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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第七話
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我が月を君に(二)

「おいウサギ、書生になんな」

「げっ、足を洗えってのかよ!?」

 そう聞き返した白兎丸の頭を、(いそ)の兄貴が勢いよくはたいた。動きと一緒に酒の匂いが立ち上る。狭苦しいほったて小屋には数人の仲間がごろ寝していて、おしなべて人相が悪い。白兎丸が一番ましな顔、かつ一番の下っぱだ。

「長ぇ計画なんだよ、こいつは。そんだけの値打ちはあるんだぜ……」

 お人好しの名家の主が、書生を探しているという。その家にお宝があると聞けば、これはもう入り込むしかない。しばらく真面目に奉公し、油断させたころにお宝かついでドロン、だ。

「宝ってのが、どうやらなかなかの品らしくてな。こいつを手に入れれば親分の覚えもよくなる。気ぃ張ってこいよ!」

 兄貴の凶悪なにやけ面に、弟分もしたり顔でうなずいた。

 十把ひとからげの身なし子が都で生き抜くには、よほど運がよくないかぎり影の世界に沈むしかない。元締めの顔は見たことがないが、この一帯を広く仕切っている人物だとは聞いている。これを機会と、手柄を立てるに越したことはなかった。

 嘘っぱちの身分証をひっさげた書生ぐらしは、実にあっさり始まった。

 人を騙すにも脳がいる、というわけで、読み書きは仲間の学士くずれに教わっていたし、白兎丸は何ごとも飲み込みが早い。家の用事を手伝いつつ私塾に通う生活に、数日でなじんでしまった。

 お大尽の書生ってのは気楽なもんだ。

 白斗と名乗るようになった彼は、ひとり呟くことがあった。一味の小屋より広い部屋で寝起きできる上に、温かで美味い飯が毎日食える。なにより、多少のへまをしてもボコボコに殴られたりしない……

 しかし、困ったこともあるにはある。

「ねえ白斗、どっちが似合うかしら? なにを着ても同じなんて言わないでよ」

「美麗、騒ぐのはおやめなさい。黄色い方でいいでしょう」

「お母様には聞いていません!」

 壁ぎわにつっ立った彼は、あくびを噛み殺してからため息をついた。呉服屋の店先で親子の口げんかを聞かされる、ということまでは織り込んでいない。このやかましい妹君は、荷物持ちとしてしょっちゅう書生をつれ回したがった。

 それとなく屋敷のつくりを調べようにも、

「あら白斗、暇そうね。これから踊りのお稽古よ、ついていらっしゃい」

と捕まってしまう。お嬢様相手に邪険にもできず、しばらくままごとに付き合うはめになる。盗人・白兎丸の気力を削ぐことにかけて、彼女はずば抜けた才能を持っていた。

 だが、お宝のありかに目星がついた以上、おさらばする日も近そうだ。

 足の弱ったじじいの書斎は一階にある。つまり、楽勝だ。夕暮れの庭先で屋敷を見上げながら、彼はほくそ笑んだ。

「いいことでもあったの?」

 急に声がして、不意を突かれた白斗は鋭い目で振り向いた。薄闇にたたずむ薫が、はっと身をすくめた。

「……嬉しそうに見えたから」

 胸元で両手を組みうつむいた彼女に、書生が慌てて取りつくろった。

「今朝お話ししたとおり、見回りをしていたんですよ。改めて、立派な建物だと思いまして」

「そうなの」

 薫は探るように彼を見つめた。

 昔、美術品の収集家の蔵に忍び入ったことがある。そのとき盗み出した中に、薄く色づけされた陶器の天女像があった。薫を見るといつもその人形の姿がちらつく。頼りなげで儚げな、とても淡いもの。

 しかし、それは外見だけのこと。使用人まで能天気な周家の中、なぜか薫だけは勘がいいと白斗は早々に気づいていた。

 ということで、気をそらすのに唯一有効な手を使うべし。

「いや…… そうですね。たった今、いいことがありましたよ」

「あら、なあに?」

 白斗は少しだけ微笑みを作った。こういう時はあんまり笑いすぎてもいけない。

「薫様が、俺を探しにきてくださった。でしょう?」

 陳腐なやり口は磯の兄貴の受け売りだが、箱入り娘にはてきめんに効く……

 はずだった。

「薫様?」

 目を見開いて固まってしまった彼女に、白斗は戸惑って声をかけた。上等な筆ですっと刷いたような瞳に、みるみるうちに涙が溜まってゆく。

 白兎丸は、ここへやってきて初めて仕事を忘れて狼狽(ろうばい)した。

「し、失礼を申しました。からかったつもりでは……」

 いいえ、とだけ言い残し、薫は屋敷へと身をひるがえす。取り残された書生の後ろで、小さな池がさざなみを立てた。頭の上では、初秋の宵に薄い月が昇りはじめていた。


 栗名月を待つ(いお)は、(すすき)わすれのうさぎ跳び……

 厨房から聞こえてきた弟の歌に、ロクハはぎょっとなった。これでは月見が修行になってしまう。

「リリンちゃん」

 そっと声をかけると、栗を煮ていた弟ははたと顔を上げた。鍋から立ち上る湯気が、ふり向きかけた頬にかかっている。

「うさぎ跳び、じゃなくて“憂さに富み”」

 了解、と真面目くさってうなずいたリリンは、鍋に向き直って箸を動かし始めた。

 茶葉棚の前に戻ったロクハは、情けない表情で微笑む。小さいころ、二人は色々な替え歌を作って遊んだものだが、なぜか月見唄だけは弟の頭に強く残っているらしい。彼はこれを歌うと、必ずどこかしら取り違えてしまう。

 さて、と気合いを入れ直し、彼女は茶葉の選定にとりかかった。

 姉弟は、間近に迫った月の宴の準備をしているのだった。

 満月の夜に渡り廊下の障子を開け放ち、中庭を前にして茶や菓子を楽しむ。特に声をかけるでもなく、居合わせたものだけで行われるささやかな宴だ。二人きりのときもあれば、知った顔ぶれが揃ったこともあった。

 勘定台に茶壷を並べつつ、今年は誰がくるかしらと思いをはせる。

 茶葉も菓子も余分に用意しておくのがいいだろう。飛び入りの客を迎えることだって、ないとは限らないから。

「どなた様も、お待ちしておりましょう」

 茶藝館の主が呟いたころ、周家の夕食は重苦しい空気に包まれていた。卓につく家族の中に薫の顔はない。

「薫は大丈夫かい、身体に障ったのでは……」

と、おろおろしている夫に向かって、妻が憮然として答えた。

「そんなことありません。私が言って聞かせますから」

 召使いが足音を殺して立ち働く中、祖父が白髪頭をひねる。

「しかし、そんなに嫌かね。十五、六にもなれば、縁談など当たり前だろうに」

「驚いただけですよ、お義父様。領主様のところからお話をいただくとは、さすがに思っていなかったでしょうから。そのうち落ちつきますわ」

 黙々と膳を片づけた美麗は、つんとした様子で「ごちそうさまでした」と席を立つ。そして、

「あら、お茶はいらないの」

と尋ねる母には返事をせず、召使いに「お部屋まで運んで」と言いつけるなり、食堂を飛び出していってしまった。

「なんじゃ、美麗まで。二人ともどうしたというんだ?」

 途方にくれた老人に答えられる者は、誰もいなかった。

 広い階段を駆け上がった美麗は、自室の前を通りすぎると、となりの扉の様子をうかがった。

「お姉様」

 小さく声をかける。しかし物音ひとつ返ってこない。彼女はためらわず扉に手をかけた。

 そうっと開けたすき間からのぞいてみると、姉は明かりを消した部屋の寝台に伏しているようだった。うすい天蓋(てんがい)の向こうで、細い身体がやわらかな線を描いている。その肩がわずかに上下しているのを認めると、美麗はホッと息をつく。

 誰かが階段を上がってくる気配がしたので、彼女は静かに扉を閉めた。

 だめね、大人って。なんにも分かってないんだから!

「……あのう、美麗様?」

 廊下の真ん中でやれやれと首を振る彼女を、盆をかかげた召使いが不思議そうに見つめていた。

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