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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第三話
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五月の翅脈(一)

挿絵(By みてみん)


 まだ心臓のあたりだろうか、と東青(とうぜい)は道を見下ろした。

 この山は、翼を畳んで地に伏した竜の形だと人は言う。彼はその肋骨の部分から斜め上へと登ってきたところだった。

 今は五月、あらゆる生命が活気にあふれ輝く季節だ。牙骨丘(がこつきゅう)でも木々の伸びはすさまじく、高い位置に緑の網を張って太陽を遮っていた。そこを通り抜けてくる木洩れ日にも葉の色が映っているようだ。

 光の落ちる地面に目をやった東青は、少しの間を置いてからしゃがみこんだ。膝をついてはいつくばった人間を、一匹の(むじな)がうさんくさそうに見やって通り過ぎる。

 彼は指先で土をすくい上げ、擦るようにして手触りを確かめた。顔の周りを飛び交う羽虫も気にせずに、眉間にしわを寄せて目をこらす。

 が、やがて土を払うとその場に座り直してしまった。やはり違っているのだ、あのお尋ね者には…… 彼は角帽を脱いで頬杖をつき、背に負った荷の中身を思い返していた。

 そもそもの始まりは、先月に遡る。

「東青君、君なら分かるんじゃないかね」

(てい)長師が取り出した小壜(こびん)に、その土は入っていた。長師、つまりこの分校を取りまとめている者から名指しで呼び出しを喰らうなど、普通であればあり得ない。一体なんの用かと恐る恐る出向いた彼を待っていたのが、謎の土だった。

 産出地をつきとめて欲しいという依頼に、東青は泡を食って引き下がった。

「私は単なる書生の身。先生が解き明かせないものが、どうしてわかりましょうか」

「いやいや、若人の斬新な観点こそ画期をなすと、学問の徒であれば知っているだろう。君は地学科でも特に優秀だと聞いておる」

 調子よく言った呈長師は、自らの突き出た腹を残念そうに見た。

(わし)とてかつては実地調査に精を出したものだが、歳を取りすぎた。多少の時間はとって構わんから、同じ物を見つけたら持ってきてくれたまえ。よいかね?」

 念を押すように言われてしまうと、一介の学生にはうなずくことしかできない。満足顔の長師は、彼に小壜を差し出した。

「預かったうちの半分を貸そう。今の所はとても稀少なものだから、失くさないように」

「わかりました。先生はどなたから頼まれたのですか」

 そう尋ねると、長師が少し嫌そうなそぶりを見せたので、東青は急いでつけ足した。

「教えていただければ手がかりになるやも知れません」

「ああ、そう」

 呈長師はコロッと態度を改め、語り出した。

「南方で窯元をしている知人がおってな、その彼が先日、古い蔵を建て直そうとした。取り壊している最中、身に覚えのない壷を見つけたんだと」

 壷に収まっていたのがこの土だった。窯元は、何の気なしにそれを釉薬(ゆうやく)に混ぜ、焼き上げてみた。すると……

「こういう訳だよ」

 長師が卓に出した茶杯に、東青は目を奪われた。

 手のひらに隠れるほどの小ささだが、平凡な生成りの地に不思議な輝きを頂いている。広いふちに沿ってかけられた釉薬は水色とうす黄緑の狭間をたゆたい、まさしく明けの地平の色をしていた。

 焼き物にうとい彼でさえ感ずるところがあるのだから、その道の者にとっては垂涎の的だろう。窯元が無理を承知で頼むのも腑に落ちた。

「彼も出来るかぎり探してみたらしいが、どうもあちらの地域の物ではないようだと言ってな。それでお鉢が回ってきたのだよ、官立学院分校主任であるこの儂に!」

と呈長師はふんぞり返ったが、書生の方はすでに土と焼き物を夢中で見比べて聞いていなかったので、その気勢はすぐに萎んだ。

「……まあ頼んだぞい。それと知人から、土についてはくれぐれも内密に、とのことだ。誰にもばれないよう、上手くやってくれたまえよ」


 それから東青は、講義や課題の合間をぬってわずかな手がかりの解読に取りかかった。土は黄味を帯びていてきめ細かい。こういった堆積土は大河が貫くこの国ではありふれているが、彼は諦めずに調査を進めた。

 ふるいに掛け、磁石を近づけ、沈殿を調べ…… そうしてある特徴に気がついた。川沿いで採れる一般的な黄土よりも、含まれている物質の種類が多いのだ。

 そうであれば、と目星をつけたのが、東方に位置する山岳地帯である。莫大な雨を受け、たくさんの岩石や土壌を削って川が生まれる始まりの場所だ。そして運のいいことに、翌週その地方で地学科の遠征実習が行われた。

「あら、(せい)は帰らないの」

 同級の寿里(じゅり)が驚いて声をかける。数日間の農地実習を終えた学生たちは、みなくたびれ果てて馬車に乗り込むところだった。

 宿の前にぽつんと立った東青は、まだ調べたいことがあるんだと笑った。寿里は納得した様子で、

「さすがの壮気ね、どこから湧いてくるの? 私なんてもう足が棒みたい」

と苦笑した。つんと高い鼻と、潔く切り揃えた髪が彼女の利発さをよく表している。官立学院の女子はもともと少数精鋭であるが、寿里はその中でも群を抜いて成績がいい。

 はきはきして明るく、誰彼かまわず手を貸してくれるので東青もよく世話になっていた。ただし討論会では絶対に敵に回したくない才媛である。

「それは、土への愛から来るのさ。なあ青!」

 彼女の横から、同じく学友の伊堂(いどう)がひょうきんな顔をのぞかせた。雑な見た目からは考えられないが、祖父は官人、父は鉱物学者という学術一家の出だ。首都の近くに実家があり、本校にだって通えたのに、わざわざ遠く離れた分校を受けた変わり者でもあった。

「そうだけど、堂に言われると何だか違う気がしてきたな」

「なんだと」

 ふざけてつかみ合う男たちを、寿里が笑いながら止めた。出身も性格もばらばらな三人が仲良くしているのを他の者はいつも不思議がっていた。

「ところで青、その荷物ぜんぶ持って歩くなんて言わないでね。どれか預かるわ、寮に置いとくから」

「さすが寿里、助かるなあ。どこかの誰かにも見習って欲しいよ」

「なんだとおっ」

 何だかんだで彼らは笑顔で別れを交わし、やがて馬車は出発した。一足先に休暇に入った学友を見送ると、東青は一人で牙骨丘の方角を目指した。

 この辺りでも謎の土は見つからなかったが、落ち込んでいる暇はない。ここにない物だって、もう少し進んだ先に待っているかもしれないじゃないか。


 その日、姉弟は珍しく喧嘩になった。厨房の棚の前で対決するがごとく向かい合っている。

「私が育てたんだよ!」

と、恨めしそうに弟を見上げるロクハ。

「僕が漬けた」

と冷静に、真剣に主張するリリン。二人の間には、そう大きくもない保存壜が置かれていた。

 入っているのは金柑の砂糖漬け…… 姉弟揃って大好物の一品だ。残すところわずか数粒で、折悪しく奇数である。余る一つをめぐって、両者一歩も退くつもりはなさそうだった。

 そこへ、ふっと影が差した。

「おやあ、何なら俺がいただきますか」

 呑気な声がして二人は振り向いた。半開きの窓の向こうから、背の高い青年が笑いかけている。

「あっ早矢(はや)、久しぶりだね」

 ロクハがばつの悪そうな顔で手を振った。リリンの方は表情を変えず、

「出たな、只茶鳥(ただちゃどり)

と呟く。聞こえているのかどうか、青年が厨房の中へと身を乗り出してくる。リリンの言葉通り、彼の背には茶色と緑で彩られた立派な翼が生えていた。束ねた長い髪は尾羽のようにも見える。

「はあよいしょっと、ご免くださ……」

「頼むから玄関から入ってくれ」

 リリンは鳥男を押し返して窓を閉めた。

 客人へのもてなしは何にも勝る。姉弟はちらと互いを見合い、一時休戦ということにした。湯の準備は弟に任せ、主が戸口へと急ぐ。気配を感じた彼女は、早矢を迎えようとして元気よく扉を開けた。

「ようこそ、おいで……」

 声が途切れた。ませ、はどこにいったんだ? リリンはかまどの火を気にしながら、じれったそうに首を伸ばした。

 ロクハは、見知らぬ青年を前にして固まっていた。

 書生らしき青年もまた、前触れなく開いた扉から現れた少女を見て目が点になった。取っ手にかけようと挙げた片手が、そのままの形で中空に留まっている。

「あれ、時が止まっているやね」

と早矢が書生の後ろに舞い降りると、ハッとなった二人は同時に喋り出した。

「こ、こちらで休憩をと」

「あの、頬に土が」

 再び沈黙が訪れる。これは息が合っているのかそれとも逆かと早矢は考えたが、すぐに思案を放り投げ、ロクハに向かって目尻を下げた。

「主どの、おいしいお茶を下さいな。俺と、そこの書生さんにもね」


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