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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第五話
30/74

太刀風渡る海(五)

 一頭の駿馬(しゅんめ)が木々の間を駆けていく。

 薄暗い夏の宵の口、砂をはね上げるひづめの音が潮騒(しおさい)に乗る。松の林を抜けると、岩場に囲まれた小さな浜が現れた。

 波打ち際に立つ人影を認めると、ひげ面の大男は馬から飛び降りた。

「基豪ぉ!」

 獣のような咆哮が風をふるわす。彼は背に負った大太刀を勢いよく引き抜いた。

「ぬしの蛮勇に免じて一人で来てやったわい。実に十年か、われらが道を(たが)えてから……」

「左様」

と、薄闇の中に青年が進み出てくる。

(なれ)が帝のもとに下って、ちょうど十年になる」

 細面に柳眉(りゅうび)の際立つ、自らとひとつも似たところのない弟の顔を、丈灰門我尊(がそん)はぎろりと睨みつけた。

「わしの悪評を聞き、いまさら正義面をしに参ったか。ぬしとて昔はけちな賊だったろうによ」

 挑発を受け流し、基豪は黙って太刀を抜いた。兄の得物より一回り小さいが、幅広の流線型は同じ、風波璃(かざはり)流の基本となる太剣だ。

 彼の構えを見た丈灰門は考えを改めた。弟が鍛錬を積んだこと、本気であることはすぐに分かる。

「……よかろう」

 低く唸るやいなや、兄は大太刀を突き出して一気に間合いを詰めにかかった。夜空に薄い月が昇っていく中、二人は火花を散らしてひたすらに戦い続けた。共に修練に励んでいたころのように。

 刃をふるいながら、小さな基豪がいつにも増してべそをかいた日があったのを、丈灰門は思い返していた。

「秘伝を教えるのは一人だけだって。兄貴ってばずるいや」

 年の離れた弟はなんでも兄と一緒にしたがった。熊にひよこがくっついている、と大人たちがよく笑ったものだ。

「そうやって泣いてるから強くなれねえんだぞ。ほらよ!」

 木の枝で頭をこつんとやると、基豪はすぐむきになって向かってくる。我尊は笑いながら枝を打ち合った。

 まさかこんな時が来ようとは。

 兄弟は距離をとって向かい合った。思いがけず長びく戦いに、さしもの丈灰門も肩を上下させていた。

 しかし重い一撃を避け、はね返し続けた基豪の消耗は、それを上回っていた。月明かりに浮かぶ顔は険しく、悲壮さを漂わせている。

毘両(びりょう)帝は……」

 荒い息の下、彼が口を開いた。

「じきに、倒れる」

「なにを言う。我が主君は飛ぶ鳥落とす勢いで蛮族どもを退治しておるわ」

 丈灰門が一蹴しても、弟は冷静だった。

「いまや中央がおろそかに。有力な将が兵を集めつつあると、帝は気づいているか」

 彼は兄と決別してから平民に身をやつし、朝廷転覆の機運や、諸侯の動向を追い続けていた。

 そして今、悪辣な侵略政策や臣を切り捨てる非情さに異を唱える者がつどい、いよいよ士気が高まっているのだった。

「謀反者なぞ、わしが一手に散らしてくれようぞ!」

 丈灰門の太刀がうなりを上げて迫る。基豪はとっさに手を添えた刃で受け止めた。

 押し合う刃がぎりぎりと耳障りな音を立てる。少しずつ押され、基豪の足元の砂がえぐれ出す。

「忠告は聞くが、これまでだ。退け、基豪」

 地を這うような声にも、弟は「話は終わっていない」と剣を納めなかった。

「帝が討たれれば、将同士の争いが全土で起こる。汝とて生き残れまい」

 震え始めた刃と腕の間から、決意をたたえた目が丈灰門を貫いた。

「このまま、戦いの果てに無に帰すつもりか。修羅の道を選んでまで守ってきたものを!」


 母の悲鳴で目を覚ました我尊(がそん)は、家の一角が燃え上がっているのを見るや弟をたたき起こした。

「豪、刀を持て。早く!」

「行くぞ、遅れるな!」

 父が脚の悪い祖母を背負って叫ぶ。一家は急いで真夜中の村へ飛び出した。

 すべてが燃えている。

 向かいの家族が、焼け落ちた小屋の前で折り重なって倒れている。浜へ逃れようとする中、あちこちで同じような光景が目に入ってきた。

 馬の足音に追われ、彼らは小さな林に逃げ込んだ。焼け出されてきた人々が震えながら息をひそめている。その目前を、武装した将や兵士が駆け抜ける。

「朝廷の兵だ」

 誰ともなくささやきが起こる。領地をめぐりこの地の豪族と揉めていると聞いていたが、これほどの戦になるとは。掲げられた剣が血に塗れているのを、彼らは凍りついて見送った。

 顔ぶれを見回していた我尊は、道場の者が一人もいないことに気づいて思わず身を起こした。

「尊、よせ。浜に行くんだ」

 父が厳しい顔で止めたが、彼は「すぐ追いかける」と言い置いて林を走り出た。

 少年は、兵が斬り合うそばを夢中で駆け抜けた。やっと見えてきた道場にはすでに火が立っている。庭先では数多の兵が地に伏し、その間で兄弟子たちが刀を手に事切れていた。

 我尊は道場の中へ飛び込んだ。

「お師さん!」

 倒れていた師を抱き起こした瞬間、彼の両手に血が(したた)る。必死に呼びかけ続けると、師は閉じかけていた目をうっすらと開いた。

 そしてわずかな息をふり絞り、言い遺したのだった。

「我らの流派を、頼む……」

 少年は、震える腕で亡骸を横たえた。そのすぐ傍らで、炎が板敷きに照り映えていた。

 浜へ逃げた人々は助からなかった。村人にまぎれた残党を根こそぎにせんと、朝廷兵が先回りしていたのだ。

 ただひとり、混乱に乗じて岩場に隠された基豪は、朝焼けの海の前で呆然と座りこんでいた。我尊が肩を揺さぶっても、冷たくなった母の手を握ったまま動かない。

 それを引きはがし、腰に()いていた刀を持たせると、弟は指が白くなるほどに柄を握りしめた。

「……そうだ」

 兄は、煤や涙で汚れた顔を隠さずに基豪と視線を交えた。

「戦うぞ、豪。俺たちは生き抜いてやるんだ、なにがあっても!」

 村を逃れた二人はやがて腕の立つ者を集め、朝廷兵を狩る賊と呼ばれるようになった。

 彼らにいち早く目をつけたのが、まだ皇子の身だった後の毘両帝だ。父帝が賊の掃討を企てていることを、みずから首領の我尊に伝えにきたのである。

「私と手を結ばねば、お前たちの行く末には死が待つのみぞ。わが野望に(くみ)せよ。世を平定する大いなる力の一端となれ」

 若き皇子の言葉に、先の見えない日々に疲れていた我尊は餓鬼のごとく惹かれた。しかし朝廷への憎悪に駆られつづけていた基豪は、その内紛に関わることに強く反対した。

彼奴(きゃつ)は危険すぎる。利用されるだけだと、なぜわからぬ!」

「ではどうする、何百という兵に我らが勝てると思うか!」

 我尊が決断を下した日、弟は姿を消した。彼は古い仲間を少しずつ失い、鬼と恐れられながらも、主君の命を信じひたすら戦いつづけてきたのだ。いつか平和になった地で、ふたたび道場を開けるかもしれないと淡い希望を抱きながら。

 だが、国はいまだ戦火の中にある……

 月に浮かぶ武人の姿は、悲しかった。刃を交わしたまま基豪が苦しそうに告げた。

「そこの岩陰に、舟が」

 唐突な言葉に、丈灰門は太い眉を上げた。

「何を申すのだ」

「どうか乗ってくれ。もはや()つ国へ渡るほかはない」

 一瞬、基豪の目に涙が盛り上がったが、ついに流れ落ちることはなかった。

「生きて、太平の国を目指すんだ。この戦乱の世に風波璃の剣までは奪わせまい。そうだろう、兄者」

 ひときわ高い波が、ざあっと轟いて白く散った。

「弟よ……」

 兄が顔を歪めて呟く。その手から、次第に力が引いていった。

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