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竜の丘の茶藝館  作者: 小津 岬
第二話
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現を夢に溶き流し(六)

「さすが、化け狐の本領発揮だったな」

「そういうあなたこそ堂に入ったものでしたよお、リン先生」

 三たびの茶藝館である。先生はよせ、とリリンが心底嫌そうに茶を注いだ。なつめ菓子を数えながら取り分けていたロクハが、ぴょこと顔を上げて尋ねる。

「阿沙さん、無事に帰れるかしら。相当動揺していたんでしょう」

 あの夜から、阿沙はしばらく冥狐のもとで過ごした。気持ちが落ち着き故郷へ向けて発ったのは数日前のことだ。冥狐と別れる時、彼女は深く礼を言った。

「本当に、お世話になりました」

「お節介やいただけですよ。さあ笑ってくださいな、湿っぽいのは苦手ですの」

とおどけてみせると阿沙がはにかんだので、冥狐は内心胸をなで下ろした。

「私、辛いけど、最後に壬得さんに会えてよかったんだと思います。何も知らないでいたより、ずっと……」

 彼女の表情を思い出しながら、冥狐は受けあった。

「あの様子なら大丈夫ですわ」

「しかし、茶番に始まって茶番に終わるなんて。真相を教えてやってもよかったんじゃないのか」

 リリンはいまいち腑に落ちないでいた。阿沙のためとはいえ騙す形になり、彼なりに気にしていたのだ。

 冥狐はため息をついてこう言った。

「それは、本物よりきれいな絵が流行るのと同じ道理。(うつつ)だけじゃ足りないときもあるんです。誰だってそんな時が……」

 彼女は別れ際の壬得、いや栄千の言葉を思い出していた。ぶたれた頬を赤くしながら、彼は両手を握りしめていた。

「いつか不正が暴かれたとしても、その報いを甘んじて受ける覚悟です。この身がどうなろうと構いません。本当の私として生きられる日は、二度と来ないのですから」

 彼も気ままな夢を見れたなら、何か変わっていただろうか。

「ま、阿沙さんはもっと素敵な人に必ず出会えますよ、あんな無責任な木っ端役人じゃなくて。必要に駆られてやったものの、あの男に化けるのはとっても不本意でしたわ!」

 つんと茶をすすった彼女を、姉弟は苦笑いで見つめた。

「そうそう、今回のお礼に」

と、冥狐は包みを差し出した。風呂敷をほどくと、二人分の夏向けの衣服が収まっている。

「まあ、ありがとう! すぐ暑くなってきちゃうから助かるなあ」

「いつものよりいい生地じゃないか? 今度のことでは、ちょっと変だったぞ」

 布地に触れたリリンがいぶかしむ視線を向けたが、冥狐は鉄壁の笑顔ではね返した。

 ロクハがぽんと手を叩く。

「そうだ、ちょうど麝香豌豆(じゃこうえんどう)の花が盛りで、冥狐さんに見せようと思ってたの。中庭にどうぞ」

 厨房の反対側にある戸を開けると、離れに続く渡り廊下になっている。そこからロクハが手がける庭と菜園が一望にできるのだった。手前の花壇に、蝶のような花びらがいっぱいに揺れている。白に桃色、うす紫…… ぽかぽかした陽光に、彼女はつかのま目を閉じた。

「お見事ですわね。下りてもよろしい?」

「もちろん! 今年は特によく咲いたの。よかったら切り花を持っていって」

と、ロクハは(はさみ)を取りに店へと戻っていく。冥狐は短い階段を下り、花の近くに立ってみた。すっきりした青い香りが日差しと混ざり合った。


 屋敷で善也を目にしたその足で、冥狐は北の土地を離れた。なるべく人の多い町を転々としたのは、一人きりでいると彼を思い出してしまうからだった。

 二年ほどして、占いの店を持とうと考えた。それには資金がいる。あの忌々しい手切れ金を今こそ使ってやろうと、彼女は久々に柳枝園のあばら屋を目指した。金貨は家のすぐ横に埋めてあったのだ。

 薬師屋敷は避けていこうと思ったが、その町を通らないとかなりの遠回りになってしまう。仕方なしに狐の姿で駆け抜けようとした。

 しかし、ちらと目に入った屋敷の様子に足が止まった。

 たった数年でこうも荒れ果てるものだろうか。窓は曇り外壁はくすみ、門は鎖で閉じられていた。人気はまったくない。

 たまらず近くで尋ねてみると、たちまち噂が集まった。

「ああ、薬師さんのところ。半年くらい前かな、ひどい事故があってねえ……」

 当主と息子が言い争いになり、もみ合っているうちに階段から転落したのだという。父は重い怪我を負いつつも一命を取りとめた。しかし、息子は助からなかった。

「なんでも、家を出ようとしたのを止めて喧嘩になったって。次男までいなくなったんじゃお家の面目が立たないものね。薬師先生も必死だったんだろうけどあんなことになって…… あら、あんた大丈夫?」

 真っ青になった冥狐を、その女性は心配そうにのぞきこんだ。彼女は礼を言うのも忘れふらふらと歩き出す。空白の頭の中にひどく冷静な部分があって、それだけが彼女を動かしていた。

 地元の寺へ向かうと、老僧が静かに出迎えた。僧は、震えながら善也について尋ねた彼女に、彼の墓はここにはないと告げた。両親は遺骨と共に町を去り、行方を知る者はいないとも。そして、

「あなたは冥さんと仰る方ですな。善也どのから聞いております」

と痛ましげに声をかけた。冥狐は、悲痛な目で僧を見返した。

 散歩中に無理やり連行された善也は、即刻家に戻るにあたって一つだけ条件を出したという。

「家を継ぐ勉強はしてやるが、薬師になれたなら冥を嫁にする。他の誰とも添う気はないね」

 次男坊の頑固な主張に、ついに当主も折れた。

「うむ、仕方なかろう。しかしそれならば、勉学を終えるまではその人と会わないと誓いなさい。お前はすぐ気を散らすから」

「ああ、それで手打ちだ。父さんも丸くなったな」

 善也は成り行きを文にしたため、こんなもの早いところ片づけて迎えに行くから待っていてほしいと結んだ。しかし……

「手紙なんて、来ませんでした」

「ご当主が握り潰したのです。ご夫婦揃って厳しい方でしてな…… じきに善也どのも気づきました、両親に約束を守るつもりなどないと」

 どうにか抜け出そうとする彼を、当主は屋敷の奥深くに閉じ込めてしまった。あまり暴れるからと、話し相手として老僧が呼ばれたのだという。

 冥狐の目から涙がこぼれた。

「あの人、どんな様子でしたの」

 僧は慰めるように答えた。

「私と会う時は落ち着いていましたよ。あなたに伝えてほしいと言われ、あの小屋まで行ったのですが……」

 冥狐は痛烈に悔いた。何を突きつけられたとしても、あたしは柳枝園を離れるべきじゃなかった!

 彼女の不在を知っても善也はめげなかったという。

「寂しいんでへそを曲げたかな。よし、しばらく大人しくするよ。親父が油断したらさっさと抜け出して、冥を探しに行ってやる」

 彼女の名を口にした時、彼は笑っていたそうだ。


 花畑の前には大きな狐が座っていた。その金色の肩が震えているのを見て、ロクハは静かに歩み寄る。

 獣は、平原のあばら屋の夢を見ていた。

「ねえ、いつになったら色つけを教えてくれるんです?」

「なんだ俺より熱心だな。それじゃあひとつやってみな」

 いつものように絵を避けて彼の隣へ。彼は絵皿に顔料を合わせているところだった。さじ加減ひとつで色味が変わる。

「まず水を差しな、多くても少なくてもいけないぜ。そうそう、それから溶きのばして…… よっ、いいぞ大先生。大天才!」

「もう、静かに教えて下さいな!」

 あそこには今でも住んでいる、あの頃のあたしと善也さんが。じゃれあって笑いながら、足元の金にも気がつかないで。

 冥狐は、すぐ傍に小さな主の体温を感じた。

「いつか描きあがるかしら、あたしの絵」

 ぽつりと呟いた獣に、ロクハが黙って細い腕を回す。そして暖かい風に吹かれながら、冥狐をぎゅっと抱きしめた。





                         (第二話 了)


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

第三話は土にまつわる話です。

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