五月の翅脈(二)
「何だ、あの土まみれは」
店をひとのぞきしたリリンは、ぶらぶらと厨房にやってきた早矢に聞いた。鳥男は眠たげな下がり目を瞬かせた。
「そう怖い顔するなよ。主どのと一緒に話をしてきたらどうだ、湯のお守りくらい鳥にもできるやな」
しかし少年は黙り込み、かまどの前に座り続けた。
円卓に案内された東青は、厨房へ消えた早矢の背をまじまじと見ていた。早矢はいつだってあけすけだ。何を言われるかと傍らに立っていたロクハは気を揉んだが、彼はこう呟いた。
「彼、着物の型はどうなっているんでしょうね」
翼を出すためには凝った造りをしているはずだ、と。
「まあ、言われてみれば……」
拍子抜けすると同時におかしくもあった。彼女にやっと自然な笑みが戻り、二人はさりげなく会話をつなぎ出した。ぎこちなかった空気は次第に和んでいった。
「それでは、東青様は地学をお修めに。日々お忙しいことでしょうね」
労りを込めた柔らかい言葉に、彼の気持ちはついつい緩んだ。呈長師には他言無用と言われたが、ここは学校から遠く離れた茶店だ。ちょっとした話の種にするくらい構わないだろう。
「実は、少し行き詰っていて。これと同じ土を探しに来たのですが、なかなか見つかりません」
小壜を取り出して見せると、ロクハは小さな手でそれを包んでじっと見入った。寄り目になった顔には小動物の趣がある。
「さらさら、砂みたいですね。何か特別なものなんですか?」
「ええ、焼き物の釉薬に使うそうです。窯元さんに頼まれて……」
そこまで聞くと、彼女は急に沸き立った様子で、
「早矢、ちょっと来て!」
と呼びかけた。のっそりと顔を出した彼に手招きをすると、わくわくしながら東青へ振り返る。
「早矢は焼き物に詳しいんです。この土のことも、もしかしたら……」
求肥菓子のような肌にぽっぽと赤みがさしている。東青は自らの僥倖も忘れて、可憐な人だなと微笑んだ。
手の平に出した土を嗅いだり舐めたりしていた早矢が、すかっとした声を上げた。
「ああこれ! あれですあれ、あそこにある!」
「えっ、どこに!」
東青がびっくりしながら尋ねると、彼はこともなげに、
「隣の隣の、隣の山のてっぺんでさ。二本足じゃきついやな、俺が行ってきましょうか?」
と答えた。
「いいんですか!?」
思わぬ成り行きに目を輝かせた東青を見て、ロクハが嬉しそうに手を叩いた。
「大吉日ですね、東青様!」
「はいっ」
二人はまるで昔なじみのように笑いあった。同じくにこにこしていた早矢は、翼に合わせた色の襟巻きを着け直し、「じゃ飛びます」と店を出て行った。
「ああ、ありがたいな。お礼は何とすればよいでしょうか」
興奮冷めやらぬ書生が主を見上げると、彼女はいたずらっぽく微笑んでみせた。
「早矢には一番上等なお茶をごちそうしますわ。彼、焼き物と同じくらいお茶にこだわるんです」
そういう表情をするとロクハはぐんと大人びて見え、東青は少しどぎまぎさせられた。十二、三かと思ったが、案外歳が近いのかもしれない。
「しかし、それではお店に負担が……」
彼が言いかけたところで、厨房から少年が現れた。凛とした風情をまとっていて、どことなく学友の寿里を思い起こさせた。
「姉さん、もう沸くよ」
「あっいけない。東青様、お好みございましょうか」
お任せします、と笑った彼のもとを離れ、ロクハは茶葉棚に急ぎ寄った。リリンが小声で話しかける。
「解決したなら、いいんじゃないのか」
姉は小首をかしげて弟を見つめ返した。繊細なまつげの下の瞳に、彼の姿が映っている。が、本当に見えているものは何だろうとリリンは思った。
「必要になる気がするの、いずれ」
ロクハは迷いながらも告げ、弟は静かにうなずいた。
「姉さんがそう言うなら」
本当は白湯でも出してやりたいが、とリリンは東青を見やった。こちらに視線を向けていた書生は、彼と目が合うと慌てて頭を下げた。真ん中で分けた前髪にも、質素な上衣にも(おそらくは袴にも)土や葉っぱのかけらがくっついている。なんとも冴えないやつだ。
しかし、丁寧に淹れられたお茶を落ち着いて味わう姿を見ると、リリンは考えを改めざるを得なかった。慣れた手つきは上品とさえ言える。
「いいところの出かもな」
厨房からうかがいながら呟くと、皿を準備していたロクハが答えた。
「官立学院で学んでいるんですって。八束守にある分校の」
官人の登用試験ほどではないにしろ、官立学院に入るのは相当難しい。子どもの教育に大きな力を割ける家庭は、今の時代ではまだまだ限られている。
あの土まみれが、と姉を振り返ったリリンは、彼女が金柑の砂糖漬けを小皿に出しているのを見てつい声を上げた。
「ああっそれは!」
「リリンちゃんの分は残すよ! あのお茶には、これが一番合うから……」
そう言いながらもロクハの取る箸は震えていた。リリンはなんとも複雑な表情で、皿を手に出て行く姉を見送った。
「いや感服したよ、まさかこんなに早く見つけてくれるとは!」
呈長師は丸い顔にいっぱいの笑みを浮かべて言った。執務室の卓には、さらさらの黄土が詰まった小さな壷が載っている。
鳥男が運んでくれたとは言えず、東青はいろいろ取り繕いながら説明したが、長師はほとんど聞いていないらしかった。早く窯元に送らねばと浮き足立つ彼に、東青が噛んで含めるように言った。
「確認したかぎりではほぼ同じ組成のはずですが、実際は使ってみないとわかりませんよ」
彼は、茶店に戻ってきた早矢の言葉を思い出していた。
「ま、何だかんだ混じってるかもしれないやな、まったく同じ色が出るかは博打ですぜ。そこが焼き物の面白さでもあるんだけど」
果たして本当にわかっているのか、長師は何度もうなずいた。これ以上話すこともなかろうと東青が退室しかけると、彼はもったいぶってこう告げた。
「君の働きには感謝しておるよ。困ったことがあれば、儂がいいようにはからってやろうじゃないか」
はあ、と東青は気の抜けた返事をしたが、長師の力を借りる場面など一つも思い浮かばなかった。勉強と研究さえできればじゅうぶんなのだから。
だからこそ、晴天の霹靂だった。ひと月ほどして、それは突然彼の身に降りかかった。
「何よこれ、こんなのおかしいわ!」
張り出された名簿を見て、寿里が憤りの声を上げた。夏に行われる特別な遠征実習は各学科からの選抜式だったが、そこに東青の名はなかったのだ。伊堂も目を白黒させた。
「俺が入ってお前が外れるわけがない。何かの間違いじゃないのか、兆先生に聞いてみようぜ」
「私も行く」
そう息巻いた二人を東青は引き止めた。
「僕が行くよ、自分のことだから」
平静を装っても落胆は隠せない。講堂を歩いていくしぼんだ後ろ姿を、学友は心配そうに見送った。
「いや、成績には何の問題もない。私としても君に来て欲しかったのだが」
研究室を訪ねると、地学科の講師である兆先生は困り果てた。そして辺りをうかがって人気がないことを確かめ、こう囁いた。
「どういうわけか、呈長師が圧力をかけてきたんだ。君を外すようにと…… 本当に申し訳ない、私に力が足りないばかりに」
と、顔を歪めて頭を下げた先生を、東青は慌てて押し留めた。
問題といえば、あの土のこと意外にあり得ない。こんな理不尽な扱いに出るとは、あれを焼いたら一体何が起きたと言うのだろうか。腹も立ったが、それ以上に土の顛末が気になって、彼はそのまま呈長師の執務室へ向かった。
だが相手は不在だった。
「本校へ出張されまして、しばらくお帰りになりません」
秘書の女性に告げられると、彼は引き返さざるをえなかった。土の話をふれ回ったところで決定は覆らないだろう。寿里と伊堂には、先の試験でだいぶしくじってしまったようだとごまかしたが、二人は半信半疑だった。
「僕の分までしっかりやってきてくれよ。土産は海砂がいいな」
東青はあえて明るく言った。
「しょうがないな、この伊堂様が寮を砂浜にしてやろうじゃないか。ちゃんと受け取れよ、青」
いつもの調子を取り戻した友人の横で、寿里はまだ怒った顔をして黙り込んでいた。




