ままならぬ恋
「メイシー、その前に入浴したいわ」
「わかりました。すぐに準備いたしますわ」
体は拭いてもらった。だけれど、まだあれから入浴していない。
あの男に触られた足を洗いたい。
あの男の息がかかった首筋を洗いたい。
思い出すと、気持ち悪さに背筋が凍る。……あんな男の記憶に負けたくない。
肩の傷にだけ注意しながら、ゆっくりと入浴する。
メイシーが香りのよい花を湯船に浮かべてくれていた。
花風呂なんて、お祝い事など特別な日にしかしないのに。気を使ってくれたんだ。
「メイシー、一緒に入りましょう!せっかくの花風呂だもの!」
学生のころは、学生寮の大風呂で一緒に風呂に入ることもあった。
「リリィー、一応、私は侍女の仕事中なんだよ?」
「大丈夫よ。ロッテンさんに見つからなければ平気。ほら、早く。すごくいいお湯だよ!」
メイシーが体を洗い、向かい合わせで花風呂に入った。ピンクの花びら、薄紅色の花びら。オレンジ色の花びら。
湯船に浮かんで揺れてる花びらを眺めながら、ポツンと口を開いた。
「あのね、メイシー……」
暖かなお風呂に浸かって、心がふとほぐれていくのを感じる。
誰にも言わなかった気持ちを……メイシーに聞いてもらう。
「私、アルが好きなの」
メイシーは、ただ、静かに小さくうなづいて、私の話を聞いてくれている。
「だけど、私にはアルを幸せにできないの……」
辛そうな顔でプロポーズの言葉を口にしたアル。
自分のせいだとアルは言っていた。
自分のせいで、私の……貴族の女性としての名誉が汚されたことを言っているのだろう。
男に凌辱されてはいない。だけれど……。
私は貴族だ。誘拐されたというただそれだけで傷物扱いだ。
事実ではない噂が尾ひれがついて面白おかしくささやかれる世界だ。
1か月も立たないうちに、私が男どもに侵され子を宿し、ひっそりと産み落としたことにでもなっているだろう。
王都を離れて、代筆屋をしていた期間が、ちょうど大きくなったお腹を隠すためにというようにでも噂されるのだろう。
私がさらわれたことは、隠しているはずだけれど……いつ、話が漏れるか分からない。
漏れてしまえば、私の女としての一生は終わったようなものだ。
だから、アルは……責任を取って、噂が流れる前に私を既婚女性にしようとしてくれたんだろう。
貴族とは変なもので、既婚女性は少しくらい愛人を囲っていても、激しく非難されることはない。主人公認の愛人を持つものもいるくらいだ。
責任感から、私と結婚したって……。アルは幸せにはなれない。
だって、アルの好きな人は私じゃないんだから。
「アルが幸せじゃないと、私も幸せじゃない……だから……」
メイシーの目から涙がこぼれ落ちている。
なんで、泣いてるの?
少し首を傾けたら、私の目からも、涙が頬を伝って湯船に落ちた。
ああ、私、泣いていたのか。
メイシーは、私が泣いているから、一緒に泣いてくれてるのね……。
「メイシー……」
「うん」
泣いてるって自覚したとたんに、次から次へと涙が落ちる。
「わた……し……」
声が震える。嗚咽が漏れる。
「うん」
「わた……し、好きだったの……」
「うん」
メイシーもいっぱい涙を流しながら相槌をうってくれてる。
「アルが……好き、だったの……」
「うん」
どれくらい二人でそうして泣いていただろう。
さすがに、頭がぼーっとのぼせてきたところで、風呂を出た。
二人とも、いかにも泣きましたな顔だ。
しかも
「メイシーから花の匂いがする。これは、ロッテンさんにばれちゃうわね」
「あああっ!どうしようっ!リリィーのせいですからねっ!」
「ふふふっ」
「あははは」
「「ふはははははっ」」
対しておかしくもないんだけど、二人で爆笑。
「メイシーと友達になれてよかった。これからも仲良くしてね」
「何をいまさら!死ぬまで友達でしょ?」
「うん。あのね、代筆屋と代読屋を誰かにかませて、私は王都に戻ろうと思うの。ついてきてくれる?」
「代筆屋と代読屋を誰かに?」
うん。せっかく始めたんだから。もう少し続けたい。識字率アップにつながるかまだ分からないけれど、それでも……。
「一度エディとも相談して、誰かを雇うとどうなるかも考えてからだけれど」
「明日にはエディが領地から戻ってくるという話ですから、早ければ1週間と待たずに王都ですか……」
そうか。
王都に帰れば……。護衛として雇われていたアルとはお別れだろう。
そうか……もう、会うことはないんだ。
最後に、アルの笑った顔が……幸せそうに笑った顔が見たかった。
でも、きっと、アルは私の顔を見ると、苦しそうな表情を浮かべるのだろう。
私が、アルを不幸にする……。
だから、少しでも早く、アルの前から姿を消さなくちゃね。
そして、私は公爵家の一人娘としての務めを果たさなければならない。
恋だの愛だのから卒業して、信頼できる時期公爵となる旦那様を得るのだ。
私の不名誉な噂が広まらないうちに。
……世間が、事件を知らない間に。




