其の三 遠い過去から現れた戦場の亡霊
「ティーガー、地面へ降りるぞ」
片手を長大な戦車砲に変形させたままの状態でティーガーは頷くと、黒革のロングコートを漆黒の翼のようにはためかせ地面へと身をなげる。
剣を手にした百妃も、後を追って宙に身を投げティーガーの背に足を乗せた。
ティーガーは、地面にいる龍に向かって再び徹甲榴弾を放つ。
強力な8.8 cm Kwk 36戦車砲の反動が、ティーガーと百妃の落下速度を抑える。
首をもたげつつあった金色の龍は、その頭を徹甲榴弾で破砕され再び爆炎に包まれた。
ティーガーは巧みに地上に放置された車両をクッションがわりにして、落下の衝撃を殺す。
乗用車を破壊して地面にめりこむティーガーの背から百妃は跳躍し、一回転して受身をとると金色の龍の前に立った。
剣を腰に、構えている。
街のあちこちで戦闘の名残りである黒煙があがっており、汚れた雪にもみえる灰が降り続けていた。
剣を手にした百妃の顔にも灰は降りそそいでいるが、百妃は気にする素振りもみせない。
目の前には、クレーター状に破壊された道路がある。
そこに金色の龍が横たわっており、灰色の雪がその金色の輝きを鈍らせていく。
黄金の龍は紅蓮の焔に蹂躙されており、さらに頭部を徹甲榴弾で破壊されていたが、それでもまだ動いていた。
つまり、まだ生きているようだ。
しかし、その身体は収縮をはじめている。
「マキーナ・フェノメノンが維持できなくなったわね」
百妃は、薄く微笑んだ。
突然、百妃たちの降り立った道路の両側に漆黒の狼たちが出現する。
マキーナ・フェノメノンを形成した、マキーナ・トロープたちであった。
夜の闇が切り抜かれたように黒い狼たちの身体は、子牛ほどの大きさがある。
普通の狼と違うのは、その獣毛が金属のワイヤー製であるということだ。
その黒い狼たちが、刃のように鋭い牙を剥き出しにして迫っていた。
「ティーガー、マウザー・ヴェルケMG34だ」
左腕を戦車砲に変えたままのティーガーは、頷く。
今度はその右手が、漆黒の光に包まれる。
闇色の光は、暗黒星雲のようにティーガーの右手を覆った。
ティーガーは、その闇の中から機関銃を取り出す。
銃口は、ラッパ型マズルブースターの装備された独特の形状をしている。
それは、空冷用の穴が無数にあいている銃身ジャケットが取り付けられた、7.92mm口径の機関銃である。
百妃は、7.92mm口径の機関銃をかまえるティーガーの背中と自身の背をあわせた。
百妃を背にしたティーガーは、四方に向けて7.92mm弾を斉射した。
冷たい輝きを放つカートリッジが、道路へまき散らされていく。
鋭い焔の剣のような銃火が、銃口から発せられる。
漆黒の狼たちは、胴体を銃弾で切り刻まれていく。
マキーナ・トロープたちは、機銃弾に全身を破砕されティーガーの足元へ倒れていった。
その破壊された黒い身体にも、灰色の雪が降り積もってゆく。
そして、その身体から流れ出る油のように黒くみえる血が、ひび割れた道路へと染み込んでいった。
拳銃弾で撃たれた程度の傷であれば死ぬことのないマキーナ・トローブたちであるが、7.92mmの機銃弾で全身を貫かれてしまうと再生することはできないようだ。
黒い狼たちが皆殺しにされたのを見届けた百妃は、ティーガーの背後から歩み出る。
黄金の龍が地面に穿ったクレーターのほうへ、向かう。
既にそこには地に墜ちた黄金の龍はおらず、ニコライと名乗ったマキーナ・トロープが立っていた。
地面におちていたキャンバス地の布をマントのように身体へ纏ったニコライは、獣の笑みを口元へ浮かべている。
「あいにくとおれは、あんたらのアハト・アハトでも死ねないようだな」
熱で陽炎をおこしている機関銃の銃口を、ニコライへむけるティーガーを百妃は背中で制する。
そして、手に提げていた剣をひといきで鞘から抜いた。
武骨で肉厚の片刃剣が、闇を切り裂く真白き光を放ちながら出現する。
「大丈夫だ、問題ない」
セーラー服を着た少女は、薄く笑みをうかべながら武骨な片刃剣を青眼にかまえる。
「粟田口吉光、骨喰藤四郎か」
百妃は、少し苦笑する。
「よく知っているね」
ニコライは、上機嫌で笑う。
「術者の装備は、頭の中にインプットされているんだよ。確か、斬る様を見せただけでひとを殺せる
伝説を持つらしいが」
ニコライの右手が金色の光を放ちながら、剣へと姿をかえてゆく。
「おれを斬ってみろよ。マキーナ・トロープに伝説が通用するものかやってみろ」
少女の瞳は、真冬のオリオンのように冷たく光った。
「マキーナ・トロープであろうと、ひとの形をしたものであればひとの理に縛られる。だからわたしは」
少女の紅い唇が、すっと歪む。
「斬ることができる」
百妃は、剣のかまえ方を変えた。
骨喰藤四郎を、地面と水平な状態でかまえる。
ニコライは、少し訝しげにその様子をみていた。
骨喰藤四郎は、一瞬だけ刃を下に向け鮮烈な光を放つ。
その光を見たニコライは、頭に鉛玉を撃ち込まれたような衝撃をおぼえる。
セーラー服を着た少女が、とても遠くにいるように感じた。
ちょうど望遠鏡を逆さに見たように、世界が小さく見える。
ニコライは、身体を動かそうとして失敗した。
動けない。
絶叫をあげようとしたが、呻き声が喉の奥から上がってきただけである。
ニコライは、ようやく自分が既に斬られていることを、理解した。
「二階堂流、心の一方だよ。マキーナ・トロープ」
どこか優しく、少女は囁きかける。
四肢の自由を奪われたニコライは、棒立ちのまま百妃を見ていた。
骨喰藤四郎を持つ左手が、金色の光に包まれる。
左手は、黄金色の獣毛に覆われていた。
沈みゆく太陽が放つ最後の輝きを、少女は左手に宿している。
「マキーナ・トロープ、お前のために古式ゆかしい蠱毒で練り上げた呪をくれてやろう」
それは、とても自然な動作であった。
街で久しぶりに出会った友の元へ歩み寄る歩調で、百妃はニコライの側に立つ。
息がかかるほど側に少女がきたと思った瞬間、骨喰藤四郎はニコライの心臓を貫いていた。
衝撃が雷撃のようにニコライの全身を襲い、同時にニコライは身体の自由を取り戻す。
血を吐き、地面を赤く染める。
マキーナ・トロープはたとえ心臓を貫かれても、体内に埋め込まれた億を越えるナノマシンが傷ついた箇所を修復するので死ぬことはできないはずであった。
けれど、ニコライは自分の修復機能がほとんど動いていないことに気がつく。
「パウリ・エフェクトか」
ニコライは、血とともにその言葉を吐き出す。
術者は、集積回路を持つ電子機器の動作不良をひきおこすパウリ・エフェクトを発生させることができる。
しかし、マキーナ・トロープの体内に取り込まれているナノマシンは、パウリ・エフェクトへの耐性を持つ。
にも関わらず、百妃の使った蠱毒はニコライのナノマシンから力を奪っていた。
「ティーガー、アハト・アハト、フォイア!」
少女は冷酷に、言葉を放つ。
革のコートを纏った、金髪碧眼のおとこが鋼鉄の戦車砲となった左手をニコライのほうへ向ける。
死よりも昏い砲口が自分のほうに向けられるのを見て、ニコライは笑った。
(やっぱり、鋼鉄がおれの運命だろうが)
ニコライが最後に聞いたのは、世界を終わらせる轟音であった。
ニコライの身体は四散し、徹甲榴弾は廃墟となったビルで爆炎をあげる。
ティーガーは、冬の空を思わせる青い瞳を昏い空へ向けた。
焔と煙が這い回る地上へ、灰が雪のように降り続けている。
「くるぞ、我が主よ」
ティーガーの言葉に、百妃は頷く。
「変化しろ、ティーガー。ここから脱出するぞ」
ティーガーは頷き、その全身が漆黒の光に包まれる。
地上へ墜ちた夜空のようなその暗黒から、戦車が出現した。
ティーガーIと呼ばれるその戦車は、マイバッハのV型12気筒エンジンに咆哮をあげさせながら地上へと出現する。
鋼鉄の巨大な虎は、無限軌道でアスファルトを砕き漆黒の光から這い出す。
ティーガーIは、獣が頭を掲げるように砲身をあげ百妃の前に止まる。
少女は、ひらりとその砲塔上部へのぼった。
セーラー服のスカートが、爆炎に蹂躙されている廃墟の中に翻る。
少女は自身の存在そのもので、崩壊した世界に反旗を翻し抗っているようだ。
「上からだ、我が主よ」
戦車の中にある無線装置から、ティーガーの声が響いてくる。
百妃は灰が降り続けている空へと、目を向けた。
二機の無人戦闘機が、鋼鉄の猛禽となってビルの谷間へ急降下してくる。
百妃は、金色の獣毛で覆われた左手で骨喰藤四郎を抜くと、無人戦闘機へ向かって一振りした。
凶暴な強さを持った剣の放つ光が、二機の無人戦闘機を襲う。
骨喰藤四郎は、戦闘機を斬っていた。
パウリ・エフェクトによってアビオニクスが死んだ戦闘機は制御不能となり、ティーガーの後ろへと墜落する。
ふたつの爆炎が、ビルの谷間に出現した。
一瞬あたりが真昼の明るさとなり、爆風が百妃の背をうつ。
少女の髪は、鬣のように風で逆巻く。
「パンツァー・フォー! ティーガー」
百妃の言葉とともに、マイバッハのエンジンが高らかに吠え、鋼鉄の虎は重厚な身体を前へとすすめる。
前進するティーガーIの行く手に、今度は大型の四足歩行ロボットが出現した。
象ぐらいサイズはありそうな四足歩行型戦闘ロボットは、上部にミサイルキャニスターを装備している。
対戦車ミサイルがそれぞれ六機づつ、格納されていた。
轟音が響き、六機のミサイルが一斉に発射される。
二体の四足歩行ロボットは爆炎に包まれ、十二本の焔でできた槍が向かってきた。
百妃は、骨喰藤四郎を一瞬抜き夜空で悽愴に輝く三日月の光を地上に放つ。
目に見えぬ力が呪となって、ミサイルを斬った。
パウリ・エフェクトが作動して、十二機のミサイルはコントロールを失う。
目標を見失った十二本の焔でできた槍は、ティーガーIと百妃の頭上を飛び去った。
遥か後方の廃墟となったビルがミサイルの直撃を受け、巨人の咆哮のような爆音が轟く。
鋼鉄の獣であるティーガーは背後でおこった爆発の光を背にうけ、夜の中で昏く浮かびあがる。
爆風と灰、そして真紅の花びらが舞うように火の粉が降り注ぐ中、無限軌道がアスファルトを砕きながらティーガーは前進した。
一方、ロボットたちも前進をはじめる。
頭部に装備されているバルカン砲を、至近距離で撃ち込むつもりなのだろう。
パウリ・エフェクトの射程はせいぜい10メートルといったところか。
パウリ・エフェクトの有効射程にはいる前に、バルカン砲を撃ち込むつもりらしい。
百妃は薄く笑うと、叫んだ。
「ティーガー、アハト・アハト、フォイア!」
ティーガーは、その場に停止した。
百妃は砲塔の下で、自動装填装置が作動し56口径8.8 cm弾が薬室へ送り込まれるのを感じ取る。
57トンの巨体が揺らぎ、徹甲榴弾が放たれた。
爆風が、百妃の顔をうち髪がなびく。
一体の四足歩行ロボットが、焔の矢に貫かれる。
次の瞬間、爆発がおこりあたりが真昼の明るさとなった。
四足歩行ロボットは、焔に包まれながら膝を折り地面に沈んでいく。
百妃は、砲塔の下で56口径8.8 cm弾が排莢され、次弾が装填されたのを感じる。
しかし、もう一体のロボットはすぐ近くまできていた。
バルカンが激しい発射音を響かせ、ティーガーのまわりに着弾させていく。
数発が100ミリの厚みをもつ前面装甲に着弾したが、ティーガーは耐える。
けれど、至近距離から上面装甲に着弾しては、耐えられるものではない。
ティーガーは、56口径8.8 cm弾の照準を合わせようとするが、動く四足歩行ロボットに合わせきれない。
百妃は、骨喰藤四郎を抜いた。
パウリ・エフェクトの呪を飛ばすには間合いが遠い。
けれど、少女は左手に念をこめる。
蠱毒により変化した左手は、金色の焔となり燃え上がっていた。
百妃は、骨喰藤四郎を上段にかまえ一気に振り下ろす。
剣が風を斬り、一瞬闇を裂いた。
ほんの僅かな間、四足歩行ロボットは動作をとめる。
その一瞬に合わせ、ティーガーの砲身が狙いを定め56口径8.8 cm弾が発射された。
轟音と爆風が、再び少女の顔をうつ。
夜の闇に真紅の花が咲くように、四足歩行ロボットは爆炎に包まれた。
夜に花が舞い散るように、火花が黒煙とともに吹き上がる。
灰と爆風が、少女を掠め通りすぎていった。
百妃は、砲塔のハッチからティーガーの中へと飛び込む。
それと同時に、ティーガーの上面装甲へ被弾する音が響く。
アンチマテリアルライフルで、狙撃されていた。
いくら上面装甲が薄いとはいえ、20ミリのアンチマテリアルライフルにはもちこたえている。
しかし、いずれ対戦車ミサイルが飛んでくるだろう。
「ティーガー、前進しながら煙幕だ」
ティーガーは、発煙筒から微細な金属片が混ざったエアロゾル煙幕を展開した。
レーダーや赤外線センサーを無効化するアクティブ防護システムである。
ティーガーは、その姿を黒煙の中に包む。
◆ ◆ ◆ ◆
マキーナ・トロープたちが対戦車ミサイルランチャーを手に現場へかけつけた時には、ティーガーの姿は消えていた。
ティーガーは、出現した時と同様にセンサーや監視システムの目から逃れ消失してしまっていた。
それは、遠い過去から現れた戦場の亡霊が、破壊を撒き散らし駆け抜けていったかのようである。
虎が、まだ鉄と炎が戦場を支配していた時代から一瞬だけ蘇り、また記憶のそこへと沈んでいった。
マキーナ・トロープがひとと同じ感情をもつのなら、そう思ったに違いない。