其の十九 世界の終わりが、駆け巡る
フリージアたちは、うまく逃げてくれるだろうかとぼんやり思う。
きっとフリージアは、うまくやるだろう。
マキーナ・トロープは不思議と慎重に、囲みを少しづつ狭めてくる。
面倒くさいな、さっさとやってくれと思う。
というより、もう血を失いすぎたせいか思考能力がひどく低下してしまっていた。
百妃は、昏くなる意識をなんとか持ちこたえさせながら、ぼんやりと足元をみる。
左手に握られたままの骨喰藤四郎が、地面に転がっていた。
刀身は切断されていたが、それでも鍔元から半分ほどは残っている。
その折られた刀の放つ冷たい輝きを、百妃は不思議と美しいと思う。
その折られて尚失われない美しさは、百妃のこころに光を注ぎ込む。
骨喰藤四郎の折れた刀身に刃も少しは残っているので、斬れなくはないだろう。
驚いたことに骨喰藤四郎の冷たい輝きは、百妃の中に残っていた戦う意志を呼び覚ましたようだ。
まだやるのかと自分の往生際の悪さに苦笑しつつ、セーラー服につけていたスカーフをはずすと、左手に巻きつけ歯と右手を使って無理やり縛る。
多少は、血の流れが緩やかになった。
百妃は切断された左手ごと、骨喰藤四郎を拾いあげた。
マキーナ・トロープたちは半径5メートルほどの円で百妃を囲っている。
狼たちは、霧の中に潜む薄暗い影のようだ。
鬼火が浮かぶように、その瞳だけが輝きを放っている。
百妃は、左手ごと骨喰藤四郎を持ち虚の構えをとっていた。
どのくらいパウリ・エフェクトを発動できるか、心の一方を使うことができるかぼんやり考える。
二、三体と刺し違えることができたら上出来というところか。
せめてフリージアが逃げ出すための、時間稼ぎとなればいいと思うことにした。
そして、できうるなら、毅然として死のうと思う。
(さようなら)
誰に向かってともなくつぶやき、唇を噛むと瞳に力を宿す。
マキーナ・トロープたちは葬送曲を奏でるように、低く唸り声をあげていた。
もう一歩。
もう一歩、マキーナ・トロープが踏み出せば、間合いに入る。
百妃は、全神経を研ぎ澄まし、最後の一歩を待つ。
マキーナ・トロープがゆらりと最後の一歩を踏み出そうとしたとき、それがおこった。
百妃の後方で、爆発がおこる。
閃光と爆風が百妃の背中をうち、百妃は少しよろめく。
爆発は、それで終わりでは無かった。
次は右手、そして左手と立て続けに爆発がおこっていく。
火焔と爆炎、轟音と閃光が飛び交い、あたりは地獄の様相となっていった。
マキーナ・トロープは百妃のことを忘れたように体勢をとろうとするが、爆発はさらに続けておこっていく。
百妃は、自分の弱った身体を翻弄するその爆発に、おぼえがあった。
これは152mm榴弾のおこす、爆発のはずだ。
これを使うのは、彼女のはずである。
「またせたね! わたしがきたよ!」
百妃の予想にこたえるように、甲高い笑い声と少女の声が響く。
「さあ、パーティーをはじめるよ、みんなわたしのところへおいで!」
ああ、と百妃は思い眉間にしわをよせる。
前方に、巨人の肩に座った少女がみえた。
巨人の肩の上で足をぶらぶらさせながら、楽しそうに笑っている。
ほんとうに楽しそうに笑っており、それが百妃の気力を急激にうばっていく。
巨人、カーヴェー・ドゥヴァーの付喪神は右手を152mm榴弾砲に変化させ、左手をDP28軽機関銃に変化させていた。
カーヴェー・ドゥヴァーは自分に襲いかかってくるマキーナ・トロープに対して、右手から7.62x54mm弾をまき散らしていく。
機銃弾は容赦なく、マキーナ・トロープを破壊していった。
同時に、152mm榴弾砲は立て続けに放たれる。
まるで、ガトリング砲でも撃っているようないきおいで、152mm榴弾を発射していた。
あたりは爆撃機で、絨毯爆撃をされているかのような状態になる。
火焔と閃光が霧を蹂躙し、漆黒の爆炎が這い回った。
黒い煙の中から雪のように白い灰が舞い落ちていく、お馴染みの地獄の景色が出現している。
むちゃくちゃだと、思う。
でたらめだと、思う。
何かすべてが無意味ではないかと思えるほどの、容赦の無い破壊行為だ。
へたすると、あたりの地形がかわってしまいそうな勢いである。
ああ、と思い百妃はひざをつく。
あまりに轟音と閃光と爆風が激しすぎて、むしろ静寂の中にいるような気分になった。
それでもなぜか、少女の楽しそうな笑い声だけはきこえてくる。
こころの底から、もうすべてがどうでもいいような気分になった。
百妃は、あたりを蹂躙する爆風に身をまかせながら、地面に倒れこもうとする。
誰かが、彼女の身体をささえた。
見あげると、影につつまれ朧ではあるが、間違いなくティーガーの顔がある。
百妃は、息をのむ。
おそらく、完全に量子的ユニタリティが回復したのではないが、部分的に実体化させれるところまでは復旧したのだろう。
その本体はディラックの海にあるが、手のひらだけは局所実在化しているようだ。
百妃は、長いため息をつく。
「遅いよ、ティーガー」
ティーガーは無表情ではあるが、少し困ったように答える。
「無理をいうな、主よ」
「ああ、もうわたし、死ぬから。ほら、血がいっぱい流れたし」
「この程度の傷で、ひとは死なない」
「ひどい、この程度って。片手、切り落とされたのに。無茶苦茶痛いし、死ぬよ。わたし」
「思ったより、元気だな」
「なにそれ、ひどすぎ。もう死ぬ、今すぐ死ぬ」
ティーガーは、困ったような顔をしながら救急キットをディラックの海からとりだし、応急処置をはじめる。
じつによくできた式神だと、百妃は感心した。
モルヒネを射たれ夢うつつになった百妃は、いつしか爆音が止んでいることに気がつく。
百妃は、くらくらするが無理矢理身をおこす。
巨人が、立っていた。
背が高いだけでなく、幅も厚みもある巨大なおとこが聳えるように立っている。
ウシャーンカをかぶりファーが襟についたコートを纏ったその姿は、カーヴェー・ドゥヴァーである。
傍らには、野に咲く花のように可憐な少女が、佇んでいた。
口をひらかねば、春の日差しのように穏やかな少女に見える。
しかし間違いなく最強の術者である、バクヤ・コーネリウスであった。
カーヴェー・ドゥヴァーと向かい合うように、黄昏時の幽霊となったティーガーが立つ。
巨人のそばでみると、ティーガーですら、子供にみえる。
カーヴェー・ドゥヴァーが、すこし笑う。
「なんというざまだ、ティーガー。それでは、主を守れまい」
ティーガーは、すこしむっとなる。
カーヴェー・ドゥヴァーは意に介さず、言葉を重ねた。
「おまえは、ヘキサグラムの印がついたマキーナ・トロープでないと狩る気がおきないのではないか」
これには、百妃も少しむっとなるが、おどろいたことにティーガーが口をひらく。
「そういうお前こそ、来るのが遅いぞ、カーヴェー・ドゥヴァー。おおかた背中をポリティカル・コミッサールの銃で
つつかれないと、やる気がでないのだろう」
百妃は、びっくりしておろおろしたが、バクヤ・コーネリウスがわって入った。
「つまらんわ、あんたら」
カーヴェー・ドゥヴァーとティーガーは、むうとなってバクヤの顔を見る。
可憐な少女は、機嫌よさげな笑みを浮かべたまま続ける。
「あんたらのボケはつまらなすぎて、ようつっこまん」
カーヴェー・ドゥヴァーとティーガーが憮然とするのを見て、百妃は青ざめる。
彼女には、どう収拾をつけたものか見当もつかない。
咲き誇る花の笑みを浮かべた少女は、ふたりを見つめる。
「なんにしても、あんたらは仲ようせなあかん。よし、握手をし」
え、となったふたりの式神を無視して無理矢理ふたりの手をとって、握手をさせる。
百妃は、気が遠くなった。
ボルシェビキとナチスの握手は、神と悪魔の握手よりありえない気がする。
それでも、カーヴェー・ドゥヴァーは先におれた。
「まあ、少しいいすぎたようだ、詫びをいれよう。ティーガー」
棒読み口調ではあるが、詫びの言葉を語る。
ティーガーも、いつもの無表情ではあるが、すこし会釈をしたようだ。
「こちらこそだ、カーヴェー・ドゥヴァー。すまなかった」
こちらもぎくしゃくした調子ではあるが、詫びてはいる。
バクヤはたからかに笑ってみせ、百妃はすこしげんなりした。
バクヤはバカ笑いをやめて、百妃をみる。
「いや、あほなことしてる場合やない」
バクヤは、膝だちになっている百妃に寄り添い背中に手をあてると横たえた。
「ごめんね、わたしが来るのが遅かったばっかりに、ひどい目にあわせてしまった」
なんとなく上から目線に感じるのは、自分のこころが弱ってるせいと百妃は思い、すなおに礼をいう。
「いいえ、あなたのおかげで生き延びた。ありがとう、バクヤ」
バクヤは、百妃の服をはだけさせ応急処置をした傷口をむき出しにする。
そして、ポケットからガラス瓶をとりだすと中身を傷口へふりかけた。
百妃は、少し顔をしかめる。
瓶の中身は、虫であった。
大きさは一ミリ以下の、糸屑のような虫だ。
蠱毒の呪をたっぷり保持している、虫である。
呪というのは、負のエネルギー、いいかえると負のエントロピー、ある意味生命エネルギーとでもいうべきものだ。
つまり傷口に直接生命エネルギーを、注ぎ込んでいることになる。
それは細胞を活性化し、修復を驚異的にはやめた。
まあ、理屈ではわかっていても、虫を体内に入れるのはあまり気持ちのいいものではない。
実際のところ体内に入った虫は、呪を放出してすぐに死ぬのではあるが。
バクヤはさらに、切断された左手を虫を接着剤として繋ぎ合わせていく。
骨を特殊なセラミック工具で接続し、傷口を縫うと添え木をあてて固定していった。
「ええと、こんなので手が繋がるの?」
百妃の言葉に、バクヤは花のような笑みを返す。
「運次第やね。まあ、あなたの左手に宿ってる蠱毒は強力やから、うまくいくはずやけど」
バクヤは手際よく包帯で左手を固定し、さらにベルトで身体に固定していく。
百妃は、だんだん身動きがとれなくなっていった。
「ねえ」
百妃は、もくもくと作業をするバクヤに声をかけた。
「フリージアたちは、無事なの?」
バクヤは、静かな笑みを浮かべて百妃を見る。
なんだかもう、おまえの心配する必要のないことだから口出しするなと言外に伝えられたようなきになった。
それもこころが弱ってるせいなのだろうと、百妃は思うことにする。
しばらくの沈黙の後に、バクヤは口をひらいた。
「亡命したマキーナ・トロープの無事は確認してある」
そう言った後に、バクヤは少し冷たい光を瞳に宿す。
百妃は、どきりとした。
「なあ、あのこたちをシャイアンマウンテンにつれていくって、どうなん?」
唐突とも思えるバクヤの問いに、百妃は困惑した。
「あなたも、知ってるよね。シャイアンマウンテンには、世界を終わらせるだけのものがあるのを」
百妃は、一瞬喉を絞められたように呼吸が苦しくなる。
世界の終わり。
その言葉が、百妃の中を駆け巡った。
百妃はそれでも、自分の思ったことを口にする。
「わたしが思うに、フリージアたちはわたしたちと同じようにこころを持っていて、苦しんだり悲しんだり喜んだりするおんなのこだよ」
バクヤは何かいいたそうに、口をあけたがすぐにとじた。
そして、首をふる。
「ごめん、百妃。がらにもなく余計な心配をしてしもうた」
そして、花のような笑みを浮かべる。
けれど、バクヤの言うことは客観的にみればとてももっともな話だ。
シャイアンマウンテンの地下深くには、文明崩壊前に造られた反応兵器が大量に眠っている。
そして、その威力は世界を終わらせるだけのものがあった。
そんな場所にマキーナ・トロープを招き入れるのは、誰が考えても危険なはなしだ。
さらに、フリージアは言った。
世界の終わりを、持っていると。
百妃は、自分のしてきたことがどういう意味をもっているのか、ひどく不安になる。
バクヤは、そっと百妃のほほに手をあてた。
「ごめんな、百妃。よけいな話をして。眠るといいよ。モルヒネがきいてるやろ。眠ったままの状態でカーヴェー・ドゥヴァーがあなたをシャイアンマウンテンに運ぶから」
その言葉が引き金となったのか、百妃は強い睡魔におそわれる。
闇が静かに、降りてきた。
 




