小説のような駆け落ち
次の日。いつものように、廊下の突き当りの隠し通路をくぐる。
正面には、アルがピンを手にして立っている。
ピンを受け取り、少しかがんだアルの前髪を書き上げる。私の顔が映りこんだ、アルの空色の瞳が見える。唐突に「アルはどうですか?」ってメイシーの言葉を思い出す。
「あっ」
つるっと私の手からピンが滑り落ちた。慌てて拾おうとした手に、アルの手が重なる。
昨日私の頬を撫でたエディの手よりも、硬い手の平が、私の手に触れてる。ハッと慌ててアルは手をひっこめた。
ドキンドキンって、心臓がうるさい。手を触れられたくらいでなんだって言うの?
ピンを拾い上げて、アルの髪を留める。
ああ、ダメ。指先が震えてる。上手く止められない。何これ!何これ!私、いったい何なの?
「ありがとう」
アルがいつものようにお礼を口にする。ただそれだけ。なのに、また、心臓がドキドキうるさい。
はふー、深呼吸。深呼吸。
きっと、エディが私を好きだなんて聞いたり、メイシーがアルのことをどう思うかなんて尋ねたり、いろいろあって混乱してるんだ。
落ち着こう。落ち着いて、昨日メイシーと話をしたこと伝えなくちゃ。
「あのね、アル、複数の女性を好きっていうのはどう思う?」
「僕はしませんよ。貴族の間では愛人を持つことを当たり前に思っている人もいるようですが、僕は1人を一生愛し続けます!」
きっぱりとアルが言い切る。そうか、アルに愛される人は幸せだろうな……。いいなぁ……。
って、違う違う、そうじゃなくて、
「アルの話じゃないの。えっと、ほら、ラブレターを何枚も注文した人がいたでしょ?どうも、いろいろな女性に渡してるみたいなの!それで、メイシーと今度もし店に現れたらとっちめてやらなくちゃって話をしてたんだけど……」
「それは確かに不誠実にもほどがありますね。ラブレターの価値が下がっては大変です。二度と来るなと言った方がいいでしょう」
朝一番に吊り下げ型の看板をいくつか回収して、午前中店番をしながら看板に文字を書き入れる。
脚立に乗っての作業はできないけど、これなら私も手伝える。その合間に、名前を書いてほしいとかメニューを書いてほしいといったお客さんが何人か訪れる。
うん、名前とメニューは少し広まってるみたい。……ラブレターの依頼はゼロ。……おかしいな。
お昼はアルとライカさんのお店へ。
ランチセットのメニューは日替わりだから毎日でも飽きないんだよね。同じように毎日やってくる常連さんの何人かと顔見知りになった。
初日に相席になったおじさんたちとも、時々ご一緒している。色々と市井の話が聞けて勉強になるんだよね。
「こんにちは」
今日も、店の奥のテーブルに見かけたので声をかけた。
「ああ、リリィーちゃんにアルくん、どうぞ、座って」
おじちゃんの一人が相席をすすめてくれた。
もう一人のスンナおじちゃんは……頭を抱えて暗い顔をしている。テーブルの上の肉はさみパンにはまだ手を付けていないようだ。
「どうしたんですか?」
私の問いかけに、スンナおじちゃんは少し顔を上げてこちらを見ただけで、すぐに深いため息をついた。
「駆け落ちさ」
もうひとりのおじちゃんが声をひそめて教えてくれた。え?駆け落ち?私が昨日偽装駆け落ちの話してたのとか、噂になって……ないよね?というか、例え噂になったとしてもスンナおじちゃんが落ち込む意味はないか。
「スンナの娘が、駆け落ちしちゃったんだ」
「え?おじちゃん、娘さんの恋に猛反対したの?」
小説の中に出てくる駆け落ちカップルといえば、親の反対を押し切って二人一緒になるためというのが定番だ。
「反対はしてない。してたのは男の親の方だろうな……」
スンナさんが今にも泣きだしそうな声を出す。それを見かねて、もう一人のおじちゃんが声を潜めて説明してくれた。
「あのな、スンナの娘の相手が貴族のおぼっちゃんらしいんだ」
ふえっ、マジで?小説みたい!それで、それで?
「市井の娘と結婚なんてと反対されているみたいなことを言っていたらしい。それで、スンナはそんなに一緒になりたきゃうちに連れてこいって言ってたんだ。贅沢はできないが、働けば生活には困らないだろうって」
ふおー、スンナさん男前。って、それなのに、娘の相手は来なかったの?市井で生活する気がないから?働きたくないとか?
いや違うよね。駆け落ちすれば結局市井で仕事して生活するんだよね?それとも協力者がいる?既成事実作ってなし崩し的に親に認めさせる?いや、それ男女が逆なら効果があるだろうけど……うーん。
「それがさ、今朝起きたら、娘がいないかったんだよ。身の回りの荷物がなくなっていたから、駆け落ちしたんじゃないかって」
おじちゃんの言葉に、ついにスンナおじちゃんが鼻をすすり始めた。
「うう、うちの娘は、今年成人したばかり……たったの16歳だったんだ。それなのに、駆け落ちなんかして……苦労するのは目に見えてるのに……」
16歳、私の1つ上だ。いいなぁ。駆け落ちするくらい愛せる人ができたなんて……。私は同じ年にすべてを投げ出せるほど好きな相手ができるのかな?
「大丈夫ですよ」
アルがスンナおじちゃんの肩をたたいた。
「相手は貴族なんでしょう?当座の資金は持って出ているでしょうし、色々と交友関係を頼ってなんとかするでしょう。そうでなかったとしても学校に通い、読み書きもできますから、それなりの仕事に就くこともできるはずです」
アルの言葉に、うんうんとうなづく。
そうだよね、そうだよ!
「代読屋は予約が取れないほど、仕事を頼みたい人がいっぱいいるんですよ!だから、大丈夫ですよっ!娘さん幸せになれますよ!きっと落ち着いたら連絡もくれますよ。あ、もしかすると手紙が届くかもしれませんね!そうしたら、読んであげますから!」
って、スンナおじちゃんに声をかける。
「手紙……そうだな、その時は頼むよ」
スンナおじちゃんは、娘さんが幸せになるという言葉に少し表情を明るくした。
「そうだそうだ。お前の娘が変な相手を選ぶわけないじゃないか。幸せになってるよ」
もう一人のおじちゃんもスンナおじちゃんの背中をぽんぽんと叩いて慰めた。
「ああ、そうだな。娘を信用するしかないな……」
「すごいねぇ、身分違いの恋に、駆け落ち……あー、すごい!小説のような話が現実にあるなんて!」
なんだか、私も少しだけ小説の登場人物になったような気持がして、不思議な感じだ。
ふわふわっとした足取りでライカさんのお店を出る。
「ですが、貴族とスンナさんの娘さんはどのように出会ったのでしょうね?」
アルがんーと考え込んだ。何?アルもそういう人の話とか興味あるの?
「やっぱり、定番設定では、貴族のお屋敷で働いているとか?」
「王都であれば、貴族の屋敷も数あります。ですが、ここはウィッチ領都ですから、貴族の屋敷と言えば」
あー、うちしかないわ。スンナさんの娘が働いてても、貴族令息との出会いはないよ。私しかいないし。違った、唯一の子供の私すら屋敷にいないし。それを隠すために今は来客も断ってるし。
「あとは、お忍びで街に出ている貴族か……」
とアルがぼそっと言う。
「アルも結構わかってるね!そうなんだ、小説の定番設定といえば、街にお忍びで貴族どころか王子様も現れるからね!」
「お、王子……」
一瞬びくっとアルの肩が震えた。




