太刀風渡る海(五)
一頭の駿馬が木々の間を駆けていく。
薄暗い夏の宵の口、砂をはね上げるひづめの音が潮騒に乗る。松の林を抜けると、岩場に囲まれた小さな浜が現れた。
波打ち際に立つ人影を認めると、ひげ面の大男は馬から飛び降りた。
「基豪ぉ!」
獣のような咆哮が風をふるわす。彼は背に負った大太刀を勢いよく引き抜いた。
「ぬしの蛮勇に免じて一人で来てやったわい。実に十年か、われらが道を違えてから……」
「左様」
と、薄闇の中に青年が進み出てくる。
「汝が帝のもとに下って、ちょうど十年になる」
細面に柳眉の際立つ、自らとひとつも似たところのない弟の顔を、丈灰門我尊はぎろりと睨みつけた。
「わしの悪評を聞き、いまさら正義面をしに参ったか。ぬしとて昔はけちな賊だったろうによ」
挑発を受け流し、基豪は黙って太刀を抜いた。兄の得物より一回り小さいが、幅広の流線型は同じ、風波璃流の基本となる太剣だ。
彼の構えを見た丈灰門は考えを改めた。弟が鍛錬を積んだこと、本気であることはすぐに分かる。
「……よかろう」
低く唸るやいなや、兄は大太刀を突き出して一気に間合いを詰めにかかった。夜空に薄い月が昇っていく中、二人は火花を散らしてひたすらに戦い続けた。共に修練に励んでいたころのように。
刃をふるいながら、小さな基豪がいつにも増してべそをかいた日があったのを、丈灰門は思い返していた。
「秘伝を教えるのは一人だけだって。兄貴ってばずるいや」
年の離れた弟はなんでも兄と一緒にしたがった。熊にひよこがくっついている、と大人たちがよく笑ったものだ。
「そうやって泣いてるから強くなれねえんだぞ。ほらよ!」
木の枝で頭をこつんとやると、基豪はすぐむきになって向かってくる。我尊は笑いながら枝を打ち合った。
まさかこんな時が来ようとは。
兄弟は距離をとって向かい合った。思いがけず長びく戦いに、さしもの丈灰門も肩を上下させていた。
しかし重い一撃を避け、はね返し続けた基豪の消耗は、それを上回っていた。月明かりに浮かぶ顔は険しく、悲壮さを漂わせている。
「毘両帝は……」
荒い息の下、彼が口を開いた。
「じきに、倒れる」
「なにを言う。我が主君は飛ぶ鳥落とす勢いで蛮族どもを退治しておるわ」
丈灰門が一蹴しても、弟は冷静だった。
「いまや中央がおろそかに。有力な将が兵を集めつつあると、帝は気づいているか」
彼は兄と決別してから平民に身をやつし、朝廷転覆の機運や、諸侯の動向を追い続けていた。
そして今、悪辣な侵略政策や臣を切り捨てる非情さに異を唱える者がつどい、いよいよ士気が高まっているのだった。
「謀反者なぞ、わしが一手に散らしてくれようぞ!」
丈灰門の太刀がうなりを上げて迫る。基豪はとっさに手を添えた刃で受け止めた。
押し合う刃がぎりぎりと耳障りな音を立てる。少しずつ押され、基豪の足元の砂がえぐれ出す。
「忠告は聞くが、これまでだ。退け、基豪」
地を這うような声にも、弟は「話は終わっていない」と剣を納めなかった。
「帝が討たれれば、将同士の争いが全土で起こる。汝とて生き残れまい」
震え始めた刃と腕の間から、決意をたたえた目が丈灰門を貫いた。
「このまま、戦いの果てに無に帰すつもりか。修羅の道を選んでまで守ってきたものを!」
母の悲鳴で目を覚ました我尊は、家の一角が燃え上がっているのを見るや弟をたたき起こした。
「豪、刀を持て。早く!」
「行くぞ、遅れるな!」
父が脚の悪い祖母を背負って叫ぶ。一家は急いで真夜中の村へ飛び出した。
すべてが燃えている。
向かいの家族が、焼け落ちた小屋の前で折り重なって倒れている。浜へ逃れようとする中、あちこちで同じような光景が目に入ってきた。
馬の足音に追われ、彼らは小さな林に逃げ込んだ。焼け出されてきた人々が震えながら息をひそめている。その目前を、武装した将や兵士が駆け抜ける。
「朝廷の兵だ」
誰ともなくささやきが起こる。領地をめぐりこの地の豪族と揉めていると聞いていたが、これほどの戦になるとは。掲げられた剣が血に塗れているのを、彼らは凍りついて見送った。
顔ぶれを見回していた我尊は、道場の者が一人もいないことに気づいて思わず身を起こした。
「尊、よせ。浜に行くんだ」
父が厳しい顔で止めたが、彼は「すぐ追いかける」と言い置いて林を走り出た。
少年は、兵が斬り合うそばを夢中で駆け抜けた。やっと見えてきた道場にはすでに火が立っている。庭先では数多の兵が地に伏し、その間で兄弟子たちが刀を手に事切れていた。
我尊は道場の中へ飛び込んだ。
「お師さん!」
倒れていた師を抱き起こした瞬間、彼の両手に血が滴る。必死に呼びかけ続けると、師は閉じかけていた目をうっすらと開いた。
そしてわずかな息をふり絞り、言い遺したのだった。
「我らの流派を、頼む……」
少年は、震える腕で亡骸を横たえた。そのすぐ傍らで、炎が板敷きに照り映えていた。
浜へ逃げた人々は助からなかった。村人にまぎれた残党を根こそぎにせんと、朝廷兵が先回りしていたのだ。
ただひとり、混乱に乗じて岩場に隠された基豪は、朝焼けの海の前で呆然と座りこんでいた。我尊が肩を揺さぶっても、冷たくなった母の手を握ったまま動かない。
それを引きはがし、腰に佩いていた刀を持たせると、弟は指が白くなるほどに柄を握りしめた。
「……そうだ」
兄は、煤や涙で汚れた顔を隠さずに基豪と視線を交えた。
「戦うぞ、豪。俺たちは生き抜いてやるんだ、なにがあっても!」
村を逃れた二人はやがて腕の立つ者を集め、朝廷兵を狩る賊と呼ばれるようになった。
彼らにいち早く目をつけたのが、まだ皇子の身だった後の毘両帝だ。父帝が賊の掃討を企てていることを、みずから首領の我尊に伝えにきたのである。
「私と手を結ばねば、お前たちの行く末には死が待つのみぞ。わが野望に与せよ。世を平定する大いなる力の一端となれ」
若き皇子の言葉に、先の見えない日々に疲れていた我尊は餓鬼のごとく惹かれた。しかし朝廷への憎悪に駆られつづけていた基豪は、その内紛に関わることに強く反対した。
「彼奴は危険すぎる。利用されるだけだと、なぜわからぬ!」
「ではどうする、何百という兵に我らが勝てると思うか!」
我尊が決断を下した日、弟は姿を消した。彼は古い仲間を少しずつ失い、鬼と恐れられながらも、主君の命を信じひたすら戦いつづけてきたのだ。いつか平和になった地で、ふたたび道場を開けるかもしれないと淡い希望を抱きながら。
だが、国はいまだ戦火の中にある……
月に浮かぶ武人の姿は、悲しかった。刃を交わしたまま基豪が苦しそうに告げた。
「そこの岩陰に、舟が」
唐突な言葉に、丈灰門は太い眉を上げた。
「何を申すのだ」
「どうか乗ってくれ。もはや外つ国へ渡るほかはない」
一瞬、基豪の目に涙が盛り上がったが、ついに流れ落ちることはなかった。
「生きて、太平の国を目指すんだ。この戦乱の世に風波璃の剣までは奪わせまい。そうだろう、兄者」
ひときわ高い波が、ざあっと轟いて白く散った。
「弟よ……」
兄が顔を歪めて呟く。その手から、次第に力が引いていった。




