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僕の歌  作者: 花散里*
1.
3/19

#2





薄暗さの中に温かみを帯びた間接照明が開店前にも関わらずいかにもバーらしい。


当たり前だが客はおらず、せかせかとワインセラーを整理している女の背中だけが目に入る。


「その辺座ってて」


背中は背中を向けたままそう言った。


「おばさんは?」


「今日は休んでる。朝起きる時に腰痛めちゃって」


「ぎっくり腰?」


「だと思う。あれって繰り返すとくせになっちゃうんだって」


「大変だな」


「思ってないでしょう」


視線を上げると彼女は振り返っていた。


「心がこもってない。やり直し」


「大変だな。お大事にって伝えておいてくれ」


「まぁ、一応合格」


「なんだよ一応って」


「いいんだよ小僧」


この人は俺のことを小僧と呼ぶ。歳は2つしか変わらない。


「で、今日は何か用?」


「んー、ちょっとね」


「勿体振るなよ……おい姉貴」


俺はこの人のことを姉貴と呼ぶ。血が繋がっているわけでは全くないのだが。


「……今日、顔色悪くない?」


話を逸らされた。分かっているのに、なんとなく会話を続けてしまう。


「そう見えるか?」


「うん」


「たしかに今朝は怠かった。ここ数年で一番だったかも」


「風邪?」


「違う。怠いっていうより…体に心がついていけなくて体が動かないって感じ」


「何それ」


俺が一番聞きたい。ものすごく体調が悪いわけでも泣きたくなるほど辛いことがあったわけでもない。原因すらわからないからこそすっきりしない。


「わかったら苦労してないって」


「ふーん。大変ね」


「……思ってないだろ」


「思ってるよ。ちゃんと食べて、ちゃんと寝なよ?それで大概は治るんだから。ね?」


「あぁ。そうするよ」


「合格?」


ふふっと笑う姉貴に、一本取られたなと思ったが喉元まで上がってきた言葉は思い切り飲み込んでやった。


「……姉貴俺で遊んでないか?」


「鋭いわね小僧のくせに」


「二個しか違わないだろ」


そういえば俺が聞きたいのはこんなことではなかったはずだ。呼び出しの目的。これだ。


しかし会話の途絶えたバーを漂う沈黙を破る勇気がなかなか湧かず、さらに静寂を増長させてしまう。暫く二人で虚空を見つめた後、姉貴が先に口を開いた。


「……何か飲む?」


「あ、あぁ。」


そう言って手際よく俺の前のカウンターにフルーツビールを用意してくれる。普通のビールよりも俺はこっちの方が好きだった。鼻腔の奥に感じる柑橘の香りが心地良い酔いを運んでくる。あっという間にグラスの半分近くまで飲み干した。


「それ、好きだよね」


「まぁな。」


「さすが小僧ね。味覚まで子供っぽいわ」


「子供はビール飲まないだろ」


朝からビールを嗜む子供がいたら一大事だと思うのだが。


酒に強いわけではない俺はもうふわふわとした浮遊感を感じ始めていた。そうしてそんな意識のうねりの中から口を衝いて出たのはさっきとなんら変わりないものだった。


「俺らしくないよなぁ」


「急にどうしたの」


小さなグラスを丁寧に拭いていた姉貴は笑いを堪えてそう言った。


「いや、今日の俺って俺らしくないなって思ってさ。外出たくないとか動きたくないとか、普段全然思わないのに」


「……疲れてんのよ」


「そうかなぁ…。なんか、俺が俺じゃないみたいで気味が悪い」


「……小僧じゃなかったら誰なの」


「いや、俺だけどさ……」


ふわつく意識を漂いながら俺は考えあぐねた。考えても考えても思い当たる節がどこにもなく、諦めて姉貴に助言を求めた。


「あたしに聞かれても困るよ」


珍しく姉貴が目を伏せた。ほんの一瞬だったが。俺の見間違いだったのかもしれない。


「姉貴の方が俺のことわかってそうじゃん」


「はぁ?……フルーツビールが好きなのは相変わらずの小僧だと思うけど」


「それは関係ない」


「そう?」


もう一口、二口と喉を潤してから本題を切り出す決心ができた。もうグラスにはほとんど残っていない。


「姉貴、今日はなんで呼んだの?」


「あー、いや、大したことじゃないんだけどさ」


「いいから早く言ってくれよ、もうすぐあいつらも来る時間だろ」


振り返ると長針は九を指していた。あと十五分もすれば元の約束の時刻になる。いかにも古そうなアンティークの時計は秒毎にカチッカチッと時を刻んでいる。寝室には置きたくないタイプの時計だ。


「小僧に渡してくれって預かってるものがあるの」


「何?」


「ちょっと待ってて」


そう告げてから姉貴は二階にある自分の部屋へ戻っていった。待つ間にもう少し飲もうと思ったが温く舌が少し湿るほどしか残っていなかった。


「お待たせ」


姉貴が持ってきたのはただの簡素な生成り色の封筒だった。開けられた口から丁寧に折られた便箋が覗く。


「何これ、ラブレター?」


すぐに姉貴と目が合ったが姉貴は笑っていなかった。ただの冗談のつもりだったのに。気まずい空気を感じてすぐに視線を逸らし、そのまま右手を伸ばして受け取った。


「今読んだ方がいい?って、もう時間だから後で読むわ。誰から?」


「うん、後でゆっくり読みな」


封筒には何も書かれていなかった。


「ねぇ小僧」


「ん?」


「……調子は?」


手紙をしまう手がそのまま止まった。


「変わらずって感じかな」


「そう。病院はちゃんと行ってる?」


「大丈夫、行ってる。心配かけてごめんな」


「ううん、いい。じゃあ、行く?」


おう。という返事を聞いてか聞かずか姉貴は車のキーを取り出す。


「姉貴、一ついいか?」


「何?」


指先を見つめてからその視線を姉貴に送る。


「これ開けたの、姉貴?」


少し毛羽立った切り口を撫ぜる。姉貴の視線は俺のすぐ横を掠めて後ろの壁に掛かっているアンティークの時計を捉える。



「書いた本人が開けていいって言うからさ。ほら、行くよ」

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