3つの歌
「いらっしゃい。今日も早いわね」
ライカさんがいつもの明るい笑顔で迎えてくれた。
「注文はいつもの。それから、教えてほしいことがあるの」
早く来店したのは、空いている時間にライカさんと話がしたかったからだ。
「小さな子から大人までみんなが歌える歌を知らない?『お野菜一つ、くださいな~』みたいな」
「うわー、『お野菜一つ~』って懐かしい。えっと、他にはそうねぇ『かご、かご、ゆーりかご』とか」
いくつかの歌をライカさんが一節歌ってくれる。それをメモ。聞いたことのあるものもあった。後は街の人がどれだけ知っているのか調べないと。
「ありがとう、ライカさん」
「いえいえ、どういたしまして。リリィーちゃんはいつも新しい面白いこと始めるから、また何をするのかなぁってワクワクするわ」
そういってもらえると嬉しい。
「そうだ、ライカさん、貴族には気を付けて!」
ライカさんのような若い娘を狙って遊び捨てる貴族の放蕩息子がいるみたいだから念のため口にする。
「あ、貴族といえば……」
何かを思い出したかのように、ライカさんが声を潜め、私の耳元で話を続ける。
「うちのお客さんで、貴族かなと言っていた人いるでしょう?なんか変なのよね」
うちにも来た、カールさんのことだよね?
「え?変?」
確かに貴族の私たちから見れば、貴族としてはいろいろ残念な感じではあったけれど。
「この間リリィーちゃんに文字を教えてもらったでしょう?」
ああ、「す」と「き」の二文字。
「誰かに見てもらいたくて、来た時に机の上に書いたのよ。好きなんて言葉書いたら驚かせちゃうかなぁとは思ったけど、忘れないうちに文字を知ってる人に見せたくて」
いや、ライカさんいくら文字を覚えてうれしいからって、カールさん驚いただろうなぁ。いきなり「すき」とか文字見せられても。
「そうしたらね、書いた文字見てなんていったと思う?」
「私もですとか?」
「やっだぁーっ!違うわよぉ」
ライカさんがけたけたと笑った。
「それがね、『素敵な名前ですね』って言ったのよ」
は?
「もしかして、読めませんでしたか?って言ったら、すごく驚いた顔してそのまま店を出て行っちゃったのよ。ちゃんと書いたつもりだったんだけど、間違ってたのかなぁ?」
そこまで話して、ライカさんは接客に戻って行った。
「あー、それって……」
アルと顔を見合わせる。
代筆屋に来て変だなぁとは思ったんだけど、文字の読み書きができないのか。
「街で、自分の名前を書くのが流行ってるから、ライカさんが書いた文字も名前だと思ったんだろうね」
とアルがつぶやいた。
食べ方やしぐさが貴族っぽくないだけでなく、文字すらかけないなんて……。
食事を終え、看板設置と固定看板書きで街を回る。アルが看板作業をしている間に、ライカさんに聞いた歌について調査。
歌う人によって微妙に歌詞が違っている歌は排除して、ほとんどの人がまるっきり同じ歌詞で歌っている歌を3つに絞った。
一つは貴族の間でも知らない人がいない歌。あとの2つは初めて聞く歌だった。
歌についての情報はずいぶん集まったわ。あとはメイシーが集めてくれた情報と照らし合わして最終決定すればいいわね。
カチャリと代筆屋の店のカギを開けて、店内に入るか入らないかのタイミングで人が飛び込んできた。
「サシャスの使いのもんだ。預かってる物を受け取りに来た」
「あ、はい。どうぞ、お入りください」
使いの男は、背が低く少し猫背だった。フードつきの薄汚れたマントを羽織っている。フードを目深にかぶっている上に、口元に布を巻いていてほとんど顔が見えない。
正直、怪しい身なりとしか言いようがない。本当に、貴族のカールさんの手紙を渡してもいいものだろうか?
「少々お待ちください」
カールさんに預かった手紙を取り出し、急いで別の紙に書き写す。地図のようなカールさんが書いた線と、すすき野原他いくつかの言葉。それから一番したにいくつかの数字。
これで、もしこの男が偽物で、別の誰かが受け取りにきたとしても、何とかなる。どちらにしても預かり期限は1週間なので、この写しもその時破棄すれば問題ないよね?
写しを引き出しにしまい、本物を二つ折りにして男に手渡す。
男はすぐに手紙を開いて「なんだ、少ないな」とつぶやいた。
ん?枚数はもともと1枚だけど?何が少ないの?
「おい、これはなんて書いてあるんだ?」
「すすき野原ですね、こちらは三本杉で、……」
と、書かれている文字を一通り読む。数字は読めるようで、読み方を尋ねられなかった。
男は、紙を小さく折りたたむと手の平に握りこんで店を出て行った。あれ?代理で来たんだよね?
あんなに手紙くしゃくしゃに折りたたんでいいのかな?
夕食後、メイシーとお互いの報告。
「また、ラブレターの代読依頼が来たわよ。トーマスさんの話によれば、目をつぶって言葉をかみしめるように何度か読んでもらって暗記する女性もいたそうです」
「うわー、それって、めちゃくちゃラブレターがうれしいんだよね?内容を暗記するなんて……よかった」
「ふふっ。吟遊詩人のウィーチェルさんの出張販売は成功ですよね。ああ、それからリリィー、これは代読の依頼先で何人かに聞いた歌の歌詞よ」
メイシーが数枚の紙を差し出した。
私も、今日聞いて回った歌詞をメモした紙を取り出し、歌詞が同じかどうか突き合わせる。
「うん、やっぱりお手玉歌の他にはこの2つがいいみたいね。後は微妙に違う部分が出てくるのね」
合計で3つの歌。これをまた明日、店番の間にでも文字一覧表でチェックしながら、抜け落ちた文字がないか確認して。なければ、この3つの歌を配布用としよう。
あとは大量生産の方法か。
明日はラブレターをもらった女性が返事を書きたいと代筆屋にも来てくれないかなぁ……と、期待に胸を膨らませて眠った。
まさか明日、市井での日々が崩れ去ろうとは夢にも思わなかった




