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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第六話
32/74

夏散花草(一)

※少しだけですがホラー要素を含みます。苦手な方はご注意ください。

挿絵(By みてみん)


 庭のすみに見知らぬ花が咲いた。

 朝餉(あさげ)の席で千穂(ちほ)がそういうと、父も叔母も揃って窓に目を向けた。

「なにか植えたのかい、糸江(いとえ)

「庭は千穂にまかせっきりですよ。どれ?」

 叔母が粥をよそいながらさらに首を伸ばしたので、千穂は手を挙げて遮った。

「ここからじゃ見えなくて、垣根のきわの白い花。擬宝珠(ぎぼうし)の陰になってて気づかなかったの」

 あとで見てみるわ、と叔母は簡単に答え、湯の沸きあがった鉄瓶へとせわしなく歩み寄る。粥をすすって早くも汗をかいている父は、それ以上の関心を示さなかった。

「朝のうちに追坂(ついさか)飯店さんが受け取りにくるから。預り証をちゃんともらうんだぞ、よく確認してな」

と、いそいそと器を片づけて立ち上がる。娘が仕事を手伝うようになってもう十年以上経つのに、いまだに細かく言い置かないと不安らしい。

「はい、確かに。いってらっしゃい」

 戸口に見送りに立った彼女に目をやると、父は自然なふうを装って言った。

「見合いの話、考えたか」

 考えるもなにも、と千穂は眉を下げ、静かに答えた。

「お断りしてって、言ったはずよ」

「考え直したかってことだ」

 朝の光を浴びた四角い顔は、いつもより年をとって見える。いま言い合いしても仕方ないと思い、彼女はあいまいに微笑んで手を振った。

 うつむいて歩いていく父の姿に居心地の悪さが残り、ごまかすように庭に出る。

 庭といっても特別なものではなく、夏蜜柑(なつみかん)の木だけでいっぱいになるほどの狭さだ。今年もよく花をつけているので、じきに大きな実を結ぶはずだ。

 普通、夏蜜柑の収穫期はもっと早い。八月生まれの千穂のために、両親がわざわざ晩生(おそな)りの種を探したのだった。

 一緒に育ってきた、私のための木。それなのに、見上げるたび気分が重くなるのはどうしてだろう。

「千穂、洗い物をお願い。早くしないとお客さんきちゃうわ」

 窓から叔母の元気な声が飛んでくる。千穂は謎の花をあらためるのも忘れ、急いで中に戻った。

 父は鍛冶工房にかよい、鍋だの(すき)だの日用の品を作っている。家の方では雑貨の修繕を請け負っていて、近隣からこまごまとしたものが運びこまれる。それを受けつけたり、時にはみずから直したりするのが千穂の仕事だった。

 この先もこうやって続けていくのだろう、と彼女は思っていたが、このごろ父がこんなことを漏らすようになった。

「いつまでもうちにいることないんだ。もっといい家に嫁に行きな」

 八月が終わるころ、千穂は二十五になる。同年代の娘さんたちがとっくに他家へ嫁いでいることに気づき、さすがに心配し始めたようだ。

「私は、今の暮らしが好きなの」

 そう答えると、彼は複雑な表情で黙ってしまう。家業に心をさいてくれるのが嬉しい反面、うちじゃ婿はとれないだろうなと諦めている顔だ。

 静かな親子のかけひきを終わらせるのはいつも、明るい叔母だった。

「兄さん、今すぐは無理ですよ。式を挙げるにもその髪を伸ばさなきゃね。一年はかかるかしら」

 千穂の髪は、成人女性にしては珍しいほど短くしてある。首にまとわりつく感覚や、結って引っぱられるのがどうしても嫌で、子どものころからずっと同じような頭だ。

 これについても父は時々なにか言いたそうにしていたが、やはり叔母が収めてしまうのだった。

「いいじゃないですか、千穂らしくて」

 この言葉のとおり、少し変わった子、という周りの認識は昔から一貫している。

 口数の少なさは父ゆずりだが、外を走り回るより、じっくりと景色や物を見ることを好んだ。家の中でも、ただの壁や板目を熱心に眺めていることがよくあって、一体なにが見えているのやらと大人たちは(いぶか)しがっていたという。

 髪のことも手伝って、長じた今では、近所での評判は「働き者だけど、少し変わったお嬢さん」とあいなったのだった。もうすぐお嬢さんとも呼べなくなるが……

 夏が憂鬱なのは、年をとるせいかしら。

 飾りっ気のないわりに、こんなところだけ人並みの女性のようだ、と千穂はくすりとした。

「ご免ください、追坂飯店です!」

と、のれんを張った戸口から威勢のいい声がして、彼女は帳面を手に立ち上がった。


「そういえば、志典(してん)さんはまだ独り身だったわねえ。あれはいい人よ、千穂」

 一息ついた午後、ついに叔母までそんなことを言い出したので、千穂はつくろっていたざるを置いて天を仰いだ。

 志典とは、朝方やってきた料理人の青年だ。鍋などの修繕を頼んでくるなじみの飯店に勤めていて、引き取り役はいつも彼だった。

「おはよう千穂さん、朝から暑いな」

 身長があまりなく、ずんぐりとした天道虫のようだが、はきはきしてよく通る声が人柄を表している。

「本当に。厨房は大変でしょう」

「うん、牛脂より先に僕が溶けちまうよ」

 そう言ってはにかんだ顔を思い出す。確かに彼は好人物で、顔を合わせれば少々の会話はする。しかしそれだけの間柄でしかない。

 開け放した部屋でも、じりじりと暑い。窓にのぞく庭は鮮烈な光の中で静止画のように目に焼きつく。早くこの季節がすぎてしまうように、彼女はこっそりと願っていた。

 預かった道具を直しては返し、また引き受けて……

 いつもと同じ日々のはずが、今年は特に時間の進みが遅いように思える。そのくせ、なにかに追われているような気持ちが消えず、千穂の疲れはたまる一方だった。

 数日して、再び店にやってきた志典は、その顔色を見るなり心配そうに言った。

「暑さ負けかもしれない。一度、診てもらいな」

「そうかしら……」

 大げさではないかと千穂は迷ったが、青年はきっぱりと告げた。

「だってあんまり食べてなさそうだし、そいつはよくないよ」

 料理人らしい判断のつけ方に、彼女はやせた頬を思わずゆるめた。

 ちょうど次の日、店を休みにしていたので、千穂は買い物のふりをしてさりげなく家を出た。父や叔母にいらぬ気苦労はかけたくない。

 日よけの頭巾をかぶって歩いていると、脇の家から、

「あら、こんにちは」

と声がかかった。白髪の老婦人が軒先で笑顔を見せている。

(せき)の奥様。今日もお暑いですね」

 千穂が頭を下げると、彼女はうきうきした様子で声をひそめた。

「お見合いの話がきたんですって? どんなお相手か教えてちょうだいよ、必ず内緒にしますから」

 どうといわれても、釣り書きすら見ていない。噂の走る速さにうんざりしながら、お茶を濁してそそくさと立ち去った。彼女は古くからのご近所さんで、幼いころなどよく面倒をみてもらった優しい夫人だが、長く知り合いすぎているというのは時にやりづらい。

 ぱっきりと青い空に、もくもくと積みあがる雲。すばらしい眺めにも心は沈んでいくばかりだった。

 おや、と彼女は足を止めた。

 下ばかり見て歩いたせいか、知らない道に入ってしまったようだ。両脇に木々がしげり、目の前には坂が続いている。こんな場所、町にあったろうか。

 困った千穂があたりを見回していると、突然に声がした。

「そこの人、どうか」

 はっと振り向いた先には、籠を背負った少年が立っている。深くかぶった笠の下から、意志の強い目が彼女を射抜いた。町の人々とは様子が違うように思える。

「あの、道に迷ったようで…… 伏野(ふせの)の薬師さんには、どちらに行けばよいでしょう」

 鼓動を落ちつかせながら問うと、少年は千穂の顔をじっと見つめた。

「薬より、休息が必要に見える。ついてこい」

「えっ、は、はい……」

 神託を告げるかのような、妙な説得力のこもった口調につき動かされ、千穂は背を向けた彼を慌てて追いかけ始めた。

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