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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第六話
33/74

夏散花草(二)

 その可憐な少女は、「ようこそおいでませ」と旧知の友のように微笑みかけた。

さっぱりした柳色の上衣に、紅の前掛けがしっくり馴染んでいる。細やかな歩みに合わせて、鴨羽緑(かものはみどり)の裳がさらさらと音を立てた。

 彼女が(あるじ)だと名乗ったので、千穂は驚きの声を上げた。

「こんなに立派なお店を、お二人で切り盛りされているんですか」

「たいして忙しくないからな、残念ながら」

と、厨房に向かいかけた少年が答える。

 そうはいっても、続けていくだけで大変だろう。感じ入った千穂は、古いながらも手入れの行き届いている店内を見渡した。

 そして、通された卓に飾られているのが凛々しい剣のような葉であることに気づくと、ふと安心感を覚えた。ここに花はない。

「千穂さん、お疲れが取れないようですね」

 小首をかしげたロクハが尋ねると、頭にとめた水晶の飾り櫛が涼しげにきらめいた。客人はすすめられた杯に口をつけ、少し恥ずかしそうにうなずく。

「なんだか気が休まらなくて。生まれ月なのに、季節が身体に合わないようです」

 ちょっと失礼します、と少女が千穂の手を取り、たおやかな指をあてがった。

「脈は正常ですね。冷えもむくみもなし…… 熱は」

と、今度は額に手を添えてくる。初対面の女の子にされるがままだが、それがなぜか心地よい。碗の中の生姜糖(しょうがとう)がすっと香り、彼女は目を閉じた。

「熱もなし。ただ、お顔の色が冴えないのが気になります」

「それが、夏の間はいつもこうなんです。昨日、お客さんにまで心配されてしまったんですよ」

 家で修繕屋をしているというと、ロクハはにわかに目を輝かせた。

「まあ、私もお願いしてもよろしいでしょうか! 蒸し鍋の取っ手に巻いていた(とう)がボロボロなんです。リリン、ちょっと持ってきてくれる?」

 見せられた取っ手が本当にひどい有様だったので、千穂はつい笑ってしまった。これでは饅頭を蒸すにも一苦労だろう。

「ええ、二日でお直しします。籐の色も選べますよ」

「じゃあ、リリンに選んでもらいましょう。一番使う人に」

 ロクハが言うと、千穂は「弟さんがお料理を?」と目を見張った。料理人といえば志典を思い浮かべるが、あの少年は彼とまったく趣が異なっている。

 姉はお手上げというように笑ってみせた。

「はい。なんでも私より美味しく作ってしまうので、姉としては複雑ですわ」

 たわいない話を続けるうちに、彼女はここしばらく失っていた活力が戻ってくるのを感じていた。

「姉さん、もう沸く」

 姉より年上に見える少年が声をかける。おしゃべりに夢中になっていたロクハは、あたふたと茶葉棚に駆け寄った。

 ほのぼのとした光景を見ていると、なんだか楽しくなってくる。千穂はリリンの見事な湯切りに興じ、ロクハが炊いたほどよい甘さの小豆とつやつやの白玉を喜んだ。

 そして、優しい薄みどりのお茶は、茶器を温めながらとてもていねいに淹れられた。口に含んだお茶は青い香りと苦味があったが、舌の上を滑っていくそれは不快なものではない。

 ひと息ついて我に返ると、彼女は急にきまり悪くなった。

「私ったら、年甲斐もなくはしゃいでしまって」

 しかしロクハは穏やかな笑みとともに「いいんですよ」とうなずいた。

 瞬間的に、まぶたにとある姿が浮かび、千穂は動きを止めた。

「千穂さん?」

 少女が大きな瞳でのぞき込んでくる。彼女は慌てて手を振ってみせた。

「すみません、すぐぼうっとして……」

 どうかしている。自分の半分ちかい年ごろの女の子に、亡き母の面影を見るなんて。いよいよ気恥ずかしくなった彼女は、お茶を干したのをきっかけにして席を立った。

「あっ、それではこちらを」

 いつの間に用意したのか、ロクハが小さな包みを差し出す。淡い黄色の上質な紙に、濃い緑のひもで封がされている。

「お出ししたお茶と同じ調合で、心の熱を取るのです。お疲れを覚えたら飲んでください」

 では代金を、と小袋を取りだしかけると、鍋の修繕を代わりにしてほしいと止められてしまった。それだけではとても釣り合いが取れないが、ロクハは構わないらしかった。

「無理をなさらないでくださいね」

 戸口で別れるとき、彼女は千穂の手をぎゅっと包みながら、なんともやわらかな声をかけてくれた。

「素敵なお姉さんで、羨ましいです」

 道案内に立ったリリンにそう言うと、少年はこともなげに「ああ」と答えた。そしてちらと振り向いて尋ねてきた。

「きょうだいは、いないんだったな」

「ええ。いとこも無いもので、家にいるときはいつも一人遊びでした」

 そう答えながら、小さなつっかかりを覚えていた。本当にそうだったろうか? そんなとき、誰かが隣にいてくれたような気がする……

「じゃあ、ここで。三、四日したら受け取りに行く」

 リリンの声に顔を上げると、二人は見慣れた町外れの道に立っているのだった。

「何からなにまで、ご親切に」

 頭を下げた彼女に、彼は、

「またおいで」

と砕けた調子で言った。まるで小さな子どもにかけるような声だったので、やっぱり浮かれすぎたようだ、と千穂は冷や汗を隠して別れを告げた。


 ロクハにもらったお茶はよく効いたが、その減りは予想以上に早かった。ついでに味をみた父と叔母まで気に入ってしまい、結局三人で飲むようになったからだ。

 急須をのぞいた叔母が、興味深そうに声を上げた。

「見て、干した苦瓜なんて入ってる。変わってるけれどおいしいわねえ、どこで買ってきたの?」

 千穂は少し迷ったが、偶然おとずれた茶店でいただいたと正直に話した。

「新しいお店かしら。そのうちつれていってよ」

「ええ、そうね」

 そう答えたものの、なんとなくその機会はこない気がしていた。茶の香りをかいでいた父は、

「こりゃえらく上等なんじゃないか。ちゃんとお代を渡しなさい、商売というのは大変なんだから……」

とそればかり心配していて、女たちは顔を見合わせて肩をすくめた。

 元気の戻ってきた千穂は、ある朝、ひさしぶりに庭の手入れに下り立った。ひしゃくで水をまき、雑草を抜いて回る。

 そうだ、あの花はどうなったかしら。

 ふと思い出し、何気なく竹垣の端に目を向けた途端、心臓がどくんと重く打った。

 名も知らぬ植物は思いがけないほど育っていた。

 かぶさっていた擬宝珠の葉をつき破るように伸びた茎、そのすき間をみっしりと白い花が埋める。丸みと重さのある花たちは湿った生々しさをさらけ出し、押し合いながらひしめき、うごめいてさえ見える。ぞわぞわぞわと音が聞こえてくる……

 嫌な熱がじっとりとまとわりつき、千穂の頬を汗が伝った。

 やっと目をそらした彼女は、(くりや)へと駆け込んだ。急いで茶筒を手に取ったが、手ごたえがない。

「あら、昨日の分で終わっちゃったわよ」

 叔母が卓を拭きながら軽い声をかけた。茶葉の残り香を感じながら、千穂は大きな不安に包まれ始めていた。

 灰色の空の一日は、風ひとつ吹かずどんよりと間延びしているようだった。

 彼女は息苦しさを感じながらも作業部屋に座っていたが、夕刻、こらえきれずに家の前に出て道を見回した。

 薄暗い家並みの間を、影法師のような人々がぽつぽつと歩いている。しかし、茶屋の少年の姿はどこにもない。

「おや、出迎えか」

 ふと気づくと、工房から戻った父が汗をぬぐいつつ近づいてくるのだった。千穂はむりやり笑顔を作り、彼の荷物を受け取った。

 庭の横を通るときは顔を伏せた。が、視界のすみであの花がはっきりとそびえ立っているのがわかる。

 その傍らにたたずむ細い二本の脚を、彼女の目は確かにとらえていた。

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