐織は今いずこ!」

「あれ、お前のひいきの役者じゃないのかい」

 無邪気に首をめぐらせた夫の袖を、汀蘭は急いで引いた。

「この前までは、ね。早く行きましょ、(あざみ)館以外ならどこでもいいわ……」

 そのころ、茶藝館の扉を開けてリリンが戻ってきた。冥狐に改めて礼を告げに行っていたのだ。

「移動しっぱなしで疲れたって、丸二日眠りこけていたらしいよ」

 まだまだ眠たそうな彼女の顔を思い出し、少年は可笑しそうに言った。卓に新たな菊を活けながら、ロクハも微笑んだ。

「たくさん走らせちゃったものね。今度、目一杯ごちそうしないと」

 リリンが言うには、弐織がロクハに触れたとき、二人の姿が薄暗く陰って見えた。しかしそれも一瞬だけのことで、卓に辿りついたと思ったら客人だけが消えていたのだという。

 弐織の舞台で起きたことを話すと、彼は安堵してこう言った。

「その一角が助けてくれたと思っていいのかな。敵じゃあないわけだ」

 リリンの表情に、ロクハはふと(はさみ)を下ろす。客人を迎えつづける決意はしたが、それは弟が思い悩む種を増やすことにもなる。

「リリンちゃん」

「うん?」

 厨房に向かいかけていた彼が振り返る。卓の間に立つ主はしょんぼりしていた。

「ごめんね。こんなお姉ちゃんで」

「そんなことない」

 真剣に答えたリリンだったが、すぐににっこり笑ってみせ、

「と、言ってほしいんだろう」

とつけ足した。

 のれんの奥に消えた背中を見つめ、ロクハは「うう、読まれてる……」ときまり悪そうに呟いた。

 弐織がどこへ行ったのか、正確なことはわからない。

 しかし完全にこの世を離れたわけでもなさそうだ、と彼女は思っている。ときおり、聴こえてくるからだ。

「綾錦とて糸繰れなくば」

 成らぬ、成らぬと機の泣く。

「あやに継がれる骨の道形」

 扇とともに美しい手がひらりと返される。男が歩いているのは、幾千もの骨の欠片にうずもれた長い長い道だ。よどんだ隙間の世界に歌は止まず、どこでもない場所へと彼を誘う。

「つばら、つばらに愛でゆかん……」

 荒涼とした空には、太陽の代わりに大きな氷の眼が浮かび、凍えるまなざしを注ぎ続けていた。

 狂うことも逃げることも許されないまま、ただこの道の尽きるまで。永遠の終末の中を、男は舞い進んで行った。


                       (第八話 了)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

第九話は山の祭に思わぬ客がやってきます。

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