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斜光

【微エロ注意】事後ですが一応。清く正しい良い子は読んではいけませんよ。


 ――斯く滅びようとも

   我は髄まで詩音手なれば

   御胃に還るも絹弦の鳴るが如く

   浄化の時も唄い続けん

   願わくは一颯の詩歌と成りて

   御身の吐息に宿り

   愛しき人の世を再び

   流れ巡らん事を


   揺れる初恋の支えと成り

   嘆きの痛苦の盾と成、……


 「……何をなさいますか」

 眉をひそめて詩音手は、背後の人物に抗議した。詩音手の腰に絡みついていた相手の不埒な指が、微妙な部分を嬲り、あろうことか爪を立てたのだ。

 「音を外してしまったではありませんか」

 未だ全裸で寝そべったままの相手は、ただ笑うのみ。旅装を済ませて寝台に腰掛け、琵琶を爪弾いていた詩音手は、白金の髪を流して振り返った。

 「陛下!」

 敬称で以て咎められた相手は、ますます笑う。

 暁光を厭うかのような分厚い窓帷(とばり)に閉ざされた寝所は、薄闇の中に微睡んでいた。窓帷の合せ目の隙間から、夜明け間近の静かな光が幾本か床に線を引く。それが唯一の光源だった。

 「許せ、ゆるせ。そなたを最初に見た、あの宴を思い出したのだ」

 他人に命じ慣れた声音が、宥めるような甘さを帯びて響く。






 王の母方の祖父が主催した夜宴には、数多くの楽人や舞人、詩音手らが招かれていた。その家系は歌舞音曲の保護に熱心なことで有名だった。貴人達の酒食を彩るべく様々な芸能が披露された。美しい白金の髪と翡翠の瞳を持つ詩音手は、このような場では特に珍重された。

 他より長い時間を許されて幾編かの物語と古い情景詩を唄い上げ、退出しかけたその途中。

 「軽く楽しい歌謡だけで良いではないか。形式ばった詩歌などいらぬ。ましてや黴臭い古詩など。今どき流行らぬわ」

 「何をおっしゃいます!」

 普段から腹立たしく思っていた詩の普遍を解さぬ無粋な批判を、教養ある人の集まるこの場でも聞かされて、咄嗟に詩音手は言葉を返した。与えられた衣装の、雪柳花の散りゆく長い袖を窓に向ける。

 「あの月、――古より存在して人の世を照らすあの月に、流行り廃りのありますものか。的外れも甚だしい事。お目の曇りを醒まされませ!」

 眦を決して発言者を振り返ったその先に、上座を降りて衆に混じった王が居た。きょとんと目を丸くした王を見て、浮世には縁遠いはずの詩音手も流石に少々冷えたのだった。






 その王はまだ、詩音手の腰に顔をつけて笑っている。

 「余を叱りつけたそなたは、驚くほど美しかった」

 「止めて下さい。若気の至りです……」

 部屋の薄闇が隠してくれるのは重々承知していたが、それでも詩音手は紅を潮した顔を王から背けた。

 「窓帷を開いても宜しいでしょうか? 夜が明ける様が見たいのです」

 「露骨に逃げたな」

 王はふん、と鼻を鳴らした。

 「許さぬ。まだ夜だ」

 背後から回された腕が、力を増して締め付ける。離すまいとしがみ付くかのように。詩音手は吐息した。


 「あれから長きに渡り、陛下は身に余る寵を私に与えて下さいました」

 相変わらず詩歌にはつれなかったが、王は自身が美しいと感じた物を片っ端から詩音手に下賜し、詩を作らせた。貴重な玉石、花々、絹織物、細工物……王の居住棟に与えられた詩音手の部屋には様々な物品が飾られ、溢れれば蔵が建てられた。

 流石に離宮の新築は言を尽くして辞退したが、ではその代わりにと、先々代の王が寵姫の為に建てた湖畔の瀟洒な離宮が与えられた。屋上の一部に土を盛って詩音手の好む草木をあしらった、涼しげな庭園と共に。

 宙に浮いたような庭園を見て驚いた詩音手は、それが王の考案だと知って二度驚いた。詩歌には馴染まぬ王の、心底にある清廉な詩を見た気がした。

 そして、すっかり絆されてしまったのだ。こんなに長い間一所に留まったのは初めてであった。

 「この上ここに留まれば、陛下は愚王と呼ばれかねません。私の為にどれほどのお金を浪費なさいましたか」

 「余は王だ。王の財を好きに使って何が悪い。……全く、誰がそなたに金などという世俗の話を吹き込んだ? 大方、叔父上であろう」

 詩音手は俯いた。白に近い金色の髪が、さらりと微かな光を反射する。

 「叔父上はそなたが、父上が滅ぼしたあの小国の名残りと知って、随分と警戒していたからな」

 「……ご存知でしたか」

 「余が閨に引き込んだ相手は全て調査するらしい。ご苦労な事だ。そなたには、詩歌以外の望みなどなかろうに」

 「ございません。国のことは、私が生まれる前の出来事です」

 「余も生まれておらぬ」


 背後から白金の髪をすくい上げ弄ぶ王の指を、詩音手は(じっ)と見つめた。

 「ご依頼の詞華集の作成も終わりました」

 「そうだな。そなたを余から遠ざける為とはいえ、彼奴らもまた面倒な仕事を考えついたものだ」

 「皆様は、お国に星の如く散らばる詩歌の輝きを惜しまれたのではありませんか?」

 「ああ、まあ……そうかもしれんがな。我が国にあんなに多くの詩歌があったとは呆れ果てたぞ」

 「人の心の数だけ詩歌は有るのです」

 「余にもか」

 「勿論です」

 詩音手は王の詩を知っている。躊躇なく断言した。王が肩を竦める。

 国中の詩歌や古謡を集め、分類し編纂する作業は数年を要した。詩音手が詩歌を集めた事になってはいるが、実際には王都の近隣のみである。王が半月に一度の帰還を厳命した為、あまり遠くへは行けなかったのだ。

 足の届かなかった地方へは、王の手配した幾人かの下官が赴く事になった。自らの手で全ての詩歌を収集したい、と詩音手が何度願っても、王は決して許さなかった。


 詞華集を上下巻に分けず、鈍器の厚さの一巻に仕立てて王の頬を引き攣らせたのは、詩音手のささやかな意趣返しである。


 髪を弄っていた王の指がすい、と脇腹を撫でて腰に下りた。肩布まで羽織って旅装を整えた詩音手の腰帯をゆるめ、片手は下へ、もう片手は上へ潜り込む。

 「陛下」

 「もう一度」

 「先刻も、そうおっしゃいました」

 「ではもう一曲唄え」

 「陛下、陛下……」

 元より本気ではなかったのであろう。王の手は肌を擦るのみであった。僅かに明るさを増した室内に暫しの沈黙が揺蕩(たゆた)う。

 八域十五弦の琵琶はその薄闇の中でも、例え目を瞑っていても自在になる筈であったが、詩音手は開放弦を撫でるに(とど)めた。唄わぬ声音は微かに震えた。

 「お許し下さい、陛下。私はもう行かねばなりません。……私にとって詩句を紡ぐのは物語の、あの機織り鳥と同じなのです。己の羽根を引き毟り、根元の血潮で彩を描き、布に織り上げるようなもの。動かず一所に留まれば羽根はくすんで細ります。新たな風を入れ、清らかな雨で洗い、心を揺るがす景色を取り込んで、失った羽根を補わなければなりません」


 「……わかっている」

 王は身じろぎもせずに囁いた。

 「確かに、そなたは鳥だ。翼をもげば囀りも消える。それはもう別の生き物だろう」

 「死んだも同然です」

 「わかっている」

 詩音手は己に絡んだ王の手を、衣服の上からそっと握った。

 「共にまいりますか」

 「――本気か?」

 肘をついて上体を起こし、王は詩音手の顔を下から覗き込んだ。薄闇に紛れて、その表情は定かではなかった。

 「いいえ」

 「おい、ひどい奴だな」

 身も蓋もない即答に、王は吹き出した。

 「申し訳ありません。言う心算(つもり)はなかった……可怪しなことです。どんな時も言葉は、私の統御のもとにある筈なのに……」

 「嬉しい事を言う」

 詩音手の声音の当惑を慈しむように王は笑い、白金の髪の裾に口接けた。窓帷から差し込む光を横目で見遣る。

 「そなたがどんなに誘おうとも、余は飛べぬ。余は地の、この国の生き物だ。精々そなたがくすまぬように努めるさ」

 「陛下?」

 「ふん、そんなに驚くな。余は王だが、神ではない。儘にならぬ事など腐るほど有るわ」


 ばふ、と布に埋没する音を立てて、王は元の姿勢に戻った。その両腕はいまだ詩音手の腰に廻されていたが、拘束はかなり緩んでいる。感情を抑えるように詩音手は唇を噛み、乱された衣服を直した。寝台上の布の一枚を王の身体に寄せながら振り返る。

 「夜着をお召下さい、陛下。お身体が冷えてしまいます」

 寝台の布に突っ伏した格好の王は、その言を容れなかった。かるく溜息をついて詩音手は、せめてもと王の下肢に柔らかな布を掛ける。

 「――露の暁 幻燈の宵

    空に映ずる緑陰の園

    虹たつ玉の小径を踏みて

    君を求む 千枝樹の影……」

 布の中で呟かれた詩句は、王が下賜した空中の庭園を、詩音手が詠んだものだった。

 「そなたが灰摺柳を好むとは意外だった。あの、薄ぼんやりした色の、夜は気味悪いばかりの樹を」

 「美しいではありませんか。銀に似て艶めく幹も、他の柳より多く繁る枝が嫋やかに地に垂れる様も、やさしい和毛に包まれた葉も。……名前が良くないのです。私は千枝樹としか呼びません」

 「詩と共に、その別称も残ればいいがな」

 王は布に伏して声もなく笑った。己の感性が他者と重ならぬ事をまるで恐れず、必要とあらば他者の感性を逆に巻き込んで矯正しようとする傲慢なほどの強さを、この白金の小鳥は持っているのだった。それがある意味、王者の傲慢であるとの自覚は無いようだが。

 「続きはこうだったか。

  ――臆すなかれ君 散りし人

    天に非ず 地に非ず

    されば如何なる御法(みのり)の朱き(かいな)

    此処には届かざるべし

    還り来たれ 罪に非ず

    一目 一声 残り香なりと」

 人の死は、神の胃の腑の還る事とされている。死してなお現世に留まる者は、神が拒む穢れを持つ者のみ。一欠片でも死者の帰還を望む事は禁忌であり、最大の冒涜であった。


 普段は他者を圧する為の声を布の内に潜め、慣れぬ詩を、それでも終句まで淀みなく詠じた王は、羞恥からか早口で言を継いだ。

 「この詩は大騒ぎになったな。神殿が文句を言わないのが不思議なほどだった」

 「本当に。追放か、悪くすれば処刑かと思いました」

 「他人事のように暢気に言うな。余はどう庇おうかと頭を抱えたぞ」

 「それは、申し訳ありません」

 王の小鳥は軽やかに笑った。

 「世に出した詩歌がどんなに世間をかき鳴らそうと、刃を宿してこの身に返ろうと、それもまた私の曲のうち。この琵琶の弦の余韻のようなもの。私はそれを愛します」

 「やめろ。死んでは元も子もない」

 言った後で、先ほど己の戯れが中断させた詩歌を思い出し、王は舌打ちした。この小鳥から詩歌を奪うのは、死でも不可能に違いない。そして詩歌が有る限り、小鳥は何をも恐れないのだ。

 「困った奴め。……まあ皆が胸の底で思っていた事ではある。最終的に受け入れられたから良かったものの、人の気も知らず」

 「御心を悩ませました事、お詫び申し上げます。陛下。……よもや我が詩を諳んじていただけるとは思いませんでした。覚えていて下さったのですね」

 「ふん。堅苦しい詩はやはり好かんが、そなたが作ったものは覚えているぞ」


 王は溜息をついて小鳥を縛めていた腕を解き、上体を起こした。外界はもう随分と明るいのだろう。差し込む光線は力強く、床に描かれた蔦草の意匠を照らした。王の好むとろりとした緑色の塗料が、明けの陽光を得て翡翠に似る。

 「そなたの置いてゆくもの全て、あの宮も庭園も、永久にそなたの物だ。……必ず戻れ。どんな形でも」

 「――はい」

 長い口接けが、最後に下賜された。






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