#17
店内を進み、姉貴の隣の椅子を引く。
「隣いいか?」
「俺、帰りますね」
ベースは立ち上がり、椅子に掛けていたコートに手をかけた。
「あ、おい、ちょっと待てよ」
俺の呼びかけを無視し、そのまま出ていこうとする。ヘッドフォンをしようとしたから、もう一度声をかけようとすると、先に
「待ちなさいよ」
姉貴の落ち着いた声が響いた。ベースはびくっと体を縮め、少し経ってから不服そうな顔をして戻ってきた。
「小僧はフルーツビールでいいわね?ベースももう一杯水入れてあげるから待ってなさい」
おばさんの姿は見えなかった。姉貴は裏へ入ってしまって俺らは二人きりになった。
「飲めないのか?」
「うるさい。どうせガキだって言いたいんだろ」
「そんなこと言ってないだろ。姉貴には言われたのか?」
「……意外だって」
「ほら、誰も思ってないだろ」
冗談めかして言ったつもりが、ベースは黙ってしまった。でも今までで、とは言ってもほとんど初めてに近いが、一番長く会話が続いた気がする。
こいつ、意外と、何て言うか……普通じゃないか。
「そうやって……」
「ん?」
小さく何か言ったような気がして聞き返す。
「……そうやって、今までずっと余裕もって生きてきたんだろうなお前は!自分が正しくて、それが分からないやつのことは知らん顔して生きてきたんだろ!強いなぁ、お前」
小さい声のまま、たしかにそう言った。たまに上擦ったように震えていた。
「強い……?何言ってんだよ、何のことだよ」
俺の声も震えそうになる。
大丈夫だ、いつも通り普通に、普通。
ベースの顔を伺うと、唇をきつく噛んで俯いていた。
急激に謝りたい衝動に駆られる。
何に対してかは、分からないが。
「お前に、お前にわかるか?前の日まで…その日の朝までいつも通りだったのに、あっけなく過去形で告げられるんだよ、「もう限界だった」って。気づいてやれなかった…何にも…。一番側で見ていたんだよ、毎日毎日笑ってる人だった。でも心の中ではずっと戦ってたんだ。それなのに俺は…。わかるか…?この怒り、この恨み、この悲しみ苦しみ憎しみ!…わからないだろう?わかられてたまるか。お前なんかに、わかられてたまるか!」
好きなだけ、言わせておこうと思った。俺には、それくらいしかしてやれない。
してやれないなんて偉そうなこと言えるような立場でもないが。
「あの人はな、背負わなくていい責任まで背負って、それでも大丈夫、って笑う人なんだよ」
うっすら笑みのようなものを浮かべながらベースはそう付け加えた。
「お待たせ」
姉貴が戻ってきた。グラスを俺の前に置き、ベースの前にも置く。からん、と氷がぶつかる音がした。
「……やっぱり、帰ります」
ベースはもう立ち上がっていた。今度は姉貴が呼んでも振り返らなかった。外の冷たい空気が足元に流れ込んできて、すぐに消えた。