槍の間合い
対峙して初めに感じるのは間合い、リーチの違いだ。男の身長は2mを余裕で超えており、それだけでもニシにとっては初めての経験なのにその上相手が構える槍は1.5mを超える長さを誇っている。踏み込みを合わせれば恐らく相手の攻撃範囲は3mを超えることは想像に難くない。今までのどの試合よりも圧倒的にリーチの長い相手との戦いになる。それは未知の領域を手探りで新たな戦い方を開拓しなければならない事を意味する。
うかつに仕掛けられず、踏み込むことを躊躇うニシに痺れを切らし、男から仕掛ける。
「来ないなら、此方から行かせてもらうぞ」
肩幅に開いて構えていた足を大きく開くようにして前進し、前方に進む力を槍を突き出す力に乗せるように突きが放たれる。2mを超す巨体の一歩はそれだけで予想以上の距離を進み、放たれる槍の射程を想定より狂わされる。
「ッ! 速い」
避けることは困難だと判断し横に飛ぶように逃げる。反撃をすることや、態勢を崩すことも厭わず逃げの一手を打つ。ただ相手の姿からは一切目を離さないようにしながら。
自分でも分かっているが、無様な姿を晒したニシに男は早くも失望の色を浮かべる。
「随分と大仰に避けるものだな。素人にしか見えないぞ」
「ふう。いや申し訳ありません。なにしろ槍を相手にするのは初めてのもので、正直面食らいました。でも次はちゃんと躱します」
強がりの様な発言に聞こえるが、相手の顔や声からはその色は見えず、ただこれから行うことを口に出したといった姿に男は困惑する。
「一度見ただけで私の槍を躱すというのか? 大層な口を叩く小僧だな。ふむ、いいだろう。ならば私の突きを見事と躱してみせろ!」
言い終わるより先に踏み込み始め、槍は避けづらい胸元に向け最短距離を走らせる。迫りくる槍に対しニシは動こうとせずにその場で左腕をやや前に構え待ち構える。
(動かない?やはり先ほど大言はただのハッタリだったのか?その様な真似をする男には見えなかったが・・・)
槍先がニシの構えた左腕を過ぎ体へと迫る、男はこの距離では避けることは不可能だと判断し、威力を抑え大怪我を負わないようにするべきかと力を弱めようとするが、結果としてその必要は無かった。
男が直撃を確信したタイミングでニシも動き出していた。前に出し構えていた左手を槍に添え、そしてその手を支点に体を捌き、まるで槍に沿っているかのように踏み込み、槍の一撃を捌いてみせる。男には見事に己の一撃を避けられたように見えた。
「馬鹿な!?」
驚愕する男とは裏腹にニシは自分を叱咤していた。
(ダメだ。踏み込みが浅すぎるし、大きく躱し過ぎだ。この距離と体制じゃ有効打を打ち込めない! 慣れない槍に緊張しているのか・・・だらしないなオレ)
男が突き放った槍を無理やり横に振るおうと力を籠める。普通なら全力で突いた長物を引き戻さずに、その場で振るおうとしても力が乗らず、満足な威力のない攻撃にしかならないが、それを振るう人間が尋常ではない筋力を有していたならば、倒すための攻撃にならずとも相手を吹き飛ばし距離を開けるための攻撃になるはずだった。
「馬鹿な動かないだと!?」
相手を吹き飛ばすはずだった槍は突き出されたその場から微動だにしない
「それはそうですよ。槍の真ん中辺りを押さえられたら、いくら貴方の筋力がすごくとも流石に押し切れませんよ?」
それもそのはずだ。ニシは添えていた左手で柄の腹を押さえ、槍の動き止めていたのだから。いくら筋力差があろうと体を整えもせず、まして初動を押さえられてしまえば押し勝てるはずがない。が、余程自分の腕力に自信があるのか男は槍を一旦引くこともせず更に力を込めてくる。
「嘘でしょ!?」
僅かに左腕が押し込まれる。圧倒的に不利な体制にも関わらずここまでの力を伝える男に冷や汗が流れる。
どんな筋力をしているだと、内心で悪態をつきながら左腕の力を緩め、今度は槍の力に乗るようにして左腕を支点に横に飛ぶ。槍に込められていた力が余程強かったのか、予想より長い距離を飛びながらフワリと着地する。その様子を男が不可解そうに見つめる。
「今のはどうやったのだ?私の槍の力に乗って飛んだのはわかるがほとんど重さを感じなかったぞ」
「大したことではありませんよ? 槍の振るわれる力のベクトルに合わせて飛んだだけです。確か軽巧という技術らしいのですが、先輩程上手くはいかなかったですね。力を殺しきれず飛び過ぎてしまいました」
ニシ自信使えていると言える程この技術を習得していない上に、先輩から一度聞いただけの内容なので、かなり簡単な説明になってしまったが、それでも男は理解することが出来たらしく、感心いたように息をつく。
「ふむ。相手の力に逆らわずに威力を殺す技術ということか。面白い技だな・・・ん?先輩というともう一人の男のことか?」
「ええ、そうです。自分より圧倒的に上手いですよ。先輩なら威力を殺しきって反撃にまで繋げていたと思います」
本人が聞いていたら、いや一発で成功できる自信はないんだけどと、やんわりと否定したくなるほどの信頼した言葉を口にするニシに男が胡乱な表情をする。
「それほどの使い手には見えなかったが・・・」
「先輩の強さは分かり辛い強さですからね・・・実際に部のメンバーでも先輩を下に見ている人はいますし」
部活内では下級生の組手相手はだいたいが正レギュラーの5人が受け持つことになっている。当然の如く下級生がレギュラー陣に勝てるわけもなく、それどこらか勝てるとすら思わせて貰えない程圧勝されてしまう。一人の人物以外は。
「少し優し過ぎるのですよ先輩は」
「認識を改めるべきか・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
無言のまま男の視線がニシから外れ横に向く。釣られてニシも視線を横にへと向ける。実を言うと二人とも先ほど立会いのなか、何度かそれを視界に納めてはいたが、意識の外へと追いやっていたのだ。
二人が視線を向けた先では、ある意味とても高度なアクションが繰り広げられていた。
「貴様!いい加減に真面目に戦え!叩き切るぞ」
「いや・・・真面目といえば真面目にやっているんだが」
言葉と共に右手に持たれた大ぶりのククリナイフが真上からケンドウの頭めがけて振り落とされる。それを真横に気を付けの姿勢を取ることでギリギリで躱してしまう。そんなふざけた躱しかたをされた女は、今度こそ殺すと左手に持つククリナイフを十字を切るように真横に豪快に切り払う。避けることが困難な真横から迫る刃に対しケンドウは今度は気を付けの姿勢から真下にしゃがみ、まるでカエルの様に両手足を地面につける姿勢を取ることで避けてしまう。
「ふっ、ざけるなー!?」
自分の斬撃をコミカルな動きで躱して見せるケンドウに激怒している女は振り下ろしたククリナイフを跳ね上げ今度こそ叩き切ろうとするが、ナイフから想定外の重量を感じ、動かすことができない。実はカエルの様にしゃがんだ際に振り下ろされていたナイフの峰に両手を乗せて地面に固定していたのだ。
女が右手のククリナイフを諦め、左手のククリナイフを真下にいる男に振り下ろすため引き戻そうとするが、そのタイミングで本物のカエルの様に四つ足で前方にジャンプして逃げてしまう。呆気に取られるが、あの体制でジャンプできる距離などたかが知れている。直ぐに追撃を移れば間に合うと感に呼びかけられ正気に戻りケンドウの後を追おとするが、感が告げた予想とは異なり獲物はすでに2m以上の距離を開けていた。
(なんでそんなに遠い!?)
至近距離にいた女からは見えなかった様だが、離れた位置から見ていた二人には一部始終が見えていた。正直見たくなかったとの思いが二人の胸中に浮かんではいたが。
「なんと言えば良いのか。あれは本当に武人なのか?」
「見た目はあれですが、効率的ではあると思います・・・」
ケンドウは特に変わったことをしたのではない、いや見た目があれなので変わっていると言えるのだが、行ったことはジャンプの着地の後、ただの前転を繰り返し距離を空けて立ち上がっただけである。
「まあ、確かにあの場で立ち上がっていたら、クライが左のククリナイフを振り切れば切られ可能性もあったのだから、低い姿勢のまま距離を取ったのは正しいのだろうがなあ・・・」
男も戦士だ。戦場でカッコ悪いなどと気にしていてはすぐに死ぬだけだと理解はしている。してはいるが・・・・・・。
「避ける度に小さな悲鳴が聞こえる気がするのだが、私の気のせいだろうか?」
男の言うとおり、ニシの耳にも先ほどから「うお!」「こわ、こわ!」「やばいってマジで死ぬから、ちょ!? やめ!」などのケンドウの声が聞こえていた。しかし、例え聞こえていたとしても先輩の恥は見て見ぬふりを聞こえぬふりをするのが後輩の義務である。故に、
「・・・さあ? 自分に聞こえませんが」
言葉と共に目を逸らす。先輩が繰り広げるコントもとい、アクションから。話を逸らすために早々に別の話題に切り替える。
「そういえばまだ勝敗の決め方を決めていませんでしたが、なにかいい案はありませんか?」
「そうだったな。それなら最初に有効な攻撃を当てた方の勝ちとするか。こちらも余り時間をかけるわけにはいかないのでな」
「ではそれでいきましょう」
話を逸らしたことに気が付いているだろうが、話に乗ってくれた相手に感謝しつつ、先輩のおかげで霧散した集中力を戻していく。
「名乗り遅れたが私は猪硬族が突撃隊隊長バルド・アグルウスと申す」
「自分はニシ カズヤ。ただの空手家です」
「ニシ・カズヤ。変わった名だな。ではニシよ、お主の実力を認め本気の突きを見せてやろう。死んでくれるなよ?」
「こちらも次の一合で勝つつもりですので本気を見せていただけると嬉しいです」
二人は口を閉じ集中力を高めていく。どちらもこの一撃で決める気でいる。互いに先手で勝負を決めにいく場合、相手の攻撃の先手を取った方が勝利する確率の方が圧倒的に高い。これは長い射程距離を有してる側が圧倒的に有利な勝負となる。
男も自らの有利を感覚として理解しており、ニシと比べ心にゆとりを持つことが出来ていた。そのゆとりが相手をしっかりと観察する余裕を与える。
(どうやら奴は私の踏み込みに合わせて飛び込み距離を潰す算段なのだろうが、それならばこちらは焦らずに向こうから飛び込んで来るのを待てばいい。素手の奴が攻撃を当てるにはそれしか方法がないのだ。ゆっくりと近づいて来るなら先ほどの様に薙ぎ払えば近寄ることが出来ないことは奴も承知しているのだから)
戦闘の予想を立てる男の視界に相手の前足に僅かに荷重が掛かるのを捉える。
(来るか!)
男の予想した通りのタイミングでニシは踏み出した。射程が長い相手に対し攻撃の初動を捉えられる。それは逃れようのない敗北の要因である。男はニシが二歩目を踏み込む瞬間に合わせて槍を突き入れようと考えていた。踏み込むその瞬間は無防備にならざるを得ないのだから。
男の戦闘プランに間違は無かった。例え相手が無手であろうと剣を持っていても男の建てたプランは有効であった。男は余裕を持って接近してくるニシを待ち受けていた。
そして、男は槍を放つことなく敗北した。