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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第五話
26/74

太刀風渡る海(一)

挿絵(By みてみん)


 空の高くに白雲が湧き立ち始めると、海からの客人が茶藝館にやってくる。

 店の脇で雑草を引き抜いていたリリンは、のしのしと音を立てて近づく人影に気づいて顔を上げた。

「しょっぱい香りがすると思ったら……」

「人を臭えみたいに言うなよ。その調子じゃ元気らしいな、リリン」

 そう苦笑いすると、いかついぎょろ目のひげ面が一気に親しげな色を帯びた。中背ながら筋骨たくましい日に焼けた身体、波を染め抜いた羽織をひっかけたその姿は、夏を率いる総大将のようだ。

「わあ、玄さんだ!」

 店の扉が開いたかと思うと、ロクハがいっぱいの笑顔で彼を迎えた。玄はおおげさに手を広げて喜んでみせる。

「よう、しばらくだなお姫さんよ! 我が君にはご機嫌うるわしゅう」

 彼が野太い声をわざと甲高くしたので、(あるじ)は子どものように笑い声を立てた。このだるまに似た益荒男(ますらお)は姉弟の古くからの友で、互いに気心の知れた仲だった。

「いや、山の上ってのは爽やかだ。たまにはこういう所にこなけりゃな」

 お気に入りの大きな卓に通された玄は、頭巾をとった坊主頭をつるりと撫でた。

「そうでもないぞ、お前が来たから気温が上がった」

と憎まれ口を叩いたリリンが、たっぷりした土瓶(どびん)に茶葉をどっさり入れる。玄の好みは何ともわかりやすく、豪快であればあるほどいいのだ。彼はニヤリとした。

「俺ぁ熱い男だからな。湯も思いっきり沸かしてくれたまえよ、少年」

 ご指名どおりのかんかんに熱い番茶を囲んで、三人は久々のよもやま話に興じた。

冥狐(めいこ)にも顔を見せようとしたら、あいつ留守にしててな。何日か待ってみたんだが……」

反魂(はんごん)通りで飲み歩いてたんでしょ」

 ロクハがおかしそうに言った。

「冥狐さん小旅行よ、あの辺は暑すぎるからって。それから早矢(はや)(さと)を離れちゃってるの」

 玄は、酢醤油に漬けた枝豆をひょいぱく食べながら太い眉を上げた。

「なんだ、あいつこそ暑い暑いって茶をせびりにくるだろうよ。どこ飛んでっちまったんだ?」

 この夏の初め、鳥男・早矢は妹の乙矢(おとや)とひどい喧嘩になった。

 乙矢は、先日知り合った楽師から「余るので」と古い胡弓を譲られていた。それを四六時中練習するのに早矢が文句を言ったことに始まり、はては皿や壷が飛び交う大合戦に発展したのだという。逃げ出した彼は姉弟に嘆いてみせた。

「だって楽器の出していい音じゃないんですぜ。(のこ)です、ノコ」

 そしてほとぼりが冷めるまで川でも見てくると言い残し、ほうほうの体で牙骨丘(がこつきゅう)を去った。一方の鳥娘はすっかり意地になり、家にこもって特訓しているのかしばらく姿を見せていない。

 どうにも静かすぎる夏になりかけていたが、玄がきてくれてよかったとロクハは喜んだ。

「そういえば、今年の祭りはどうだったんだ」

 枝豆では足りず秘蔵の甘納豆を持ち出したリリンが尋ねると、玄は「それよ」と指を立てた。

「いつもどおりと思いきや、締めくくりが散々だったんだ。まあ聞いてくれ……」

 西の海岸地帯では、毎年七月、梅雨明けから少しおいて浜神(はまがみ)祭りが行われる。海からやってくる悪鬼を浜の守り神が追い払う、という筋の仮面舞いを奉納し、豊漁や安全を祈るものだ。

 青々とした潮と太陽、歌に踊り、そしてふるまい酒…… 人ならぬ海の民である玄も、にぎわいに混ざっていくつかの浜をめぐるのを楽しみにしていた。

丁子ちょうじヶ浜が一番最後に、一番盛大にやるんだ。あそこは酒蔵も一等だから、この玄さんも喜び勇んで泳いでったわけよ」

 しかし、手ちがいがあって舞い手の到着が遅れに遅れ、集まった人々は酒もろともおあずけを食らうことになってしまった。昼すぎには終わるはずの仮面舞いは、なんと日没に食い込むまでずれ込んだという。

「余所からきた奴はほとんど帰っちまってたし、お日さんも沈み出すしで、その中で見る舞いはそりゃあ寂しくてなあ」

「見物客が減ったなら、たらふく酒を飲めたろう。万々歳じゃないか」

 リリンの問いに「それはそうだが」とうなずいた玄だったが、ちっとも嬉しそうではない。ロクハが彼の黒い顔をじいっと見つめた。

「なにか引っかかってるのね」

「ああ…… 俺、丈灰門(じょうかいもん)が気の毒になっちまったんだよなあ」

 一人しんみりした様子の彼を前にして、姉弟は顔を見合わせた。


 丈灰門とは、海からくる悪鬼の通り名だ。

 歴史上に同名の武人がいるのだが、これがとにかく残虐な乱暴者だと伝えられ、しかも民を苦しめた稀代の悪帝に仕えていたとくる。後の世で人気がないだけならまだしも、あまりの悪評ゆえ鬼にされてしまったという訳だった。

 祭りに使われる仮面も黄色や黒で毒々しい鬼瓦のようで、小さな子どもが泣きわめくのが風物詩になっている。

「そりゃ悪者だがよ、浜神さんに蹴られ倒され切り刻まれ、だぜ。宵混じりの夕暮れで見るとな、心底かわいそうなんだ」

「可哀相なものか。一夜に千人を焼き討ちした大悪党だぞ、祭りで何百年斬られようが釣りが出るさ」

 リリンが珍しくたかぶって反論した。実は、浜神の方も史上の武人が元になっており、彼はその大の信奉者なのだ。

 こちらは名を基豪(きごう)といい、読み物などでは二刀流を操る美男子として描かれている。華やかな見かけに反しべらぼうに強かったとあって、昔から人気が高い。舞いの面も女性と見まごう細面だ。

「まあ基豪びいきには分からんだろうな、あの心持ちは」

 うなる玄の隣で、戦国史にうといロクハが弟に向き直った。

「ねえ、丈灰門と基豪って、たしか兄弟なんだっけ」

「そうだよ。元は二人とも盗賊だったんだけど、基豪は改心して修行を積んだ。そしてついには、悪帝に(くみ)していた兄を討ち取ったんだ」

 二人は実際に浜辺で果し合ったそうだ。

 基豪は丈灰門の亡骸を「これほどの悪鬼を、どうしてこの地で眠らせることができよう」と海へ流し、この戦いが、浜神祭りとして伝わるようになったといわれている。

「同じ血が流れているのに、ずいぶん明暗が分かれちゃったのね」

とロクハが眉をひそめると、玄は身を乗り出さんばかりにしてこう言った。

「片や神さん片や鬼、いくらなんでも酷いだろう。仮面にしたって怖すぎらあ。あんな人間いてたまるか、味つけが過ぎるってもんだ」

 玄はわが事のように憤然とした。強面の彼はよく誤解されるし、子どもに泣かれたことだって一度や二度ではない。

「なんだ、同病あい憐れむってことか」

 リリンがからかうように返したとき、トンと碗を置いたロクハが顔を上げた。

「それ、調べてみようよ。悪鬼・丈灰門の本当の姿!」

 玄とリリンは「ええっ」と声を揃えた。彼女の目は好奇心で輝いている。

「俺の感傷につき合ってくれるのは嬉しいが、そんなもんどうやって探るんだ。本を読んだって通りいっぺんのことしか書いてないぜ」

 なにせ七百年近く昔の話だ、と困りはてる玄にリリンも同意した。

「よほど学のある知り合いでもいれば別だけど……」

 そう言いかけた彼は、姉の瞳が何かを訴えていることに気づいてハッとした。嫌な予感がする。

「姉さん、まさか」

「お呼びできると思うの」

 ロクハは自信ありげにうなずいてみせた。姉弟の頭の上に、前髪に土や葉っぱをくっつけた青年の顔がぽわんと浮かんだ。

「おいなんだ、いつの間にそんないいお友達ができたんだよ、え?」

 二人を見くらべてびっくりしている玄に、彼女は笑顔で答えた。

「この五月に」

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