我が月を君に(一)
「名家の邸宅を狙った窃盗事件が頻発、だと。わが家も気をつけんといかんなあ」
周家の主は、配られたばかりの知らせ書きから顔を上げて呟いた。
広々とした食堂は、朝の爽やかな光で満ちている。長い卓の両側を召使いが行ったりきたり、五人の家族へ給仕に忙しい。
「そう案ずるな、公彰。町番のほうで見回りも増やしているだろう。怪しい者はすぐ見つけてくれるさ」
渋色の羽織をまとう老人が、温かいおぼろ豆腐をすくいながら答える。
「父上はそう仰いますがね。家督を継いだ身としては、小さなことも気にかかるんですよ。うちには娘もいることだし……」
と、八の字眉の顔をめぐらせると、姉妹は対照的な表情を見せた。控えめに微笑む薫に、口をとがらせる美麗。それぞれの気性がそっくり表れている。
すでにふくれっ面をした美麗が、ぐいとお茶を飲み干して言った。
「さらわれるにしたって、どうせお姉様だけですわ。護衛の人数が浮いてよかったですわね」
「やめなさい、美麗。お父様は心配なさっているのですよ」
母に鋭くたしなめられると、妹はぷいとそっぽを向いてしまった。
やや下膨れの輪郭と高からぬ鼻はみごとに父親そっくりで、この二人が並ぶと客人は笑いをこらえるのに苦労する。
そして、美麗はそれを敏感に感じ取ってしまう。客が帰るなり怒ったり落ち込んだり、はたまた八つ当たりしたり。十二という難しい年ごろに差しかかった彼女は、みずからの容姿を常に気にしているのだった。
可愛いのに、と薫は思う。目の細い自分からすると、きらきら輝く丸い瞳がなにより羨ましい。しかしそう伝えても、妹はすねるばかりなのだ。
「お姉様にはわかりません。気を遣われるのが一番辛いんだから」
「あら、本心なのに。大好きな妹にお世辞なんて言わなくてよ」
少し前ならばこれで機嫌を直していたのだが、このごろ事情が変わってしまった。
「だって白斗に聞いたら、そりゃ姉君のが美人ですよ、って一秒もせずに言うのよ! けど私、怒りません。あれは正直な、信頼に足る人だわ」
しょんぼりと納得する美麗を見て、薫は思わず我が額をおさえた。
この春、父は久しぶりに書生をとることにした。ずっと住み込みで勤めていた老執事が故郷へ帰ってしまい寂しくなったのだろう、
「どうも家が広く感じるなあ。使わないと部屋は傷むというし……」
としきりに言っていたが、誰ひとり本気にはしていず、ぽつんと現れた少年を前にして家の中は大騒ぎになった。
父は、懇意にしている私塾の名を挙げ、身元は保証してもらったので心配いらないと弁明した。
「犬や猫じゃないんですから、きちんとお話を通して下さらないと!」
「し、しかしだね、私が言ったところでお前は聞きやしなかったじゃないか……」
鬼の形相の母と逃げ腰の父、といういつもの光景を、
「やめんか!」
と祖父の一喝が止めた。静まり返った居間で、祖父は少年へ振り向いた。
「とんだ歓迎になってしまったな。名はなんと言うね」
ひょろ長い手足の少年は、いきなり夫妻のけんかを見せられたにも関わらずけろりとしていた。大きな口を横に引き、歯切れよく答える。
「はい、白斗と申します」
その声には、知らない世界の響きが込められているかのようで、薫はふっと顔を上げた。
一家を見まわしていた白斗と、ちょうど視線が合う。そのとき、ほんの少し目を細めた彼は、不思議なほど大人びて見えた。
「白斗、おはよう。精が出ますね」
朝食を済ませると、薫は床掃除をしていた書生にさりげなく声をかけた。
「薫様。おはようございます」
彼は雑巾を動かす手を止め、ニカッと笑ってみせた。白い上衣に裾を絞った長袴と、いでたちはいかにも書生らしい。
「窃盗団のお話を聞いていて? 大きなお屋敷ばかり狙うという……」
「ああ、続いてるそうですね。塾でも噂になってましたよ、名宝を揃えてるお宅は特に注意しないとって」
白斗はよどみなく答える。薫のひとつ下の十五才ながら、その顔はだいぶ見上げる位置にある。彼はもとより身寄りがなく、赤ん坊のころに預けられた寺で育ったらしいが、それにしては妙に遠慮がない人だと薫は考えていた。
この周家は、古くから地方の都・央旗に屋敷をかまえてきた、貴族に近い家柄である。屋敷は外も中も華やかで品があり、市井の者なら驚くような御殿といえる。
しかし白斗は、一度たりともそれらに言及することはなかった。調度品ひとつ褒めることもなく、さっぱりしているといえば聞こえはいいが、書生にしても淡白すぎるように思える。
訝しんでいるのは自分だけだとわかっていたので、薫は粛々と過ごしながらも、時おり彼の動きをこっそり観察していた。
「お父様は、怪しい者がうろつくのを心配しています。美麗のこと、あなたもよく見守ってやってください」
「承知しました。こちらの一番のお宝は、なんといってもお嬢様がたですしね。公彰様にもお話を聞いてみますよ」
明るく滑らかな様子は、今日も薫の首をかしげさせる。格好と同じく、いかにも書生らしくしているような気がして。
書生は一礼して板の間にしゃがみ込んだ。踵を返しかけた薫だったが、
「それから、もうひとつ」
と静かにふり返る。きょとんと見上げた白斗の顔は、小さな蟷螂に似ていた。
「人の容姿について、いらぬことを美麗に吹き込まないでください。あの子は気の強いようで繊細なんです」
心当たりを探して首をひねる姿は、ますます蟷螂のようだ。
「ああ、あれですか! 吹き込むなんて人聞きの悪い、尋ねられたから答えたまでですよ」
「だから、その答えをですね……」
躍起になった薫を書生がさえぎった。
「世話になっている家の方に嘘はつけません。俺から見たら、薫様の方がお綺麗です」
ほら、と薫は思った。慎み深いはずの寺育ちが、本人を前にしてこんなこと平気で言えるものだろうか。
反撃しようとしたが、なぜか頬が熱くなってきたことに気づくと、彼女は慌てて退散した。
華奢な背中に垂らした美しい結い髪を見送った白斗は、桶に雑巾をほうって鼻を鳴らした。
俺は忙しいんだ、娘っ子と遊んでる暇なんてないぜ。
とはいえ、いい口実を作ってくれたものだ。少年の顔に抜け目のなさがにじみ出る。手早く掃除を終えた彼は、出仕前の家長をつかまえた。
不安を分かちあう相手に飢えていた公彰は、屋敷と庭の見回りをするという申し出に飛びついてきた。
「ぜひ、そうしてくれ。白昼に押し入られた家もあるそうで、恐ろしくてかなわんよ」
「特に注意のいるお部屋はございますか」
なにくわぬ顔で尋ねる書生を、家長は疑いもしない。
「ううん、父上の書斎だな。鏡もあることだし……」
「鏡?」
自然な鸚鵡返しが口を開かせる。
「ああ、“月の水鏡”といってね。私のお祖父様が苦労して手に入れた逸品で、うちが所有していると一部には知られているんだよ」
白斗の大きな目がぎらりと光る。
まさしくそれさ、おっさん。この白兎丸様が探してたのは!




