美人が薄命なら死なないようにこっそり生きることにした
私には前世の記憶がある。
これはきっと若くして殺された私への、神様からの贈り物だということにしよう。
――そう、私は前世で殺された。
理由は美しかったから。
……それだけ?それだけだ。
性格の問題でもなければ、おおよそ会話したことさえない相手からも顔の美しさを理由に命を狙われた。
痴情のもつれで刺されたことは何度か。指折り数えるのもばかばかしくなってしまうほどには。
とはいっても、こっちが相手の男性を好きになって寝取ったとかそういう話ではない。
ある時は何処かのご令嬢の婚約者が、夜会で私を見て勝手に好きになって勝手に婚約解消してきたから結婚してくれと言いにきたのである。私はその人のことを知らず、挨拶をした覚えもなかった。お父様は当然のように求婚をお断りした。
相手が身分の高い貴族だろうが、一目ぼれしたから一方的に婚約を破棄して求婚してくる相手などあまりに聞こえが悪い。
振られた男性は酷い落ち込みようで、私に人生を狂わされたと言うが、婚約破棄も求婚も向こうが勝手にしたことで、私がおねだりして破談にしたわけじゃないのだから拗れようが知ったこっちゃない。
勿論、件の婚約者を奪われた『らしい』ご令嬢も激怒した。
「貴方があの人をたぶらかしたのよ!」
だがそんな怒りをこちらにぶつけられたところで、理不尽だ、としか言いようがないのである。
これはあくまで一例ではあるが、似たようなことは複数回あった。
同じセリフに知らない相手、嵐のようにやってきては去っていくものだから、これもまた数えるのは止めた。
お父様の美しいお顔も、断りを入れるたびに陰る。
「お前は悪くないよ」
「けれど、早く婚約を結んで落ち着いてくれればいいのだけどね」
私の婚約の話は、拗れに拗れている。
傾国の女、素知らぬ顔で社交界を惑わす悪女。
知れず破談になった婚約の数だけ勝手に悪評が尾ヒレをつけてやってくる。
いっそ、婚約などせず、領地に引き籠ってしまおうか。幸いにも後継となる弟は社交界へのデビューを控えている。醜聞の付きまとう姉がいては弟もつらいだろう。
貴族に…伯爵令嬢という身分に生まれた身としては、家の為になる結婚を、と思っていたがこのままではかないそうにない。
「貴方のせいよ!貴方さえ現れなければ私は幸せになれたのに!」
巡り巡った業。そしてその矛先は、惚れさせた私が悪いといってナイフを持ち出し突進してきたわけだ。
初めて刺された時の熱さはよく覚えている。
か弱い貴族令嬢の力では刺さり方が弱かったようで、腹の内に異物の刺さる感触だけで大事には至らなかった。
血は温かいのだということを身をもってよく知った。
体に傷が付いたおかげで領地に引き籠れるのでは!と思ったけれど、魔法なんてものがある世界だったせいで傷はきれいさっぱり消されてしまった。
治癒魔法、どうせなら怪我だけ直して傷は治してくれなくてもよかったのに。
私の体に傷が残ることを許さなかったのは、相手方の貴族を含め、両親も反対した。うまくいかない。
死ななかったことは喜ぶべきなのだろう。
身体に消えない傷が残らなかったことについても。
だが刺されて痛いものは痛いし精神的苦痛が消えるわけではない。
次は誰に命を狙われるのだろうか?
私だって好きでこの顔に生まれたわけではないというのに。
母親は美人だ、父親も美人というよりは、整った顔をしている。
そんな両親のいいとこどりをしたような顔立ち。誰かは神話に出てくる女神の化身
あなたのことを言うのだろう、などとうたって見せた。女神など見たことがないのだから私にはわからない。
「貴方が居なければ良かったのに!」そのセリフもいい加減聞き飽きた。
そういって私の血に濡れたナイフを振りかざして泣いている令嬢たちの顔をいくつも見た。顔にけがをしたこともあったが、悪運が強すぎるのか、私は一度では死ななかった。私の美しい顔も。
その度に私の心は傷付いていく。治されても心の傷ばかりは癒えない。
流れる銀糸の様なプラチナブロンド、アメジストの様な瞳。瞳を縁取る長い銀の睫。ぱっちりしたアーモンドアイ。
なるべく外に出ないようにと引きこもりがちになった代わりに肌は白く、桃色にふっくらした唇から洩れる吐息は女神の憂いのよう……だとか、なおも勝手に好きになってくる男たちは口説いてくるのを止めてくれない。
夜会を断ろうにも、王命で招待状を出された夜会も、自分の家よりも家格の高い家からの招待状も断り続ければ家の名が落ちる。
傾国の悪女の顔を一目見てみたいという輩は後を絶たない。
婚約をしてしまえば良かったのかもしれないが、言い寄ってくる男の人の好奇の目にも疲れてしまって、たわわに実った胸を程よく出た尻を舐めるような視線はぞっとする。
優しいお父様は結婚を無理強いしてこなかった。
家名が釣り合う家と政治的バランスを鑑みても、丁度いいヒトが国内に居なかったことも原因ではあるが。
自国内の求婚は悪評もたたり、家同士の牽制し合いもあり滞り、いっそ他国に嫁げばよいのではないかと思ったが、私が出て行こうとするのは、国から止められる始末。どうしろというのだ。
私は自分の顔が嫌いではないが、この顔が災厄を呼んでいるのだとは思ってしまう。
だからといって、美しい顔に産んでくれた母のことも父のことも恨むべきではない。
なるべく壁の花になるように心掛けていても、誘いの手は耐えない。
その内に本当に死んでしまった。
名前も知らない可哀想な女の手によって。
恋に焦がれ、身を炎で焼いたような女の顔を見るのは不思議と嫌いではなかった。
ぼろぼろに傷付いて、そこまで好きな相手が居て涙を流す瞳も。
決して美しいとは言い難い、化粧も涙で剥がれ落ちて、折角整えた髪も台無しだ。
もしも次があるのなら、次は男に生まれたいものだと思う。
……だというのに、今世も美しさを兼ね揃えた女に生まれてしまったらしい。
鏡を見て、お母様の化粧品で背伸びしてこっそり口紅を塗った顔を見た瞬間に思い出してしまった。
前世のこと、繰り返し殺されかけては生き延びた日々のこと。
私は、結局幸せにはなれなかった。
家族は元気だろうか、あれから弟は幸せになれただろうか……とうとうと考えながら改めて鏡を見つめる。
年の頃はまだ五歳といったところか。
前世の記憶を取り戻したのが今で良かった。
おしめを変えられるような年頃に記憶があったら恥ずかしくてそれこそ憤死してしまう。
前世とは生まれも育ちも違うが、貴族の生まれ。お父様は、確かレーゼンベルク侯爵。侯爵家令嬢だ。私の父親のことだというのに、前世を思い出した直後だからかどこか他人行儀な感覚に、我がことながら不思議な気持ちになってくる。
今世の両親と、似ている……部分はある気がする。父親と同じ青みがかったプラチナブロンド。母親に似たブルーサファイアを嵌め込んだような瞳。それ以外は、あの、忌まわしい前世に似ている。
ぱちりとした瞳、長いまつげ、目、鼻、口、人形のように整い過ぎたパーツ。
どうして、と声に出して言ってしまいたい。
このまま育てば美人になることは間違いがなかった。だって、前世とそっくり同じなのだ。
(美人など、当に懲りているというのに……)
鏡を見つめながら自然とため息が零れてしまう。
こっそり付けた母親の真っ赤な口紅をぬぐい、困惑した様子で急に大人しくなった私を見ている侍女に「部屋に戻るわ」と告げ、用があれば呼ぶからと侍女にも下がって貰い部屋に引き籠った。
このままどうすべきなのか、もう刺されるのは嫌だ。
誰かの恋路を邪魔するのももっての外。
望むのは、本当に望むのは、父と母のように仲睦まじい結婚がしたい、ただそれだけなのだ。
出来れば家の役に立てる相手と婚姻を結べればなおよいが、前世と同じではそれは望めない。
社交界を惑わす悪女。いるだけで迷惑な美女。
そんな不名誉は欲しくなかった。
だが、記憶を取り戻した今、前世と同じ過ちは犯すまいと思う。
だからこそ、私は前世を覚えているのだろう、同じ轍を歩まぬために。
ならばやるべきことひとつしかないだろう。
前世でも考えていた。
化粧を覚えて美しさが目立たないような化粧を覚える。
それに魔法だってあるのだから、色々と応用のきく魔法を生み出すことも出来るのではないか。魔法の使用はいずれお父様に頼んで家庭教師をつけてもらうことにしよう。
見た目を見すぼらしくすることも出来るだろうが、侯爵令嬢としての最低限の見栄えというのはある。
今世でも、家の不明用になる程恰好を崩すのははばかられる。
前世では手遅れだった。
社交界デビューよりも、お茶会よりも前にじっくり準備していかなければならない。
本当の顔がばれてしまわないように。
「平凡な女になって、平和な結婚をするのよ……!」
魔法でも化粧でも何でも極めて、今のうちに平凡な女を極めてやる!
……その選択はおかしいと突っ込むものは誰もいなかった。
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