其の七 世界の終わりを盗む
電気トーチを手にしたローズが先にたち、玄関ホールの奥にある階段を上っていった。
その後ろに、百妃とティーガーが続き最後にマリィゴールドがM4カービンを手にしたままついてくる。
百妃たちは、アパートの二階へのぼった。
外装がゴシック調であるのと同じく、建物の中も古めかしく流麗な装飾がほどこされている。
百妃は何世紀も昔の、ヨーロッパにある古城に入り込んだような気になった。
けれど、廃墟であることは間違いなく荒んで崩れかけている印象も、強く感じる。
ローズは、洞窟のように昏い廊下を電気トーチで照らしながら歩いてゆき、とあるドアをノックした。
中から、少女の声が応える。
「入って」
ローズは扉を開き、百妃たちを差し招いた。
電気トーチが、部屋の闇を追いやって照らし出す。
部屋の中もやはり、古めかしく豪奢な装飾がほどこされている。
中央に置かれたベッドは、天蓋がついておりヌーボー調の草木を曲線的に描いた天幕が下がっていた。
傍らに置かれている机も、ゴシック調の風格を持った木製テーブルである。
その少女は、大きな椅子に腰をおろしていた。
黒く長い髪をもつ少女は、華麗な装飾のほどこされた古風な椅子にセーラー服を着て座っているが、意外にもその制服はゴシック調の家具に似合っているような気もする。
「はじめまして」
少し物憂げな口調で、少女は語りはじめる。
「あなたが、人類解放戦線の術者なのね」
百妃は、頷き答える。
「わたしの名は、百妃」
「よろしく、百妃。わたしの名はフリージア。そして」
フリージアと名乗った少女は、傍らの闇を指し示す。
そこから、もうひとりの少女が姿をあらわした。
真冬の雪を思わす白い髪を持ち、薔薇のように紅い瞳が光っている。
「彼女は、妹のツバキ」
百妃は、軽く会釈した。
「よろしく、フリージア。それにツバキ。わたしは、あなたたちをシャイアン・マウンテンに連れていくことになっている」
フリージアは、豪奢なゴシック調の部屋によく似合う人形のように整った顔に少し笑みをうかべた。
「待ちわびたわ、あなたたちが迎えにきてくれるのを」
フリージアは、眼差しをローズのほうへ向ける。
「百妃、あなたがローズを助け出してくれたのね」
百妃は、無言で頷いた。
フリージアは、花が咲き開くように美しい笑みをうかべる。
「ありがとう。ローズ、大丈夫なの? やつらに傷を負わされたりしていない?」
ローズは、闇に溶け込むような色の顔に、そっと笑みをうかべる。
「大丈夫、たいしたことはないわ」
「そう、ゆっくり休むといいわ。もうすぐ、ここから出発することになるでしょうけれど」
ローズは、軽く会釈すると電気トーチをそばにいたティーガーにわたし、部屋から出ていった。
百妃は、少しため息をつく。
「ねえ、ここの光学迷彩はかなりレベルが高い。今、シャイアン・マウンテンにいくのはとてもリスクが高いと思うの」
フリージアは、ゆっくりと頷いた。
「ソロモン柱神団の一柱が動いているという、うわさは聞いている」
「増援を待つことも、多分できるよ。もうひとり、術者が動いているの」
フリージアは、首をふる。
「ここは、街中の自家発電システムを駆動させてかろうじて維持できているけれど、燃料がもう限界なの。いくつか残っている太陽光発電システムでは、光学迷彩を維持できない。ここかが見つかるのは、時間の問題よ」
「うーん」
百妃は、腕組みをする。
「燃料がないんじゃあ、しょうがないか。でも、フリージア。あなたナノマシンを制御できるんでしょ。本当にそんなことができるんなら、ソロモン柱神団なんて恐れることはないかもね」
フリージアは、呆れ顔になる。
「そんなわけないでしょ。わたしにできるのは、あなたたちのやっていることと、そう変わりはしない。ただ、呪術を起動してパウリ・エフェクトを発生させると電子機器ごとナノマシンは死ぬけれど、わたしの術はナノマシンの働きのみを殺すことができるというだけ」
百妃は、それだけでも大したことだと思う。
でも、多分それではソロモン柱神団を倒せない。
「残念そうね」
フリージアは、どこか皮肉な笑みをみせる。
百妃は、大きく首をふった。
「いえいえ、想定どおりのこと。それにしても、あなたたちってなんていうか。クールだよね」
フリージアは、薔薇色の唇を歪めて笑う。
「もっと率直な言い方していいよ、感情を感じないって」
百妃は、顔を赤らめる。
言葉を失ったように、口を開く。
フリージアの笑みは、苦笑めいたものになった。
「だって、わたしたちはマキーナ・トロープなのだから。それが、あたりまえでしょ」
百妃は、頷く。
「あなたたちに、ひとであった時の記憶はあるの?」
フリージアは、黒い髪をゆらし首をふった。
「とても曖昧な記憶、消え去りかけている夢の記憶みたいな感じしかないわ」
マキーナ・トロープは、本来死者である。
彼らがひとのように振る舞うのは、生前の人格が痕跡として残りエコー、つまり残響として谺しているだけといわれていた。
フリージアは、百妃の眼差しからその思いを読み取ったらしい。
「多分わたしたちは、動く死者というわけではないと思う」
百妃は、肯定の思いを目で伝える。
男性のマキーナ・トロープと会話したときに感じる演技を見ているような不自然さは、彼女たちから感じることはない。
「わたしはある日、めざめたら自分がマキーナ・トロープたちの中にいることに気がついたの。そのとき、わたしは術者としての能力に目覚めたのだと思う」
百妃は、少し吐息をつく。
おそらく彼女らは、脳を汚染しようとしたナノマシンを殺したのであろうと思う。
RBは、ときとしておんなもさらい、おそらくは実験としておんなにもナノマシンを感染させる。
感染させられたおんなは大半、マキーナ・トロープ化する前に死んでしまう。
感染したナノマシンはおんながネイティブに持つ呪で殺されるが、ナノマシンは自分が死ぬときに宿主を道連れにしてしまうからだ。
彼女らはおそらく脳だけをナノマシンの感染から、守ったのだろう。
フリージアは自身がいったとおりに、感情を感じさせない口調でたんたんと言葉をつむいでゆく。
「わたしが目覚めたときに、感情というものは既に失われていた。でも、それが多分幸いしたのだと思う」
百妃は、その言葉に頷く。
「きっと、酷いところだったのでしょうね」
フリージアは、少し唇を歪めた。
紅い花びらのような唇が、すっと三日月の形になる。
「多分、そこにはマキーナ・トロープになりそこなったひとびとを、収容していたのだと思う。半ばひと、半ば獣、そして機械とも似ている奇妙なオブジェたちが蠢いていたわ。狂った彫刻家が造りあげた悪夢の宮殿のような、部屋だった」
百妃はぞっとして、眉をひそめる。
まともな感情があれば、パニックになったかもしれない。
異形の怪物たちが狂い死にしていく場所で、いつ自分もその怪物たちと同じ運命をたどるのか判らないという状況なのだ。
自分なら、恐怖に耐えられないと百妃は思う。
「わたしはその場所で、まだマキーナ・トロープになりきっていないおんなを探したの。そうして見つかったのが、ツバキ、ローズ、それとマリィゴールドなのよ」
百妃は、そっとため息をつく。
「よく逃げ出すことが、できたわね」
「そこは、意外と簡単だったの」
百妃は、目をまるくした。
「だって、RBの基地は外から攻められることに対する防御は色々考慮されていたけれど、中にいるものが逃げ出すという考えはもっていなかったのよね。そもそもわたしたちは、閉じ込められていたわけでもなかった」
百妃は、なるほどと思う。
ナノマシンに感染したものは、ある意味自由意志を持たない。
脳内に入り込んだナノマシンが構成するエモーション・モジュールが演じるひととしての振る舞いが、マキーナ・トロープをひとのように見せる。
けれど実際は、マキーナ・トロープというものはRBという巨大なシステムの可動部品にすぎない。
そのマキーナ・トロープが裏切るなどということは、RBにとって想定外なのだ。
「でも、少し不思議なことがあるわね」
百妃は、少し首を傾げる。
紅い唇を笑みのように歪めた漆黒の髪をした少女は、眼差しを百妃にむけていた。
「何かしら」
「多分、RBにとってナノマシンに適合できなかった、不完全なマキーナ・トロープがドロップアウトすることはそれほど大きなリスクではないと思うの」
「だから、わたしたちは逃げ出せた」
人形のように整った顔をしたフリージアに、百妃は頷く。
「そう思うのだけれど。でも、妙よね」
フリージアは、無言で百妃を見つめている。
その姿には、ひとではないものであるがゆえの、空気を凍りつかせるような美しさがあると百妃は思う。
「RBは、今あなたたちを必死で探している。ソロモン柱神団まで使って」
「それは、わたしたちがあなたたち人類解放戦線に亡命しようとしているから」
百妃は、にっこり微笑むと頷く。
「そうね。多分、あなたたちから色々な情報を引き出せる可能性はある。でも」
百妃は、微笑みながらいった。
「それだけじゃあない。そうでしょう」
フリージアは、暫く沈黙していた。
静寂が、闇の中をとおりすぎていく。
唐突に、その静けさは破られる。
「そう、わたしたちは、RBから盗み出したものがある。だから、RBはわたしたちを追ってるのよ」
百妃は、頷いた。
「それが何か、教えてもらってもいいかしら」
「世界の終わり」
百妃は、薄く笑みを浮かべるように紅い唇を歪め、星なき夜空の闇を瞳に宿した少女を見て、なぜか背筋がぞっとするものを感じる。
「それを見せてもらうことは、できるの?」
フリージアは、ゆっくり首をふる。
「見せることはできないし、説明することもできない。それは、論理回路から作られた仮想機械のようなものだから」
百妃は、ため息をつく。
何が簡単な仕事だと、思う。
「シャイアン・マウンテンについたら、阿川司令にわたす約束をしているの」
百妃は、肩をすくめた。
「そこには、関わらないことにするよ。なんだか、面倒くさそうな気がする」
百妃は、フリージアがくすりと笑ったような気がした。