其の二 鋼鉄が我が運命
おとこは、ひどく不機嫌な顔をしている。
おとこがひとではない証として、顔面の左半分を金属化した皮膚に覆われていた。
無機質な光を放つ金属の皮膚は、おとこの不機嫌さに鋼の鈍重さを与えている。
おとこの目の前には、豪華な料理が並べられていた。
焼きたてのティーボーンステーキに、ハーブバターソースのたっぷりかかったクラブやシュリンプが大皿に盛り付けられている。
また、南国の鮮やかな色彩にいろどられた果物が、別の鉢に盛られていた。
おとこの前には、血のような真紅に輝くワインのそそがれたグラスがあり、芳醇な香りを漂わせている。
豪華なのはテーブルの上だけではなく、その部屋もまたとても豪華な部屋であった。
天井には硝子の城塞かと思うような巨大なシャンデリアが吊るされ、壁には優美な花々を幾何学的文様で描いたタペストリが掛けられている。
おとこが腰かけているのは、中世の欧州で使われていたのかと思わせるほど凝った装飾で被われている椅子であった。
おとこは、漆黒のテーラードスーツを身につけ飢えた野獣の瞳で空を見つめている。
フォーマルな装いに似合わない、殺気と死の匂いが自然と身体から立ち昇っているのが、見えるようだ。
おとこの放つ死の気配に呼応するように、窓の外から銃声や悲鳴が聞こえてくる。
時折爆発音も聞こえるが、外で行われているのは戦闘というよりも、一方的な殺戮のようだ。
苦痛に満ちた叫びが、おとこが持つ獣の瞳を時折輝かすように見えるが、曇天のような不機嫌さに切れ目をいれることは叶わない。
そのおとこの眼差しの先に、コンバットスーツのおとこが姿を現す。
その顔面はやはり、金属の仮面をつけているように見えた。
コンバットスーツの若いおとこは、おとことは対照的に上機嫌である。
「ボス、おんなを連れてきましたぜ」
言葉どおりに、若い男の後ろに夜空を縫い上げたようなドレスを纏ったおんなたちが姿を現す。
おんなたちは、皆美しく艶やかな香りとドレスを身につけているが、微笑に潜む怯えを隠すことができない。
不機嫌なおとこは、ゆらりと立ち上がる。
長身で、逞しい身体が、豪華な部屋に聳え立った。
黒いスーツに白いシャツというモノトーンで構成された姿は、どこか死の司祭を思わせたが野獣の瞳は荘厳さを打ち消して、野蛮さを主張している。
おとこは、並んだ美女たちを眺めほんの少し唇を歪めた。
次の瞬間、おとこが腰から抜いた大口径リボルバーが火を吹いた。
おとこの抜いたレッドホークが放つ、454カスール弾はおんなたちの身体を破壊する。
六つの豪華な大輪の薔薇が咲くように、おんなたちの背後で血が繁吹いた。
若いおとこは、何か楽しい冗談を聞いたかのようにけたたましく笑いはじめる。
エジェクティング・ロッドで空薬莢を捨てたおとこは、スピードロッダーで454カスールを再び弾倉へ装填しもう一度撃った。
若いおとこは眉間を撃ち抜かれ、床に転がる。
少しだけ、おとこの口に笑みのような形が浮かんだ。
おとこは、巨大なリボルバー、レッドホークを腰のホルスターへ戻す。
そして、無造作に歩き出した。
足元に、若いおとこの死体が転がっている。
454カスール弾で破壊された頭部が、ナノマシンによって再生されつつあった。
彼ら、マキーナ・トロープは死ぬことを許されない。
おそらくは、彼らを支配するRB(Re・designed humans・Brigade)が認めるまで。
マキーナ・トロープは生物学的には既に死んでおり、ナノマシンによってシステムに駆動される生ける屍の生を「生きて」いる。
それは彼らにとってシステムに幽閉された偽りの生ともいえるが、ナノマシンにより殺戮衝動以外の感情を抑制された彼らにはかつてのひととしての生は遠い過去の幻にすぎない。
おとこは、亡霊のようにゆらりと意志をなくした状態で立ち上がる若いおとこを見て、侮蔑するように口元を歪めると唾を吐き捨てた。
部屋を出ていこうとするおとこの周囲に、四足歩行型・アサルトロボットが集まってくる。
頭に相当する部分に、5.56ミリカービンを装備した自律稼働式ロボットは、おとこの周囲を警備しはじめた。
廊下に立っていた、M4カービン型の自動ライフルを持ったコンバットスーツのおとこが問いかける。
「ボス、どちらへ?」
「おれは、自分の部屋に戻る。おんなの死体を、処理しておけ」
コンバットスーツのおとこは、身近にいた相棒をつれ部屋の中へと向かう。
おとこは、金属の猟犬を思わせる四足歩行型・アサルトロボットをつれて廊下を歩いていった。
おとこの入った部屋は、重厚でアンティークな家具を備えたスウィートルームである。
そのスウィートルームのリビングに置かれている、革張りのソファへ腰を降ろした。
おとこに従っていた金属の猟犬たちは、おとこの四方を固める。
おとこはデスクに置かれた小箱から、シガリロを取り出すと口に咥えて火をつけた。
薄暗い部屋の中、紫煙が漂っていく。
煙を吐くおとこの側で、金属の猟犬たちは背中に装備されたセンサーのLEDライトを点滅させながら周囲を警戒し続ける。
それは、唐突におこった。
全てのアサルトロボットが機能を停止し、撃ち殺されたように床へ沈んでいく。
おとこは、何かが始まっていることを理解する。
おとこの表情から、不機嫌さが消えていた。
満面の笑みを讃えて、スウィートの奥にあるコネクティングルームから黒い人影が姿を現すのを見ている。
黒革のロングコートを纏った、長身のおとこが歩みだす。
金髪に整った顔立ちを持つ黒いロングコートのおとこは、死の大天使に見える。
「おまえか、おまえが」
おとこは野獣の瞳を闇の中で光らせ、歓喜の声で叫ぶ。
「おれの運命なのだな」
「おれは、ティーガーだ」
金髪に碧眼のおとこは、鋼のように冷たい声色で答える。
おそらく鋼鉄にひとの皮膚をはりつけひとのように見せかければ、目の前のおとこのようになるであろうと思う。
鋼のおとこが纏う漆黒の革コートは、銃器が纏う死の気配と静寂の美しさを兼ね備えているようだ。
マキーナ・トロープのおとこは、ぞくりと戦慄が背筋を這い上がるのを感じた。
目の前にいるのは、紛れもなく狩られる側ではなく、彼と同じ狩る側の存在だ。
そのおとこの影から、ひとりの少女が姿を現した。
セーラー服姿の、少女である。
「あなたの運命は、このわたしよ。マキーナ・トロープ」
マキーナ・トロープのおとこは、そっと目を細める。
おそらく大災厄がおこり世界が崩壊する前であれば、その少女は平凡な姿といえたであろう。
学校の帰り道に、ふらりと立ち寄ったとでもいうべき雰囲気をまとっていた。
けれど、この全てが崩壊し狂った世界では、少女の普通さは異常である。
まわりの空間を歪ませてしまうのではないかと思わせる、異様な普通さを少女はまとっていた。
ただ少女は、平凡な女学生の姿にそぐわない剣を手に提げている。
少し反りがある片刃の剣らしいそれは、まだ鞘におさめられたままだ。
その剣が、彼女のもたらす運命を示している。
おとこは、薄く笑う。
おとこは、その少女がなんであるか知っていた。
まさに、彼の運命というべき存在である。
「マキーナ・トロープとはいえ、おれにも名はある。ニコライという」
少女は 、整った顔立ちではあるがどこか印象の薄いその顔に、そっと笑みを浮かべる。
昼休みの雑談で友達の冗談を聞いたときに浮かべるような、のどかな笑みであった。
「ニコライね」
部屋に、突然ドローンが出現する。
4機のドローンには、それぞれスタンガンが装備されていた。
舞うように部屋を移動したドローンたちは、少女たちを囲むと一斉にスタンガンを発射する。
少女は、すばやくティーガーと名乗ったおとこの後ろへと隠れた。
ティーガーの黒い革コートは電撃カプセルを受けて、青白い火花に包まれる。
ティーガーは、常人であれば数回気絶させられるだけの電撃を受けながら、平然と立っていた。
少し瞬きを、しただけである。
少女は、一瞬だけ剣を抜きまた鞘に収めた。
闇の中を三日月のような光が、すばやく疾り抜ける。
少女の振るった剣は、何にも触れていない。
しかし、ドローンたちは制御を失い床へと落ちていく。
ニコライは、楽しげに笑った。
「おまえは、術者ということだな。パウリ・エフェクトの使い手というわけだ」
少女は、そっと頷く。
「おれは名乗ったぞ、術者。マキーナ・トロープに名乗る名はないということか?」
少女は、少し驚いた顔になる。
「そうね。まあ、わたしのことは百妃とよべばいいよ」
ニコライは、頷いた。
次の瞬間、ニコライの全身が金色の光に包まれた。
その身体は、変形しつつある。
「マキーナ・フェノメノンね」
百妃と名乗った少女は、そっと呟く。
ニコライの身体は、急激に膨張していった。
その瞳は、鬼火を宿したように赤く輝いている。
剣のように鋭い爪が、両手から伸びていく。
天井近くまで膨れ上がった背中から、大きな金色の翼を開いていった。
百妃は、ティーガーに声をかける。
「アハト・アハトだ、ティーガー」
ティーガーの左腕が、黒い光に包まれる。
突然、ティーガーの左腕が小さな宇宙空間にのみこまれたようにも見えた。
そして、その漆黒に輝く光の中から、巨大な鋼鉄の砲身が出現する。
一方ニコライは、既に全長10メートル近くはある黄金の龍へと変化を終えつつあった。
無数のダガーが並ぶかのような牙を剥き出しにして、金色に輝く龍は笑う。
「アハト・アハト、88ミリ戦車砲か」
ニコライは、牙のはえ並んだ口から言葉をこぼす。
冷徹に輝く4メートルはあろうかという鋼鉄の砲身が、ニコライのほうへ向けられる。
ニコライは、咆哮をあげると短刀のような爪を備えた前足で、ティーガーへ襲いかかった。
その月影が持つ金色を纏った爪がティーガーの身体に触れる直前に、世界が破滅させるかのごとき轟音を響かせ砲口から徹甲榴弾が放たれる。
爆炎が蹂躙する部屋の中で、床へ足をめり込ませたティーガーが1メートル以上後退していく。
爆炎と闇を駆逐する火炎が砲身から放出され、至近距離から初速810m/sに達する徹甲榴弾が金色の龍に命中した。
金色の龍が纏う流体金属から形成された装甲は、その徹甲榴弾の飲み込もうと液状化して渦を巻く。
しかし、徹甲榴弾は龍の腹に食い込むと破砕された太陽の輝きを放ち、炸裂した。
黄金の龍は、巨人の手で薙ぎ払われたように、スウィートルームからはじきとばされる。
壁をぶち破ると、爆炎につつまれて十階の部屋から地上へ向かって墜ちてゆく。
それは炎に包まれた明けの明星がごとき、姿であった。
巨人が鉄槌を地面に叩きつける轟音が、聞こえてくる。
百妃は、破壊された壁際にかけより、片手に剣を提げたまま地上を見下ろす。
闇に包まれた地上で、鬼火に包まれたような金色の龍が地面へめり込んでいる。
死んではいない証拠に、真紅の薔薇に犯されているように炎につつまれた龍は、身体を蠢かせていた。