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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第五話
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太刀風渡る海(二)

 あんたに客だよ、と声がかかり、農具を片づけていた東青(とうぜい)は頭巾を外して入り口へ急いだ。菅笠を被ってあぜ道に立つ少年を認めると、彼は目を丸くして驚いた。

「リリン君じゃないか! どうしてここに……」

「あいさつは抜きだ。東青、戦国史には詳しいか」

 あまりにも唐突すぎる質問を受け、彼は強い日差しの下で目を瞬かせた。

「いや、ひと通りさらっただけだよ。子ども向けの戦記物はよく読んだけれど。なぜだい?」

 リリンは、姉と一緒に丈灰門のことを調べているとだけ告げて肩をすくめた。

「でも、脈がないなら用もない。夕食に招く手間もはぶけた」

と背を向けようとすると、「夕食だって?」と東青が真剣な声を上げた。

「ああ、山菜の天ぷらに塩豚の角煮、豆は甘辛くして、あとは梅粥と言っていたな。さて引き上げるか、腹も減ってきたし」

「ま、待ってくれ!」

 献立を思い描きぼんやりとしていた東青は、慌てて少年を引き止めた。あの人の手料理を逃す手はない。

「私じゃ役に立てないが、史学家を紹介することはできるよ。だからその、ぜひ呼ばれたいんだけど……」

 ロクハはもとより彼を招くつもりでリリンを使わしている。仕度に張りきる姉の姿や東青の必死な様子は、面白くもありつまらなくもあった。

 少年は、密かにため息をついた。

「案内するから、全身の土を落としてこい」

 東青の顔がぱっと明るくなる。リリンはついつい「そこの井戸にでも飛び込んだらどうだ」と言いかけたが、目の前のお人好しなら本当にやりかねないと思ったので口をつぐんだ。

 さて、農園のある町から牙骨丘までは何十里ものへだたりがあるはずだったが、まだ明るい道をリリンについて歩くうちに、いつの間にか山道に入っているのだった。

 東青はこの不思議な現象についてあれこれ考えても仕方ないと感じ、先を行く少年を大人しく追いかけた。無粋なことを尋ねれば、即刻置き去りにされる予感がしていた。

 夏の日は落ちるまで長い。茶藝館に着いても周りは明るいままだった。厨房とおぼしき窓から湯気が上がるのを見ると、東青の心にぽっと灯がともった。

 が、彼が店に入るなり、予想だにしなかった野太い声がその灯を吹き飛ばした。

「こちらが学者先生かい、ひとつよろしく!」

「は、はい、どうもっ」

 両手に皿を乗せた屈強な男を前にして、東青は飛び上がりつつ答えた。その横をリリンがにやついて通り過ぎていく。

「東青様!」

 だるま男の影からロクハが笑顔をのぞかせたので、彼はようやく情けない顔で息をついた。

 農園から持ってきた苦瓜やとうきびも卓に並び、手のこんだ夕食はさらに華やいだ。東青がどれも美味しいと言ってあまりに嬉しそうに食べるので、

「普段、よっぽど粗食なんだな。土でも食べているのか」

とリリンが聞いたほどだった。

 彼が「そうだね、風の強い日は口に入るよ」と真面目に答えると、となりに座る玄が豪快な笑い声を上げた。

「なかなかすっとぼけた兄さんじゃないか。いい奴と知り合ったもんだな、ロクハ」

 玄が水を向けると、彼女はほんのりと頬を染めてうなずいた。

 食後のお茶のころ、話の中心は今回の主題へと向かっていった。

「なるほど、丈灰門の真実ですか。ただの悪者とばかり思っていたなあ」

 供された枇杷(びわ)をていねいに剥きつつ、東青が感心して言った。そして、出身校である官立学院の(ばく)先生あてに紹介状を書こうと申し出た。

「史学の中でも伝承を専門にされているんです。とても熱心で、親切な方ですよ」

「お力添えいただいて、本当にありがとうございます」

 ロクハが優しく礼を告げると、彼は照れたように笑った。お茶を注ぎつつその顔を見ていたリリンが、いつにも増してぶっきら棒な声を上げる。

「僕としては、どれだけ調べても丈灰門は悪党のままだと思うな。だからこそ基豪が引き立つんだけれど」

「おや。リリン君、基豪のひいきなのかい」

 東青が意外そうに答えると、少年は胸を張った。

「一番強くて格好いいからな」

 いつも超然としている彼にしては子どもじみた…… いや、歳相応の態度だと、東青は微笑ましく思った。

「おいおい、一番強いってこたあないぜ。時代は飛ぶが、名将といえば谷落としの朔慮(さくりょ)がいるだろうが。いかん基豪とてこいつには勝てなかったろうよ。兄さん先生もそう思わないか?」

 賛同を求める玄に、東青は首をひねった。

「一対一なら、あるいは。けど兵を率いるとすれば、中期に敵地強襲の名手がいましたよね、銀星洛(ぎんせいらく)とかいう……」

「朔慮も銀星洛も、名を上げたのは部下に恵まれたせいだ。個の力でいえば、やはり基豪しかいないさ」

と、すかさずリリンが割って入る。思いがけず盛り上がる男たちを前に、ロクハは目を白黒させた。そしてお茶をちびちび飲みながら、明るいうちに東青様に中庭を見てほしかったな、と少しだけ残念に思っていた。


 あくる日、玄とリリンは連れ立って官立学院へ向かった。

 真夏の八束守(やつかしゅ)の町は人影も少なく、のどかを通りこして寂しげな雰囲気すら漂わせている。ぽつぽつと家屋の並ぶ平坦な道を歩きながら、玄は顔をしかめた。

「なんだか景気が悪いな」

「田舎町だって東青が言っていたじゃないか。学生も休みに入る時期らしいし、活気がないのは仕方ないぞ」

 しかし海の男は、静まり返った広い学舎を目の前にすると、ついに音を上げてしまった。

「俺はここで待つ。リリン、後は頼んだ」

 自分の話がそもそもの始まりとなった手前ついてきたものの、大海原を家とする彼は、格式ばった場所がどうしても苦手なのだった。てこでも動かない気配を感じ取った少年は、無駄な争いを避けて一人で中に入っていった。

 通りがかった女性に尋ねると、すぐに史学科の研究室まで案内し、紹介状を先生に通してくれた。

「おお、東青君の知り合いとな。若くして歴史を探るとは感心なことだ、さあ入って」

 白山羊のような老先生は、礼儀正しく頭を下げた少年を快く招き入れた。

 あちこちに積まれた本や資料、壁に掛かった大きな地図、形も様々な氏神像…… 時間の降りつもった部屋は、初めて訪れたのにどこか懐かしい。

 リリンから詳しい話を聞いた先生は「面白いところに目をつけたなあ」と嬉しそうな顔をした。

「手に入る書物の中には、伝説になった後の丈灰門しか見つからないんです。実際はどんな人物だったかを調べたいのですが……」

 先生は顎ひげに手を当てて首をかしげた。

「それが、戦国時代についての考証はほとんど進んでいないんだ。特に初期は、後の混乱で多くの史料が失われてしまったからね」

「では、新しい発見を待つしかないのでしょうか」

 がっかりしたリリンを見て、老人は「そんなことはない」と椅子を降りて古びた箱をかき回し、何やら紙の束を取り出した。

「これは、わしが東青君くらいのころ…… まあ大昔だな、西方に行った折に聞き集めた説話なんだが」

 読んでごらん、と差し出した箇所には「酒飲みの大熊」と題がついている。いわく、海辺の小村に迷い込んだ暴れん坊の大熊を、茶と偽った酒に酔わせて海に流してしまった、という。

 あ、と声を上げた少年に、漠先生は「勘がいいね」と言った。

「あの辺りに大熊が出ることはまれだろうから、ひょっとすると熊のような大男のことを言ったのかもしれん。海に流した、というのは丈灰門の最期にも重なるね」

 先生の目は好奇心で輝いていて、リリンはまるで同じ年頃の友だちと話しているような気分になった。

「小さな伝承に鍵があるかもしれないのですね」

「うん、丈灰門とて戦ばかりしていたわけではあるまい。土地に根づいた古い話を辿ってみると、新しい面が推測できるかもしれないよ」

 いくつかの説話を熱心に書き写した少年は、ていねいに礼を言って研究室を辞した。彼が残していった手土産を開いてみると、夏の空に深緑の茶葉が爽やかに香った。

 老人は、うちわをあおぎながらぽつりと呟いた。

「史学科に来てくれたらいいのだがなあ……」

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