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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第八話
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あやにしき(四)

 長いあいだ秋風にさらされていたせいか、ロクハは微熱を出した。

 その日はリリンの強いすすめもあって大事をとり、落ちついて話ができたのは翌日の午後になってからだった。

 自身の力の不調と、突然あらわれた一角の子。内容はともかく、姉が包み隠さず打ち明けてくれたことでリリンは冷静さを取り戻したようだった。

「これからなにが起きても、僕がついてる。最後まで一緒にいるから」

 卓の上で重ねられた手の傍らには、繰り返してきた日々と同じように、お茶が優しく香っていた。真摯(しんし)で温かなまなざしを受けてロクハはうなずいた。

「あの子…… ううん、あの人、その時が来るにはまだ早いって言ってた。そして私に、どうるすか尋ねてきたの」

“汝が途を他に延べんと惑いしか……”

 彼女の力は、まぎれもなく弱まりつつある。いま、あの役者の正体をつきとめるために動けば、みずからに残された時間を削りとることになるのかもしれない。

 そう語るのを聞いていたリリンは、自身の思いを見せないようにして静かに問うた。

「姉さんはどうしたい?」

 ロクハは、わからない、と首を振った。

「まだまだ、リリンちゃんやみんなと過ごす時間が欲しい…… でも、お客人をほうっておくのは嫌なの」

 よくばりね、と彼女は辛そうに微笑んだ。リリンは、姉の手を励ますように叩いた。

「弐織と対面してから考えても遅くないさ。本当に危ない(やから)かどうか、まだわからないしね。姉さんが姿絵の魅力に当てられた、ってこともあるんじゃないのか?」

と、意地悪く見つめてくる弟の頭を、ロクハは「すぐそういうこと言う」とつっついてやる。

「いいんだ、僕は責めないよ。どこぞの土まみれよりずっと色男だったし……」

「ちがうってば! なんで東青様を引き合いに出すのっ」

 彼女がむきになると、茶器を手に立ったリリンが朗らかな笑い声を上げた。行く先が明るくあるようにと祈っているかのようだった。


 芝居小屋が近づくにつれて、冥狐の脚は速まった。リリンから頼まれた日の夜に出発し、あくる夕刻には保丹次に入ることができた。人の流れを目で追えば、ちょうど午後の回が終わり、客がはけていくところだ。

 早いとこ、切符売りをつかまえなけりゃ。

 しかし、辺りを見回した彼女は、狐の姿のまま小屋の影で立ち止まった。

 誰しも満足げな観客たちの中に、ひとり様子の異なる者がある。軽いというより揺れるような足どりで、ぼんやりした顔には陰がかかり、憔悴(しょうすい)しているとさえ言えるほどだ。

 ふっくらとして、綺麗な髪を結った、裕福そうな夫人。リリンに聞いていた客人の姿とよく重なる、その表情以外は。

 話しかけてみようかと脚を踏み出したとき。

「狐や、きつね……」

 うたうような声が獣の首筋を撫でた。

 身を低くして振り返るなり、待ち構えていた冷たい風が吹きつける。はためく藍色の長羽織を宵闇に溶かして、その男は立っていた。

 比太屋弐織。

 直接みるのは初めてだったが、絵姿どおりの容貌は間違えようがない。気味の悪いほど整った顔を、風に踊る長い髪がふちどっている。ゆるやかに下ろされた手の片方に、畳んだ扇を軽くつかんでいた。

 まるで芝居の一場面のようだったが、冥狐の本能は真っ赤に点滅した。彼女ににらまれるのを気にもかけず、弐織は形のいい唇をすうっと開く。

「狐や狐、お前の影は美しい。わたしのために化けておくれ」

 息を飲んだ冥狐は、思わず後ずさった。この男、あたしを見抜いている!

 獣の動揺を感じ取ったのか、役者はじつに楽しげに笑い出した。長い首を反らし扇をひらき、深みのある声で笑い続ける。その背後、肩の上に、おぼろに浮かび上がるものがあった。

 髑髏(どくろ)。大きく口を開けた白い骨。

「はは、はははは……」

 可笑しくてたまらないといった様子の弐織にあわせて、カチカチカチカチと骨も笑う。冥狐の金色の毛皮が一瞬で逆立った。

 不覚、と心のうちで吐き捨てながら、彼女は尾をひるがえして逃げ出した。まとわりつく笑い声に飲まれる恐怖から、持てる力すべてを注いで駆けた。

 夜明け前の牙骨丘は静まり返っている。無礼を承知で木戸を飛び越えた冥狐は、離れに向かって震える声をかけた。

「姉さま、リンさん!」

 すぐに障子が開き、寝衣に肩掛けを羽織ったロクハが彼女を迎えた。

「冥狐さん、なにがあったの」

 急ぎ中庭に下りた主は、凍える獣を腕の中へ招き入れる。角灯に火を入れたリリンも姿を現し、心配そうに彼女を見つめていた。

 二人の顔に安心したのか、肩掛けにくるまれた狐は潤んだ瞳をしばたかせて話し出した。

「人でないやもしれない。あの男、あたくしの側に近い…… いえ、(あやかし)の道など通りこしています」

「なんだって?」

 リリンは呆然と呟いた。姉の勘は、確かすぎるほど確かだったらしい。

「お店のほうに行きましょう。温かくして休まないと」

 穏やかでいてはっきりと告げながら、ロクハは心を決めていた。

 弐織の正体を暴いてみせる。

 たとえ力が及ばなくても、途中で尽きてしまっても、やれるだけやってみよう。それで一人でも多くを救うことができるのなら。

 廊下の端、店へとつながる戸に手をかけたとき、その決心を嘲笑うかのごとく彼女だけに歌が聴こえてきた。深くて暗い、底を持たない男の声。

“あやにしきとていとくれなくば……”

 ロクハはきっと口を引き結び、力強く扉を開いた。

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