其の八 死の気配を纏う灰が世界を塗りつす
雪のように白い灰が、降り続けている。
時間的には真昼であるはずの空は、分厚い岩盤と化した雲に覆い尽くされていた。
真紅の光が血脈となってあちこちに走る鼠色の曇天は、地上への呪詛だとでもいうのか白い灰を降らしつづけている。
古風な石造りの建築物が並ぶその街は、偽りの雪景色に埋め尽くされていた。
しかし本物の雪と違い、死滅した街が吹き上げる白い灰は濃厚な死の匂いを放っている。
黒いロングコートを纏ったおとこは、灰を踏みしめながら廃墟と化している街を歩いていた。
おとこの纏った黒いダブルのロングコートの色は、白い灰を浴びて灰色の斑となっている。
ロングコートに少しかかるおとこの金髪も、濁った灰色に染められていた。
おとこは、六人のおんなを付き従えていた。
おとこはマキーナ・トロープである証として、金髪に覆われた額に金属化した部分がみえる。
それは三日月のような形をしており、額についた金属の傷痕のようだ。
彼らマキーナ・トロープのしきたりに従って、捕らえたおんなは彼らの隊長に供物として差し出すことになっている。
一応決まりでは、おんなにナノマシンを注入しどのようなマキーナ・フェノメノンが引き起こされるのかを確認することになっていたが、あまりその決まりが守られることはない。
ましてや、今回彼らを率いている隊長においてはおよそ常識というものが通用する気がしなかった。
ロングコートのおとこは、とおりかかったコンバットスーツのおとこに声をかける。
「百鬼隊長は、この先にいるのか?」
アサルトライフルを手にしたコンバットスーツのおとこは、金属の皮膚に覆われた顔に野性味のある笑みをうかべた。
「ええ、この先ですよ、ヴェルレーヌ分隊長。相変わらず、飲んだくれておられます」
ヴェルレーヌと呼ばれたロングコートのおとこは、古の詩人の名を持つものにふさわしい秀麗な顔を少し曇らせる。
今回の遠征は大規模な部隊が動いているが、現場ではヴェルレーヌを含め四人の分隊長が直接の指揮をとっていた。
よって大隊長が何もしなくても、マキーナ・トロープたちの部隊は動いていく。
とはいえ、百鬼隊長はなにもしなさすぎだと思えた。
ヴェルレーヌは、百鬼がマキーナ・トロープであることすら、疑わしいと思えることがある。
それほどに百鬼は、とても奇妙なマキーナ・トロープであった。
ヴェルレーヌは、広場の向こうにあるオープンテラスに、百鬼らしきおとこが腰かけているのを見つける。
金髪碧眼のマキーナ・トロープはロングコートをマントのように翻し、おんなたちをつきしたがえると百鬼のほうへと向かっていく。
広場は、降り積もった白い灰の下からところどころ墨色の石畳が見えていた。
灰色の雲の向こうに暗黒の宇宙が見える空を、ヴェルレーヌは連想する。
その斑となった広場を、金髪碧眼のマキーナ・トロープは灰を蹴立てながら歩いていった。
ヴェルレーヌが向かう広場の片隅に、大きな木製のテーブルが置かれている。
ひとりの老人が、そのテーブルに置いたボトルからグラスへ酒を注ぎ飲んでいた。
その老人こそ、百鬼隊長である。
時折、爆発音が遠雷のように響いてくる。
遠くの空が真紅に輝いているのは、未だ人類解放戦線との戦闘が継続しているということだ。
その戦闘を指揮しているものこそ、この目の前で飲んだくれている老人のはずである。
しかし、百鬼には大部隊を指揮している司令官としての風格は全くない。
多くのマキーナ・トロープは、獣のような殺気を身につけているものだ。
特に隊長クラスともなれば、獰猛な野獣と似た気配を放っている。
ヴェルレーヌは、マキーナ・トロープとしては殺気をうまく覆い隠しているほうだと言っていい。
けれど、百鬼は殺気を隠すなどということとは、全く別の次元にいる。
百鬼は、とても薄い老人であった。
一瞬でも目を逸らすと、そこにいたことを忘れてしまうような存在感の薄さである。
その顔立ちも全く特徴がなく、わかれて一時間後に再会したとしても百鬼であることを識別できないだろうと思えた。
とてもマキーナ・トロープとは、思えない。
老人は服装こそ、東洋のキモノと呼ばれる黒い長衣を身につけその上にボア付きの革ジャケットをはおるという独特の個性的な姿である。
しかし、そのような姿ですら、老人の薄さによって特徴を奪い去られていた。
かろうじてマキーナ・トロープの証である金属化した部分が顔にあり、特徴となっている。
老人の左目は金属化しており、鋼の球体が目の部分に嵌め込まれていた。
果たしてその鋼の瞳が何かを映すことがあるのかは、判らない。
ヴェルレーヌは、テーブルを間において百鬼と対峙する。
百鬼は、ヴェルレーヌに気がついていないのか、酒を飲みつづけていた。
その後ろには、ひとりのおんなが立っている。
真っ白な、おんなであった。
死の気配を纏う灰が世界を塗りつぶした白ではなく、まるでそこだけ世界の色が奪い去られたとでもいうかのような白さである。
髪が白く肌も白く、身体を覆う長衣もまた白い。
唇さえ蒼ざめており、色がなかった。
ただ、瞳だけが燃え尽きた恒星のような黒色を、顔に埋め込んでいる。
ヴェルレーヌは憂鬱そうに青い瞳を曇らせ、白いおんなを見た。
おそらくソロモン柱神団が、着任したということなのだろう。
百鬼は何もいわないが、おそらくこのおんなこそ百鬼と契約を結んだ魔神なのだと思った。
そう思わせるほどに、現実を歪めるような違和感をあたりに放っている。
百鬼は、サファイアの輝きを放つ瞳を曇らせたヴェルレーヌを少し見ると琥珀色の酒が注がれたグラスから一口のむ。
そして、唐突に口をひらく。
「ガランドックの隊が、全滅したようです」