其の二十一 虎よ、世界の終わりをみよ
「そう、あれはまだディラックの海の中に沈んでいる」
百妃はゆっくりと、眼差しを地上に戻す。
いつのまにか、ヘリポートにひとりの少女が立っていた。
フリージアである。
「あなたは、あれを召喚しようとしているのね」
百妃のことばに、フリージアがうなずく。
「そして、あれが世界の終わり」
フリージアは頷くと、言葉をかえした。
「あれは世界の終わりであると同時に、始まりでもある」
百妃は、頷いた。
世界の終わりとは、彼女らの世界を破壊し新しい世界をディラックの海から召喚するためのメソッドだったらしい。
けれども、それはあまりにも無茶だと思う。
「いったいどこに、あれだけ巨大な質量をディラックの海からひきだせる呪力があるのよ」
フリージアは、くすりと笑う。
とても可笑しな冗談をきいたというかのように、楽しげな笑み。
百妃はフリージアがそのような笑みを、浮かべることができたということに驚愕するとともに、深い哀しみにおそわれた。
「そんなことより百妃、あなたは選ぶ必要がある」
百妃は、驚き目を見開いてフリージアを見る。
「わたしたちと一緒に新しい世界にいくのか、それとも古い世界とともに滅ぶのか」
フリージアは、出会ってから今が一番美しくみえ楽しげである。
百妃は、唇を歪めた。
「もし、その選択を拒否するといったら?」
フリージアは楽しげな笑みを浮かべたまま、百妃の後ろを指差す。
百妃は、後ろを振り向く。
百妃は、夜空に浮かぶ真白き天使を見た。
十二枚六対の白銀に輝く翼を広げた白き天使、マキーナ・フェノメノンをとったツバキである。
ツバキは月のように翼を輝かせ、明けの明星の輝きで紅く瞳を光らせていた。
「あなたを、哀しませたくはないの」
フリージアの声は、楽しげな調子を崩さない。
「わたしたちと、いっしょに来て。お願い、百妃」
百妃は返事をするかわりに、同田貫を抜いた。
武骨な刀が、夜のなかに冷酷な輝きを放つ。
ツバキは、ふわりと地上に降りた。
そして、叫ぶ。
「我が前に顕現せよ、ティーガー」
ティーガーは、ツバキの召喚に応じて百妃の前に立つ。
黒革のコートを死神のように翻し、巨大なアハト・アハトの砲口を百妃に向けた。
百妃は、胸に深い空洞ができたような気持ちでティーガーを見る。
こうなることは、こころのどこかで理解していた。
もう、百妃にはティーガーをフルスペックで操れるだけの呪力は残っていない。
ツバキに、巨大な呪力が宿っているのは気がついていた。
おそらくRBの基地にいたとき、彼女たちを収容していた部屋が蠱毒を練り上げるときと同じように作用していたのだ。
蠱毒とは、ひとつの部屋のなかに色々な生き物を閉じ込め、そこで生き残ったものに死んでいったものの生命力を宿らせる術である。
まさにツバキたちがRBの施設で味わったのは、そのような状況であった。
式神との契約は、必然的に強い呪力を持ったもののほうを優先して結ばれる。
百妃自身がマキーナ・トロープから、雪風を奪ったのと同じだ。
ティーガーは、いつもの鋼鉄の眼差しで百妃を見ている。
おれが、お前の運命であるとその瞳は告げていた。
百妃の瞳から、涙がこぼれる。
「いいよ」
百妃は、涙をぼろぼろ溢しながら ティーガーを見る。
「ティーガー、あなたならわたしを殺していいよ」
ふと。
ティーガーの背後でツバキが、空を見上げる。
百妃は、つられて空を見る。
ひらりと、なにか黒いものが空の片隅で翻った。
次の瞬間、漆黒の稲妻が迸る。
空から、黒い悪魔が墜ちてきた。
冷酷に輝く刀が雷撃のように、ツバキの身体を縦に両断する。
爆発したように、深紅の血が飛び散った。
血飛沫のあと、黒い悪魔が姿を顕す。
漆黒の竜の翼を背中に生やした、百鬼である。
片目の悪魔は血まみれの凶悪な姿で、百妃に笑いかけた。
「これで借りは返したぞ、術者よ」
百妃の目が、つり上がった。
「あんたなんかに」
百妃は、叫ぶ。
「あんたなんかに、何も貸してないし、借りてもいないんだからね!」
百鬼は、にやりと侮蔑の笑みを浮かべると、来たときと同様唐突に空へと帰ってゆく。
百妃は両断されたツバキの死体に少し黙礼すると、同田貫をフリージアに向けて叫ぶ。
「ティーガー、我が命に従え!」
ティーガーが、百妃の横に立つ。
そして憮然とした口調で、呟いた。
「迷惑だな、我が主よ。このおれにお前を殺させるな」
百妃は、きっとティーガーを睨む。
「生意気な式神には、後でお仕置きをするとして」
百妃は、フリージアに向き直る。
「正直、あなたについていこうか、迷ったんだけどね」
百妃の目が、昏く輝いた。
「もう迷いは消えた、あなたを斬る」
「少し話をしようか、百妃」
もう、フリージアは笑っていない。
百妃は、胸の奥で少しだけ痛みを感じる。
「話は、もうない」
「百妃、さっき質問したよね。どこに世界をひきだせる呪力があるのかって」
百妃は、今すぐフリージアを斬るべきだと一瞬思う。
でも、先にしかけるのは危険でもあった。
「RBは、歴史上最大級の人類虐殺をおこなった」
フリージアは、落ち着いた口調でゆっくり語る。
「それは、地球という大きな部屋で、蠱毒を練るようなもの。そう、考えられないかしら」
百妃にそれは、否定できない。
文明が崩壊する前には、術者は数えるほどしかいなかったときく。
でも、今現在十代の少女はみな呪を扱える。
それは、地上に呪力が満ち溢れたから。
そう考えるのが、自然であった。
「RBは人類が滅びるのを、予見した。だから呪力を使って、人類が滅ばない世界を召喚しようとした」
百妃は、フリージアの言葉をきくべきではないと思うが、耳をとざすことはできない。
「人類は、おそらく自分達がおこす最終戦争でどのみち滅ぶことになっていた。RBは人類を救う唯一の方法として、蠱毒を練り人類が生き残る世界を召喚しようとしている」
百妃は、唇を歪めた。
「あなたの話は、全てただの推論。実証できないよね」
フリージアは、長いため息をついた。
そして、少し寂しそうに笑う。
「百妃、あなたにもう戦えるだけの呪は残っていない。ティーガーだって、操れない。あなたは、これから一方的にわたしに殺されるだけなのに」
百妃は、凶悪な笑みを浮かべる。
「あなたに、一発ぶちこむくらいの力は残してあるよ」
多分、アハト・アハトを一発撃つことくらいは、できるはず。
まあ、そうであってもフリージアのいうように、勝ち目はおそろしく少ない。
フリージアは、とても残念そうに微笑む。
「さようなら、百妃」
爆発したように、黄金の輝きが放たれる。
フリージアの背中に、金色の翼が出現していた。
その後、なにがおこるか百妃は知っている。
ヴェルレーヌが使った、高速化の技を使うはずだ。
フリージアの姿が消え、みえない巨人の拳がふるわれたような風がおきた。
百妃は、同田貫にありったけの気をこめて一閃させる。
フリージアは、百妃の目の前に出現した。
短剣のように鋭い爪のはえた手は、百妃の心臓の手前で止まっている。
フリージアは、凍りついた状態で問いかけるように百妃を見ていた。
「心の一方は、呪力とは関係のない技なのよ。二階堂流剣法の技だから」
納得しがたいという顔をしているフリージアを前にして、百妃は叫ぶ。
「アハト・アハトだ、ティーガー、フォイア!」
ティーガーは凍りついたままのフリージアへ、巨大な砲身と化した左手を向けた。
世界を破滅させるかのごとき轟音を響かせ、砲口から徹甲榴弾が放たれる。
フリージアの胴体は、二つにひきちぎられ放り出された。
破壊された人形のように、フリージアの上半身が地面に落ちる。
百妃は、ため息をつき膝をついた。
空を、見上げる。
さっきまで空を覆っていた輝く機械たちは、失われていた。
いつもの、夜空。
絶望にも似た漆黒が塗りつぶしている、暗い夜空がみえた。
呆けたふうにも見える百妃に向かって、ティーガーは焦った調子で声をかける。
「主よ、アハト・アハトは貫通しただけだ。とどめをさせ、再生するぞ」
百妃はふっと笑みをティーガーに投げかけ、よろめくようにフリージアの上半身へ向かう。
油断があったというより、百妃はそのとき完全に無防備であった。
けれども、たとえ臨戦体勢をとっていたとしても、フリージアのとった行動はあまりに予想外である。
フリージアは、短剣のように延びた自身の爪を自分の首に向かってふるう。
フリージアの頭は切断され、深紅の血が迸った。
そしてその瞬間、まるでフリージアの首は重力から解き放たれたように宙を舞う。
百妃は、全く反応できなかった。
フリージアの口が、百妃の首すじに噛みつく。
百妃はおもわず悲鳴をあげ、同田貫でフリージアの頭を串刺しにすると首すじから引き剥がし地面へたたきつける。
フリージアの頭は崩壊してゆき、地面にささった同田貫だけがのこった。
百妃は、首すじから血が流れていることを確認する。
百妃は、蒼ざめた。
ナノマシンに、感染したはずだ。
百妃は、叫ぶように言った。
「わたしを撃ちなさい、ティーガー!」
「少し待て、主よ」
ティーガーは、憎らしいほど落ち着いている。
ああ、そういえば呪が底をついたのでティーガーはもうアハト・アハトを撃つこともできないのだ。
では、自分で自分を斬るしかないということか。
百妃は、同田貫を手にとる。
「だから待てといっている、主よ」
ティーガーの言葉は、落ち着いている。
そういえば、ナノマシンに感染したのにマキーナ・フェノメノンが発生する気配がない。
感染すると獣に変化して、死んでいくはずなのだが。
「呪力が、甦ってきているぞ。主よ」
百妃は、ぞくりとする。
とんでもないことに、気がついた。
「やってくれたわね、フリージア」
百妃は確かに、自分の体内にかつてないほどの呪が溢れてくるのを感じていた。
フリージアが百妃に感染させたナノマシンは、コントロールされたものである。
そしてその中には、世界の終わりというメソッドが含まれているようだ。
百妃の頭の中に、そういった情報が流れ込んでくる。
もし、百妃が望めば世界の終わりと始まりを実現できるはずだ。
もちろん、そんなことをする気は毛頭ないが。
そうするということは、今この世界にいるひとびとは犠牲となって皆死ぬことになるからだ。
どんな理想郷であれ、何かの犠牲の上に成り立つのであればそれはくそだと百妃は思う。
子供っぽい考えなのかもしれないが、それをくつがえす気は欠片ほどもない。
しかし、百妃はこのあと一生誘惑と戦わねばならない。
それは、理想郷のような世界へと逃げ出す欲望との戦いである。
そのことを考えるとものすごく憂鬱になったが、とりあえず忘れることにした。
百妃は、ティーガーを見つめる。
ティーガーは、頷いた。
「あなたも気がついたようだが、主よ。マキーナー・トロープとRBのロボット兵団が近づいている。結構な、大部隊だ」
百妃は、頷く。
くるなら、こいだ。
今の彼女は多分、バクヤ・コーネリウスなみに無敵化していた。
まあ、あんなテンションにはならないけど。
「変化しろ、ティーガー」
ティーガーは、巨大な戦車へと姿を変える。
同田貫を手にした百妃は、キューポラにのぼった。
(主よ、二度と自分を撃てとはいってくれるなよ)
ティーガーの言葉が、頭の中で響く。
百妃は、にっこり笑った。
「世界の終わりは、あなたと一緒に見ることにするよ、ティーガー」
百妃はキューポラに立ち上がると、同田貫を振りかざし叫ぶ。
「パンツァーフォー、ティーガー!」




