EP-02 始祖(2)
「ウヴカリ、私はあなたが泡になるまでに………」
言いかけたその時に二人の耳を劈いた怒号は部屋中のガラスを響き鳴らした。お逃げください!強く何度も扉をノックされた後の静寂は何もかもが時を止めたようだった。
凪のような空間を動かしたのはウヴカリだった。
「お嬢様!!お逃げくださいっ。お早く」
「ウヴカリあなたも」
「私はいいのです。私はどこにでもいるメイドであり、ただのランド。ですがあなたはこの世に一つしかない血族。アンフィビリアンの次期皇となる方です。さぁ早く!!」
「ウヴカリ!!あなたも!」
「お自覚なさいまし!!」
ウヴカリの怒鳴り声で私は我に返った。この人は私をどんな状況でも殺さずに救い、生かす事を選んでいる。私はそれに逆らってはいけない。この人を犬死させてはいけない。
覚悟を決めた時には足が部屋のドアへと向かっていたが、それをものすごい力で腕を引かれ引き留められた。関節に痛みが走る。振り向くとウヴカリがこちらを睨んでいた。そして首を横に振ると私の手を引いて窓ガラスへ向かって全力で走り出した。
はだしの足が縺れる。転びそうになる私をウヴカリは瞬時に抱きかかえると、そのまま背中からガラスに体当たりをした。粉々になったガラスは月明かりを乱反射して宙を舞っている。月がすっと消えると、そこは一階応接間に面した庭だった。
よろけながら体を起こすと、横には背中にびっしりとガラスの破片が刺さったウヴカリが横たわっていた。目が明いていない。咄嗟に悲鳴をあげそうになったが、それをウヴカリの手が塞いだ。
「声を上げてはなりません。私は大丈夫です。さあこれを」
そう言ってウヴカリが差し出したのは自分が履いている靴だった。屋敷全部が絨毯で敷き詰められているのにウヴカリの靴はとても底がしっかりした運動に適している靴だった。私は頷き足を通す。サイズもピッタリだ。
「お逃げください。何があったかはわかりません。ですが、微かに銃声の音が聞こえております。屋敷正面玄関と裏口からでしょう。お嬢様が居ります奥屋敷に何者かが着くまでに少なく見積もってあと5分はございます。海に向かってお逃げください。あなたならその先も大丈夫です」
「……あなたはどうするの?」
「私は、メイドとして客人をもてなさなくてはなりませんので」
ウヴカリはいつもと同じほほ笑みを投げかけるとスクッと立ち上がり、屋敷を見つめた。
「さて、お茶の準備をしなくては。お嬢様、いってらっしゃいませ」
ウヴカリが背を向けたまま挨拶をする姿を初めて見た。私は見ていないウヴカリへ頷くと海へ向かって一目散に走り始めた。
ひざ丈の草を踏み倒しながら牧羊地を一目散に駆け抜ける。それを見届けたウヴカリは忠誠礼を背中に向かってし終えると、奥屋敷へと入っていった。
小さな丘陵を全速力で登っては下りると、波が打ち付ける音が耳に飛び込んできた。よし、このまま。
その時だった。強い衝撃が左肩へ走ると同時に体が吹き飛ばされた。生温い感覚と激痛が襲う。
「よっしゃ!ヒット!!」
撃たれたのか?震えながら体を起こすと、射撃ゲームでもしているような楽し気な声が夜闇の中から聞こえてきた。体を引きずりながら逃げようとしたが複数人の足音の方が早かった。
「よっしーこれで根絶やしだな」
そして強い光に照らされ顔を背けるとそいつらは悲鳴を上げて狼狽えた。
無理もない。激痛に耐える私は鱗を逆立て、白目が真っ赤に染まったせいで瞳との境がなくなり、全眼球が赤一色になってしまっている。少しパニックを起こしているせいで肺呼吸と鰓呼吸が交互になり、首の横に空いた穴が開くたびに見たこともない内臓がちらついているのだ。
「化け物」
「これがこの国の王族とかホントばかばかしいぜ。気持ちわりーな」
「おい、お前。言葉話せんのか?一丁前に血は赤いみたいだな」
そう罵倒して憎たらしい薄ら笑いを浮かべながら撃たれた銃傷に銃口をグリグリと捻じ込んできた。悲鳴が夜陰こだまする。激痛に耐える私を見てそいつらは一層大きな笑い声をあげた。
「そんな化け物でも痛覚あんのかよ」
「さっさとヤッちまおうぜ。早くしないと何とかっていう化け物着ちまう」
「ロンマーだろ?あんなのただの水馬だ。頭か足撃っちまえば終わり」
「さて、最期は痛くなくしてやるからな」
その銃口を睨みつけながら立ち上がる。目は完全に通常の状態に戻っていた。
「最期にお前たちは誰なのか教えてほしい」
「へぇ。喋れんだ………」
口を開くと全員の顔に躊躇の色が浮かんだ。それはそうだ。水生状態でない限りはウヴカリやこいつらと同じランドと見た目は変わりはない。瞳の色が赤いくらいだ。
「どうした。言えぬのか。それともコードラント家に怖気づいたか?」
言い切ると同時に銃声がこめかみを掠めていった。
「コードラント家なんか要らねーんだよ。税金で飲み食いしてるくそ野郎どもが。何が海龍の末裔だ。ただの化け物が」
「随分だな。先ほどは私の姿を見て怖気づいていただろう。屈強な成りをしてる癖に肝はミジンコだな」
「殺すぞ?」
「殺す前に教えろと言っただろ」
睨みながら笑うと全員がたじろいだ。この様子はどうやらこの国出身のランドと見える。私たちが龍の末裔だという畏怖の念が拭い切れていないか。
「答えよ。海龍の末裔と会話ができるなんて早々ないぞ。」
「この世に神話の皇なんかありえねーんだよ!!」
その時だった。奥屋敷の全室の明かりと装飾灯が点り、煌々と当たりを照らしたのだ。一瞬呆気に取られる奴らを確認すると最後の力を振り絞って走り出した。同時に奴らも慌てて発砲するが強い光を見た後では焦点が定まらない。
銃弾が追い越していく最中、私は崖を思いっきり踏み切ると真っ黒な海へと真っ逆さまへ落ちていった。
次に聞こえてきたのは体をすり抜ける泡ぶくの音だった。水の音を切り裂く銃弾の泡が海底へと突き刺さっていく。私は何の為にこの海へと飛び込んだのだろうか。あのまま死んでもよかったのに。一相の事さらし首にでもなってこの国の革命の手伝いでもしてやればよかった。誰もいない世界で生きていても仕方がない。ウヴカリもお父さんもいない世界なんかなくなってしまえばいいのに。
いつの間にか鰓呼吸をしている自分に気づいた。生きていたいんだ…私。
「くっそっ!!」
「大丈夫だろ。あの傷だし。なんかに食われるさ」
「海龍だぞあいつら」
「うっせーな!海龍なんかいねーんだよ!!」
叫びながら海面へ向けて玉切れまで銃を乱射すると暗殺者たちはため息交じりに肩を落とした。
「…いいや、死んだって報告しないと」
「報告の前にご一緒にティータイムといきませんか?」
背後から女の声がすると慌てて銃を構えた。そこには上品な笑みを浮かべている少し年老いた女が佇んでいた。いつからそこにいたんだろうか。足音一つしなかったのだが。慌てる暗殺者たちにその女は突然名を名乗り始めた。
「あら、ごめんなさい。申し遅れました。私、コードラント家付主任侍女であり海龍皇宮近衛第2師団第25軍大佐ウヴカリ・ノクタラーベと申します。あら?」
ウヴカリの目に大量の血痕が映った。
「皆様お怪我なさってないようですが、この血の跡は?」
暗殺者の一人がその質問を鼻で笑った瞬間、頭が吹っ飛び、首無しの死体が転げ落ちた。思わず悲鳴をあげる残りの者たちにウヴカリは真顔で言った。
「命乞いはティータイムの後にします?それも先にします?」