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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第四話
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雨滴と天の邪鬼(四)

 乙矢は混乱していた。

 段取りでは、玖瓦留が素直に事情を話し、ついでに一曲弾いてくれたら楽器を返すことになっていたはずだったのに。体調が万全でないロクハは、あのあと何も言わないまま部屋へ下がってしまっていた。

「ロクちゃん、あいつの態度に怒ってるのかな。お茶も飲まないやつだし」

 不安になった乙矢が尋ねると、リリンは顎に手を当てて考えた。途中から雲行きが怪しくなったのを感じ取ってはいたものの、あの腕前であれば一件落着かと思ったのだが。

「さすがにそれだけじゃないと思う…… けど、今すぐには聞けなさそうだ。乙矢、あの男のことは任せてもいいか」

 勿論、と答えて玖瓦留を追いかけた乙矢だったが、彼はふたたび長屋を訪ねた彼女を見るなりこう言った。

「天様琴が手に入りそうでよかったですね」

「ばか言わないで。あたし感動したよ、聴いてわかったよ、あれはやっぱり君が持ってるべきだって。あたしじゃ白豆数え歌くらいしか弾けないもの」

「いいじゃないですか、豆を数えれば」

 玖瓦留は土間の片すみで粥を炊きつつ、実にそっけなく答えた。不合格を言い渡され驚きはしていたが、落ち込んでいるわけでもなさそうだ。その様子を見ていると、乙矢の腹の中にめらめらと火が立ち始めた。

「ええい、君には誇りってもんがないのか! 紅若で鳴らした腕前なら女の子一人くらいうんと言わせてみなさいよ。諦めるってんならこうしてやる、こう!」

 怒りに任せてばっさばっさと殴ると、彼は「粥に羽が!」と慌てて鍋を守った。そして乙矢がさらに激しく翼を打ち鳴らすうちに、ついに根負けした。

「わかりましたから、埃を立てるのは止めてください」

「じゃ明日から修行ね。大丈夫さ、あたしがついてるから」

 満足そうに胸を張った鳥の前で、転落楽師は長い長いため息をついた。

 翌日二人が繰り出したのは、少し離れた蘇安(そあん)という町にある大きな市場だった。垂れ込める雲にも負けずたくさんの商人や買い物客が行き交っている。

 大通りに近づくと、にぎわいに混ざって笛の音が聞こえてきた。人の集まるところにはたいてい辻楽師もやってきて、腕を披露しては日銭を稼いでいるのだ。その一人となって、人の心を惹く演奏とはいかなるものか探ろうという訳だった。

「ここでこれを弾けと……」

 空いている場所に座して三文胡弓を構えた玖瓦留は、まったく気が進まない様子だった。多少弾き込んでみると初めよりましに思えたが、お世辞にも上品と言えない音色なのは変わらない。彼の好みからすればまさに正反対だ。

 いいからやんな、と乙矢が膝頭をしきりにつっつくので、彼は仕方なしに弓を動かし始めた。抱えられた安楽器が機嫌よく歌う。

 山鳥を従えた覆面の男に好奇の目を向ける者はいたが、ほとんどは彼を単なる辻楽師として受け流したし、思い出したように投げ銭が転がってくることもあった。雨が降り出したせいで早々に引き上げることになってしまったが、初日にしてはそこそこだと乙矢は喜んで言った。

「すごいじゃない、四百(たく)も集まったよ」

「あまり役に立つとは思えないのですが」

 傘の下、肩に乙矢を留めた玖瓦留は憮然として答えた。

「そんなことないさ。倍の倍、もっと倍も集めるころには何か掴んでるってば。ところでお団子でも買ってかない?」

「嫌です」

 しかし次の日もそのまた次の日も、似たような会話を交わしながら帰路につくことになった。乙矢は音の強さだの弓の角度だのあれこれ助言をしてみたが、状況はよくも悪くもなっていない。

 ただひとつ変わったのは玖瓦留が不平を漏らさなくなったことだ。目の前を通り過ぎる人々に向けて、彼は黙々と胡弓を奏で続けていた。

「どう、そろそろ何かわかってきた?」

 早くも四日目、小雨の中で乙矢がわくわくしつつ尋ねてきた。玖瓦留は手を止めるとうんざりして鳥を見下ろした。

「おかげさまで悟りを開けそうですよ。出家するなら琴もいりませんね」

 乙矢はむっとして彼をつついた。

「感じ悪いなあ。ねえ、明後日は期日になっちゃうんだから、今が踏ん張りどころ……」

「乙矢、一つ言っておきます」

 彼の声は平坦で、冷ややかなものだった。

「あなたがどれだけ盛り上がったとて、弾くのは私だ。無闇な鼓舞は心を散らすだけです。邪魔をしないで頂きたい」

 予想もしていなかった言葉に遭い、乙矢はひゅっと首を伸ばして彼を見上げた。一瞬大きく膨らませた羽は、何も言い返さないうちに徐々にしぼんでいった。

「……そう、じゃあ、がんばってね」

 小さく呟きを残すと、彼女は首を垂れたままとぼとぼと歩き出し、忙しそうな人の波に飲まれて見えなくなった。


 どうしてこんなに苛立っているのだろう。

 玖瓦留は一人で弓を引きながら、心のざわめきを落ち着けることができずにいた。騒がしい乙矢に耐えかねていたのは確かだが、あれほどしょんぼりされるとは思っていなかった。もっと上手い言い方があっただろうに、私という人間はいつもこうだ……

 一区切りつけて手を止める。通りの向かいには干した茸だの根菜だのを山と積んだ籠が並び、その隣も似たような出店だった。鳥は乾物を食べないだろうな、と彼はぼんやりと考えた。

 ふと、彼の前に中年の男が足を止めた。雨よけの蓑を幅の広い肩にかけ、職人風の質素な身なりをしている。男はもぞもぞとつかみ出した小銭を玖瓦留に差し出して言った。

「“蓮華輪(れんげりん)”、いいかい」

「は、はい」

 注文が来るとは思ってもみなかった。玖瓦留は慌てて代金をしまい込むと、ひと呼吸置いて春の小曲を奏で出した。職人は腕組みをしてじっと聴き入った。

 弾き終えた彼が頭を下げると、男はぱんぱんと手を打った。

「いい腕だな。家のやつが琴を好きなんだが、連れてくればよかった」

と微笑んだ目尻に深いしわが寄る。何の(てら)いもない、穏やかながら芯の強そうなまなざしに、玖瓦留は自分でも信じられないことにこう尋ねていた。

「ある人から、不足だと言われました。何かお気づきの点はございませんか」

「いやそんな、俺には難しいことは分からねえよ」

 面食らった男だったが、辻楽師の片目から逼迫した気色を感じ取ったのか、ぽつぽつと話し出した。

「そうだな…… 手仕事の話になるが、何か作るのには迷いがあっちゃいけねえ。それは楽師も同じじゃないのかい」

「……迷っているのかさえわからない時は、いかが致しましょう」

 まるで子どもの問いかけじゃないか。情けなく思いながらもそう言うと、職人は真面目な顔でうなずいた。

「素直になりな。まっさらな所まで戻るんだ。それで見えてくることだってある」

「親方、お待たせしましたっ」

 通りの先から、大きな荷を抱えた若者が駆けて来た。男は「おう」と答えると、辻楽師に向けて軽く片手を挙げてから歩み去った。

 玖瓦留の胸には、彼の言葉がいつまでも反響していた。

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