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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第一話
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竜紋玉の約束(三)

 長居したと思ったが、店を出た時も辺りは明るかった。これなら間に合いそうだと一真は安堵した。

「落ちないように見張ってやろう」

と、菅笠を被ったリリンが案内に立ってくれた。一真が振り向くと、戸口からロクハが手を振っている。

 店は平屋だが大きく立派な造りで、相当に古かった。瓦ぶきの屋根は色あせ、軒に掲げた看板の字も時代にかすんでいる。しかしそこに不快な暗さはなく、ずっと忘れていた昔話を聞いた時のような懐かしさが呼び起こされた。

 何となく大声を出すのが憚られ、一真は手を振り返すに留めた。

 リリンの歩みは速かった。獣道を進む彼を必死で追いかけるうちに、見覚えのある道に出た。あと少し下れば山道の入り口だ。

「すっかり世話になったな。いいお茶をごちそうさま」

 彼が手を差し出すと、意外にも少年はすんなりと握手に応じた。

「香りはしばらく残るぞ。健闘を祈る」

「何だそりゃ?」

 あいまいな笑みを浮かべたリリンは、さっさと背を向けて引き返していった。結局あの二人については何も分からないままであることに、一真はやっと気がついた。聞き上手というのか、雰囲気に流されて自分のことばかり喋ってしまった。

 彼は首をひねりながら道を下り始めたが、黙々と歩いているうちに気分が重くなってきた。あと一月ほどで宝剣を仕上げないといけないのに、材料も意匠も一から考えなくてはならないとは……

 憂鬱さにつられたのか、今ごろになって全身の痛みが気になり出した。

 工房に戻ったのは、約束した日の夕方だった。

「真さんったら傷だらけじゃない! どうしたの、追いはぎに遭ったの?」

と、出迎えてくれた兄貴分の妻が目を丸くした。一真は適当にごまかしてから「兄貴はどうだい」と尋ねた。

「今は落ち着いてるから、顔を見せてやって。あなた、真さんが帰りましたよ」

 工房の一室は住居として使っていて、杜将はずっとそこに伏せっているのだった。一真は、兄嫁が開けてくれたふすまを縮こまってくぐった。

「やあ兄貴、遅くなっちまって」

 杜将は、質素な敷布の上に横向きになっていた。その目は一真に向けられたが、頬は削いだようにこけ、青白く乾いていた。布団のかかる肩は旅の前よりも薄く尖って見えて、一真は息を呑んだ。

 弟分の傷や痣に気づいた杜将が、目で問いかけた。一真は慌てて話し出す。

「滑って転んだだけだ、大したことねえよ。それより竜紋玉、見つけられねえで……」

 言葉に詰まった彼を見ると、杜将は起き上がろうともがいた。彼の身体を支えてやった一真は、その軽さに思わずぞっとなった。杜将は息を整えるとかすれた声を絞り出した。

「俺の思いつきで、危ない目に遭わせたな」

「何言ってんだい。一等獲るためなら何だってするさ」

 わざと明るく返した弟分に、杜将は弱々しくかぶりを振った。一真の作り笑いが泡と消える。

「もう、いいんだ。後はお前に任せたい」

「そんなの無理だ。一緒にやり遂げようって言ったじゃないか、姐さんにも約束しただろう!」

 一真はつい声を荒げる。行灯の明かりがぼうっと揺れた。

 ふすまの向こうで兄嫁がすすり泣く気配がして、彼もまた込み上げてくるものを抑えた。

「何だか、疲れちまってな……」

 すまん、と呟いた杜将を見ると、一真の身体から力が抜けていった。そして、杜将が再び横になるのを無言で手伝った。

 彼の気概もすっかり折れていた。これまでの頑張りが一転して意味を失ってしまったのだ。牙骨丘に登った時は、あれほどやる気に満ちていたというのに。

 そもそも俺はいつも空回りで、足を滑らせたのだってそのせいだ。あの茶屋の姉弟に拾われなかったらどうなっていたことか。そうだ、二人が励ましてくれたのもみんな無駄になってしまった……

 彼が考えに沈んでいると、不意に、杜将が伏せていた目を上げた。

「何の、香りだ」

「えっ?」

 杜将はたった今目が覚めたというようにまばたきを繰り返している。さまよっていた視線が、一真に行き着いた。彼は慌てて自らの腕や服を嗅いでみた。

「ああ、膏薬こうやくかな。山の茶屋で手当てしてもらったんだ、うまい茶まで出してくれて」

「それだ、茶の香……」

 一服しただけで、そんなに残っているものだろうか。不思議に思ったが、杜将の苦しげだった表情が和らいだことに気がつくと、一真は座り直した。土産話でもすれば気がまぎれるかもしれない。

「それが子ども二人の妙な店でな、雛人形みたいな姉ちゃんが主だって言うんだぜ。それもしっかり務まってて驚いたね。弟の方は口が達者で、ちょっとばかり生意気だったが」

「昔の、お前じゃないか」

 杜将の白い顔が自然と微笑んだ。こんな顔を見るのはずいぶん久しぶりだ。一真は、先ほどの成り行きも忘れて話を続けた。穏やかで心休まる店の様子と、どこか浮世離れした姉弟のやりとり。旅の理由を話したら、色々と気にかけてくれたこと。

「つい喋りすぎて故郷のことまで教えちまったんだ。いつもなら隠しといたろうが、俺もぼんやりしてたんだな」

「清畔か。川だけの、村だった」

 俺も同じことを言った、と一真は笑った。杜将の視線がすうっと遠くなる。さすがに疲れたのだろうと一真は立ち上がり、ふすまに手を掛けた。

「一真、覚えているか。村を出ようと、川を遡ったな」

 思いがけない強い口調に、一真は鋭く振り向いた。

「……ああ!」

 彼の頭に、急に情景が浮かんできた。小さな坊主が二人、川べりをひたすら歩いている。大きくて裕福な上流の町を目指して。

 杜将ですら十にもなっていない頃、出奔を企てたことがあった。共に親がなく、親類の家で厄介者扱いされていた彼らにとって、故郷は未練のある場所ではなかった。そして木の実をかじり川の水で喉を潤しながら、数日かけて大清畔にたどりついた。

 たどりついたのだったが……


「ここは遊び場じゃないんだ、どいたどいた!」

 太い腕が二人をまとめて押しのけた。川幅は下流よりもずっと広く、岸には細長い小舟がたくさん停まっている。袖をまくり上げた屈強な男たちが忙しく荷を受け渡していた。

「すげえな、何でもあるぜ。見ろよ真、あの肉のかたまり!」

活気溢れる初めての光景に、二人は目を輝かせた。一真は、近くで荷受を見守っていた男の袖を引いた。

「おっちゃん、これどこから来たの?」

 彼は薄汚れた見知らぬ子どもを見てびっくりしたが、

「もっと上流の町さ。都から運んだ品もあるぞ、ここはこの辺りじゃ一番の市が立つからな」

と教えてくれた。二人は揃って川の流れてくる方向を見つめた。

「この先があるんだあ……」

 一真と杜将にとってはこの大清畔こそが世界の果てだったが、たった今それが広がったのだ。水のしぶきが陽に弾け、二人は眩しそうに目を細めた。

「よっ舟つき番、隠し子かい!」

 威勢のいい声と共に目の前に船が停まった。よく日焼けした男が降り立ち、数個の籠を砂利の上に置いた。

東洲峰とうしゅうほうから石問屋宛て。はっはあ、よく似たお子さんだあ」

「はいはい、改めるぞ」

 舟つき番が籠の覆いをめくる。二人はつられてのぞき込んだ。

 水が入ってる。

 初め、一真はそう思った。籠の中には濁りのない透明なものがきらめき、春の日差しをはね返していた。

 しかしよくよく見ると、水はそれぞれの独立した形を持っていた。大小とりどりの楕円がひしめいている。二人の子どもは言葉もなく見入った。

「何だ、水晶を見たことがないのか」

 舟つき番は苦笑して覆いを戻した。日焼け男が籠を重ねて持ち上げたので、杜将は勢い込んで尋ねた。

「それも上から来たのかよ」

「そうさあ。ずっと上も上、山の上っと……」

 男は笑いながら土手を登って行ってしまった。舟つき番は次の荷降ろしの相手をしている。二人は顔を見合わせた。

「行くぞ!」

と、杜将が駆け出した。一真も必死に追いかける。土手を登りきれば町に入れる、市だって見られる……

 そこまでだった。どしっ、と重い衝撃が二人をくい止めた。

「お前らの来るような場所じゃねえ。さっさと帰れ!」

 見張り番が、堅い木の杖で小さな身体を押し留めたのだ。いかつい顔をした小山のような男の姿が、この冒険の締めくくりとなってしまった。

 すっかり思い出した一真は、

「あれは惜しかったな、もう少しで入れたのに」

と笑った。実際に大清畔に入ることができたのは細工師として修行を始めてからで、あれから十年近く後のことだった。憧れていた町は感慨深くはあったものの、成長した二人はさらに大きな世界を求めるようになっていた。

 そして蘇安にやってきたのだったが、今思えばあの日の水晶の輝きが彼らをここまで連れてきたのかもしれない。故郷への苦い思いが忘れさせていた、純粋な輝き……

 一真の中に閃光が走った。

「……兄貴!」

 杜将もまた、彼を見据えていた。力強くうなずいたその身体には、見えざる力が戻ってきていた。


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