其の十七 自殺行為としか思えないダイブを行う
翼でプラズマ推進を行って浮力と推進力を発生させるのだが、ものすごくエネルギーを消耗した。
10分どころか、数分で体力を使い果たしそうな気もする。
とはいえ今さら引き返せず、ローズはマリィゴールドに続いて霧が灰色に染め上げている空の中へ飛び込んだ。
ローズは、灰色の海となった霧を切り裂いてヤクⅠの後を追う。
視界が極度に悪いのにヤクⅠの存在を感じとることができるのは、おそらく百妃がかけた呪のおかげなんだろう。
やがてローズは、なにか巨大なものが前方下方に存在していることに気がつく。
海のなかに潜むリヴァイアサンを、空から見下ろしているような気になる。
「なにあれ」
ローズは、驚きの声をあげた。
「戦艦が、丘の上にある!」
「いいえ、あれは駆逐艦。ソロモン柱神団の駆逐艦雪風。それと、実体はディラックの海にあるから、あれは影が見えているだけ」
百妃の冷静な声が、頭のなかに響く。
なるほど、これが量子通信というやつなのかと思う。
確かによく見ると、その駆逐艦は陽炎に包まれているように揺らめいて見える。
「かつて極東の島国にあった帝国海軍が、ソロモン海戦の前に軍艦の量子的ユニタリティだけをディラックの海へ複写したの。撃沈された後に量子的ユニタリティを使って、船を復元しようとしたのだと思うのだけれど、それはうまくいかなかった」
雪風の艦首、魚雷発射口から深紅の火焔が灰色の霧の中へのびてゆく。
ディラックの海のなかで、魚雷を射っているようだ。
後方で、爆音がとどろいた。
まだ、フリージアたちからは遠い位置だと思いたい。
「RBは、ディラックの海に残された情報にマテリアルを与えて、そこにAIによるパーソナル・モデルを付加して魔神に作り替えた。あの船影の下にパーソナル・モデルがいる。それをたたくわよ」
百妃の言葉と一緒に、様々な情報が頭に流れこんでくる。
駆逐艦雪風のスペックが、古い記憶を呼び覚ますように頭の中へ浮かんできた。
ある意味、百妃と思考を共有しているようなものだ。
霧の向こうの駆逐艦は、次第に影が濃くなってくる。
霧の海に黒い巨鯨の影を思わせる雪風が、漂っていた。
50口径12.7センチの主砲を前方にむけ、装甲に覆われた武骨な艦橋を聳えさせているが、船体は流線型で優美にも思える。
灰色の霧が作り出した海のなか、岩盤でできた丘の上に浮かんでいた。
「上昇するよ」
百妃の言葉が頭のなかに響き、ローズは自分の隣でオリーブドラブ色のレシプロ戦闘機が液冷V型12気筒エンジンに悲鳴をあげさせながら、急上昇をはじめるのをみた。
ローズもまた、翼からのプラズマ放射の出力をあげその上昇に続く。
霧の中から光の矢が立て続けに、襲いかかってきた。
霧を裂き襲いかかってくる機銃弾をおって、銃声がくる。
雪風は、25ミリ連装機銃を彼女たちめがけて撃ってきた。
けれど、ローズたちは雪風の機銃が狙う先をいく。
光の刃は、ローズたちには届かず虚しく灰色の霧へと飲み込まれていった。
やがてヤクⅠとローズたちは、霧の上へとでる。
蒼灰色の空が天頂に昏い深みを湛え頭上に広がり、乳灰色の海となった霧が眼下に横たわっていた。
凄みを感じるほど蒼く冴え渡った空の下、雪風の放つ機銃弾はローズたちまで届かない。
この空の上は、神聖な静寂が支配していた。
呪によって強化されたローズの瞳は、遥か下方にある雪風の影をとらえることができる。
「いくよ」
百妃の言葉が、頭のなかに響く。
巨大な魚が身を翻すように、ヤクⅠは機首を下方に向け霧の海へとダイブする。
ローズのとなりで、黒い翼で蒼白の空気を裂きマリィゴールドがその後に続く。
ローズもその後を追って、乳灰色の海へと飛び込んだ。
急降下すると、空気が固体化したようになる。
本物の海にダイブし、深海をさらに潜ろうとしているような気分になった。
ローズの背中で金属の翼が、軋み音をたてながら震える。
地上から雪風の撃ちあげる25ミリ機銃弾が赤い光の柱となり、地上から空に向かって打ちたてられた。
真上に対空機銃を撃つことはできないようで、雪風は円を描くように船体を旋回させながら撃ってくる。
ヤクⅠとローズたちは、その機銃弾を避けつつ雪風の動きに合わせ螺旋を描き降下していった。
ローズは、ペイロード・ライフルを構えボルトを引くと初弾をチェンバーに送り込む。
降下しながらだと、全ての動作が海底にいるように重くなる。
地上に向けたローズの頭は、風圧で引きちぎられるのではないかと思う。
風に翻弄されながらも、ペイロード・ライフルを雪風へ向けていく。
ペイロード・ライフルの予備弾倉はないので、使えるのは5発だけだ。
慎重に、撃つしかない。
撃ちあげられる機銃弾をかわしながら、有効射程にはいるのを辛抱強く待つ。
ダネルを持ったマリィゴールドも弾倉にある六発を撃てば、終わりなはずだ。
マリィゴールドも、もう少し近づいて撃つつもりらしい。
突然、ヤクⅠのキャノピーが開き、 百妃が霧の海へと飛び出す。
ヤクⅠはオリーブドラブの翼を翻し、離脱していった。
セーラー服を風にさらし、パラシュートを背負った百妃が降下していく。
ヤクⅠに乗っていたら、対空機銃の的になるだけだと判断したらしい。
25ミリの機銃弾を撃ちあげてくる雪風は、相変わらず円運動を行っていた。
ローズは、その中心におんなの姿を感じる。
おそらく、百妃の言う魔神のパーソナル・モデルだろう。
何故か目では見ることのできないその姿が、ローズの脳裏に像を結ぶ。
白いおんなであった。
ツバキに似ていると、ローズは思う。
ローズは、魔神を視界の片隅におきながら機銃に向かってペイロード・ライフルを撃った。
風に打ち消され銃声は聞こえないが、発射の反動はローズの身体を揺さぶる。
着弾点と自分の速度と風圧を合わせ、頭の中で正確な着弾点を割り出していく。
彼女に組み込まれたナノマシンが不完全な動作ではあるが、その計算をやってくれる。
頭を切り裂くような痛みを代償として要求される、危険な行為ではあるがやむおえない。
立て続けに4発、ペイロード・ライフルを撃った。
三機の機銃が沈黙し、灰色の霧の中で黒い爆炎をあげる。
少し遅れて、マリィゴールドもダネルを撃つ。
おそらくペイロード・ライフル以上に命中させるのは難しかったろうが、それでもマリィゴールドは二機の機銃を沈黙させた。
全ての機銃を沈黙させられたわけではないが、生身で突撃する百妃のために多少は火線の死角をつくれたはずだ。
ダネルを投げ捨てたマリィゴールドが、離脱していく。
マリィゴールドの漆黒の翼が、風に舞う木の葉のように激しくゆれている。
それでも強引にマリィゴールドは、水平飛行へと姿勢を変えながら降下していった。
ローズも自殺行為としか思えないダイブを行っている百妃にむかった軽く手をふると、続いて離脱する。




