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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第五話
31/74

太刀風渡る海(六)

 牙骨丘から西に帰った玄は、休む間もなく最大の港・波母(はぼ)に向かった。

 貿易の一大拠点であるこの場所では、外の国の者に多く出会える。彼は、時間を持てあましている異人の船乗りを片っぱしから酒場へ誘った。

 身ぶり手ぶりの奮闘のかいは、じゅうぶんあった。

 ずっと南方の国から来たという、見事な黒い肌を持つ若者が、何百年も前に小舟に乗ってやってきた“大熊(ジベラ)”と呼ばれる人物の伝承を教えてくれたのだった。

「そ、そいつは強かったか。刀を持ってたろう」

 興奮した玄が太刀を振り下ろす真似をしてみせると、相手はなにやら楽しそうに声を上げ、笑いながら何度もうなずいた。周りの客が何ごとかと赤ら顔でふり返る。

 喧騒の中で玄はひとり打ち震えた。

 ロクハたちが推測したとおり、丈灰門は海を渡っていた。渡りきったのだ。

 もう一杯おごってやると、黒肌の青年は彼を船まで連れて行ってくれた。仲間の一人に話しかけると、その男は「イル、ジベラ」と言いながら刀を打ち合う動作を始めた。雄大で流麗な動きは、でたらめなどではない。きちんとした型に沿っている。

 悪鬼と呼ばれる武人が国を捨ててまで残そうとしたものを、玄はようやく理解した。

 時を同じくして、舟唄の謎にあたりをつけたのはリリンだった。

 玄が帰ってからも地道に説話を洗っていた彼は、西方でもごく一部の地域に伝わる妖怪の記述を見つけたのだ。

「“舟送り”。月の夜、浜に立って物悲しい舟唄を歌う。聴いた者は、数日のあいだ心が落ち込む」

と読み上げた彼の顔を、ロクハがのぞき込む。

「それが、丈灰門を見送る基豪の姿だったかもしれないのね」

「推測にすぎないけど、筋は通るよ。誰かが基豪と舟唄の結びつきを知っていて、後々、回りまわって祭りに入り込んだとも考えられる」

 姉はほうっと息をついた。

「そうだといいなあ…… ううん、きっとそうよ。やっぱり兄弟は仲良くなくっちゃ、私たちみたいにね!」

 何に同意したやら、「そういうことにしておくか」とだけ言ったリリンだったが、

「それにしても」

と小さく呟いた。実に不満げな口調だ。

「どうして基豪が妖怪にされなきゃいけないんだ。あんなに格好いいのに、失礼な話じゃあないか」

 今日はロクハが吹き出す番だった。ころころと笑い声を上げる姉の前で、少年はなお納得のいかない顔で古書を見つめていた。

 三人が辿りつけなかったことが一つある。例の外道茶は、近代になってから貿易の開始とともにあの南方の国から伝わったものだ。そして現地では“熊の口”と呼ばれ、今も親しまれているのだった。

 いずれさらなる国交の発展に従って、丈灰門の真実も知られるようになるかもしれない。

 波母の広い港には、帆を下ろした大きな船が何隻もとまっている。なんと勇壮な眺めだろう。玄は風渡る大海原の入り口に立ち、はるか水平線の先にこう呼びかけていた。

 おい、丈灰門! 俺は知ってるぞ。知っているからな!


 ぎこちなく櫂をこぎ始めた我尊の耳に、それは届いた。

 遠くなった浜をふり返ると、凸岩の上に基豪が立っている。波に負けじと声を張り、舟唄を歌っている。

 小舟に乗りかけたとき、我尊は思わず「ぬしも来るか」と声をかけた。しかし弟は、食料も水も一人分だとかぶりを振った。

「この先を生き延びられたら、私も流派を広めよう。奥義は抜けているが」

 十年ぶりのかすかな笑顔を見て、彼は遠からず命を落とすと兄は直感した。基豪自身も、それをじゅうぶんわかっているようだった。

 我尊はそれ以上なにも言わず、静かに月の海へと乗り出した。未知なる旅、そして大きな賭けの始まりにしては情緒的にすぎる景色だ。

 流れ出した歌はその情景によく添うものだった。

 波は、優しく力強く舟を押し出す。どんどん小さくなってゆく基豪が太刀を掲げると、月明かりをはじいた刃が白く光った。我尊も応えるように刀を突き上げる。

 兄弟の瞳から、こらえていた涙が流れ落ちた。


 その後の基豪について少し触れておく。

 悪帝が倒されたあとの国は千々に割れ、史上最大の群雄割拠(かっきょ)時代が到来した。南に下った基豪は賢将に仕え活躍したと言われるが、国の平定を導くにはついぞ至らなかった。

 彼の最期には諸説あり、終焉の地は定かではない。リリン少年がもっとも気に入っているのは、次のようなものだ。

 大河をまたいだ戦いで、数で押された南軍は劣勢に陥りつつあった。それにいち早く気づいた基豪は、ひとり馬を駆って敵陣へ向かう。不意をつかれた相手方の足並みは乱れ、その隙に軍は退却に成功、甚大な被害をまぬがれることができた。

 馬上の基豪はそれを見とどけても二刀流をふるい続けたが、ついに矢を受けて絶命する。

 亡骸を乗せた愛馬は「我が主を誰にも渡すものか」といななき、海へつなぐ河口を目指して走り去っていった。

その一迅の風のごとき速さ、鮮やかさに、敵軍はけして追いつくことができなかったという。



                           (第五話 了)

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

第六話は夏の庭から始まる話です。

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