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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第六話
37/74

夏散花草(六)

 関夫人は、頑として口を開かなかったらしい。役場につれられて行ったあと、しばらく近くの療養所に入ることになった、と謝罪に訪れた息子夫婦が告げた。

「私たちも何がなにやらで…… まさか母がこんなご迷惑をおかけするとは思いませんで」

 青い顔で頭を下げる二人を、千穂たちは逆に励ますような形になってしまった。

「お母様は、お子さんを亡くしたことがおありなんでしょうか」

 お茶をすすめながら尋ねると、息子が困りはてて答えた。

「そんなことを言っていたようですが、なにも聞かされていないんです。長男の私と二人の妹で、三人きょうだいのはずなんですが」

 ただ、と彼は首をかしげた。

「ずっと若いころに不幸な結婚をしていたのではないかと、亡くなった父が漏らしたことがありました。ひとりで苦しむより、打ち明けてほしかったのでしょう」

 話を聞くと、関夫人の身の上は千穂の母とよく似ていた。貧しい村から町へ出て、苦労の末によき伴侶を得て…… 難しい顔で黙っていた父が、はっとして顔を上げた。

「ご出身は南でしたかね? それならうちのと同じですが」

「いえ、北方のはずです。けれどこうなってしまうと、本当のところはわかりませんね……」

 壮年の息子は、肩を落として呟いた。うつむいた線の細い顔は、近所に知られていた穏やかな夫人にそっくりだ。

 重くなった空気を、叔母がとりなした。

「よくお休みになれば、気持ちがはっきりしてきますよ。そしたら色々話して下さるんじゃないかしら」

 夫人の心には、虫食いのようにまだらになった部分があるのだろう、と叔母は言った。千穂や母に歪んだ思いを抱いてはいたが、それがすべてではないはずだと。

「だって、私たちとてもよくしてもらったのよ。義姉さんが亡くなったあと、よく千穂を預かってくれたし」

 その言葉にうなずきはしたものの、千穂は薄ら寒い思いを消すことができなかった。私の面倒をみていたとき、夫人はなにを「言い聞かせて」いたのだろう。

 夏。暑い部屋だった。陰になったところで、小さな私と向かい合っている夫人。その頭はねじれた正義感で膨れ上がっている。口が開かれ呪文のように唱えはじめる、代をつながないように、子を成さないようにと……

 千穂は首を振り、記憶を追い払った。思い出すにしても、今でなくていい。

 夏散花草(かさんかそう)、という植物について教えてくれたのは、しばらくして様子伺いにやってきた役人だった。

「南でよく生えるんですがね、あっちじゃ酷い嫌われ者なんですよ」

 かつて南方に赴任していたという彼は、縁起の悪い話だが、と前置きをした。

 昔、ある地域を風土病が襲い、母親のお腹の中で命を落とす子どもが急激に増えたことがあった。その辺りは、もともと夏散花草が多く見られたのだが……

「花が散る直前、白から赤色に変わるんですな。それが血みたいで気味が悪いって言われ出して。流行り病はこの花のせいだなんて話になって、すっかり忌まれるようになっちまったんです。毒もなにもないんですがねえ」

 しかし、花が咲く村には偏見と差別が降りかかった。それを聞いて千穂は、貧しかったという母の故郷を思った。父と添おうと決めた彼女は、病が追ってくることを何より恐れ、あのお守りに祈っていたのかもしれない。

「その噂は、今でも残っているんでしょうか」

 そう問うと、役人は「あるところには。大っぴらにはしてませんがね」と顔をしかめた。

「関の婆さんも古い人だし、どこかで小耳に挟んだんでしょう。こちらの奥さんの出身を聞いて、変に思い込んだのかもしれないですな。ま、根拠もなにもでたらめだって、町の人らもわかっていますよ」

 彼は安心させるように告げた。なにかあればまた、と家を辞す役人を見送り、千穂は息をついた。これで、ひとまずの終わりなのだろうか。どこかはっきりしない気持ちで夕暮れの庭に出た。

 役人の話からひとつの考えが浮かんでくる。あの子は、花が血の色に変わるのを見せまいとしたのではないか。そう思いながら何気なくしゃがんでみたとき、彼女は「あっ!」と声を上げた。

 新たな芽がいくつか出ている。

 伸びはじめた茎や、丸みを帯びた葉っぱのかたちは、早くも夏散花草の特徴を示し始めていた。あの夜、夫人の手からこぼれた種が根づいたのかもしれない。

 それで構わない、と千穂は思った。

 もう見知らぬ植物ではない。悪い印なんかでもない。これは、生まれた地から遠く離れて懸命に咲く花だ。母さんと同じように。

 怖がったりしてごめんね、と彼女は呟いた。


 じきに日常が戻ってきて、千穂は後の短い夏を忙しく立ち働いた。

 ついあの騒ぎのことさえ忘れそうになったが、花のほかに唯一の名残として、あの子どもの姿がちらつくことが増えていた。

 うっすらとした影は千穂の周りを歩いたり、庭をぶらぶらしていたりと、ふいに目に入ると驚きはしたが、それだけだった。あいかわらず顔は見えないものの、彼女はその子を自然なものとして扱った。特別に心にかけることも、遠ざけることもせず。

 時たま、この子はいったい誰なのかしらと、答えの出ない謎を遠くから眺める程度だった。

 ただ、そうしているとおぼろげな記憶がよぎることがあった。ずっと小さいころの私には、こういう友だちが他にもいた気がする。「少し変わった子」に寄り添ってくれた、同じくらいの男の子たちや、ちょっとだけ年上のお姉さん。

 そうだった。長いきれいな髪のお姉さん。

「おかあさん、ねんね?」

 これは五才の私。そして、横たわる母を見つめる私のとなりに確かにいた、華やかな単衣をまとった友だち。

「ううん、お別れなのよ。おみおくりしてね、千穂……」

 みんないなくなったと泣いたあの季節は、母が亡くなって初めての夏、ちょうど長い喪が明けたころだった。

 もしかすると、行き場がわからず千穂の相手をしていた彼女たちは、家にきた僧に導いてもらったのかもしれない。それか、優しい母がかわいそうに思い、一緒につれて行ったのかもしれない……

 晩夏の光のふり注ぐ早朝のことだった。

 軒先の掃除をと外に出た千穂の目に、庭に立つあの子の姿が入ってきた。彼女に気がつくと、子どもは薄く透ける手を元気に振った。そして両手を大きく広げると、太陽に向かってぐんと伸ばしてみせた。

 あ、と声を上げる前に、小さな影は光に溶けて消えた。

 さっと涼やかな風が吹きぬける。立ち尽くす千穂の上で、夏蜜柑の葉がさやさやと鳴った。

「実が成ったな」

と声がして、彼女は振り向いた。そこには茶屋の少年が立っている。白っぽい上衣に若紫色の袴を着け、腕組みをして木を見上げる様子は、変わる季節を惜しむ朝顔のようだった。

「リリンさん。あの子、行ってしまいました」

 千穂はあいさつも忘れて呆然と口にした。庭に目をやったリリンは、

「僕は見える方じゃなくてね。白状するとあの晩もはったり半分だった」

と肩をすくめた。それから、我に返って礼を述べようとする千穂を制し、なにかを差し出した。

「これは姉さんから。夏も終わるけど、念のためにと」

 お茶の包みを受けとりながら、千穂は、もう夏を憂うこともないかもしれないと感じた。成長しきってしまったという少しの寂しさも伴いながら。

 そして、今も孤独な心をさまよわせている関夫人が、いつか茶藝館に辿りつけたらいいと思った。もしくは、千穂にとってのあの店と同じようなところへ。

 彼女はふと思い当たった。

「そうだ、お借りした靴を返さないと!」

「いいさ、僕からの餞別(せんべつ)だ。化け狐のお古だけどね」

と少年が肩をすくめる。またおいで、と言ってほしかった気持ちをおさえ、千穂は微笑んだ。色々なことを連れ去った夏だった。

「本当に…… 心から感謝します。お二人のこと、忘れません」

 そう言われると、リリンはにやりとした。

「こちらとしても思い出深い。前、姉さんになんて言ったか覚えているか?」

 千穂が「えっ」と目を丸くすると、少年は楽しそうに続けた。

「忘れたのか。お母さんになってくれって、あんなにだだをこねたのに」

「や、やめてくださいよ! もう私ったら、なんてことを」

 頬を赤くして慌てる彼女を見て、リリンは「姉さんは喜んでいたぞ」と笑った。

「もう一つあるけれど……」

 そう言いかけて、彼は道の先にちらと目をやった。そして、

「まあ、いいか。元気で」

と別れを告げる間もなく歩み去ってしまった。追いかけようかと千穂が道に出たところで、後ろからなじみの声がかかった。

「やあ、おはよう」

 今日も野菜を買い込んだ志典が、笑顔でやってくる。騒ぎがあったのを心配してか、彼はさりげなく顔を見せることが多くなっていた。

 千穂の顔に、ほのかな笑みが広がる。その足は自然と彼の方へ歩み寄っていく。

 遠くから二人の姿を見ていたリリンは、よし、とひとりうなずいた。幼い日の千穂に「リン兄ちゃん、お嫁さんにして!」と乞われたときは弱りきってしまったが、今となってはいい思い出ではないか。

「時効、時効」

 愉快そうに呟きながら、彼は茶藝館への道を戻りはじめた。



                           (第六話 了)

ここまで読んで下さり、誠にありがとうございます。

今回の更新で、予定話数の半分に達しました。後半もお付き合い頂けるように頑張ります。

第七話は月にウサギが跳ねます。

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