レッスン
「リリィーお嬢様、急いでください!」
「急ぐって?」
店を閉めて部屋に戻ると、メイシーがバタバタと部屋の中で動き回ったいた。
いつもの市井生活庶民風ワンピースでもなく、侍女の制服でもない、子爵令嬢ドレス姿をしている。
質問の答えを返される前に、代筆屋用庶民ワンピースを脱がされ、コルセットをぎゅっと絞られる。
ぐえっ。
「さぁ、リリィー様、早く、早く!」
ドレスに足を入れろと、メイシーがせかしてくる。
舞踏会へ行こうかというくらい、豪勢なドレスだ。
「さぁ、準備は整いましたね。やはり、リリィー様には黄色のドレスが良く似合います」
メイシーは鏡に映った私の姿を見て、満足げに頷いた。
私も、タンポポ色のドレスは大好き。
いや、だから、何でこんなお気に入りのドレスを着せられてるの?
メイシーに言われるままに、部屋を出て大広間へと足を進める。
「さぁ、リリィー様。部屋に入ったら、舞踏会の会場だと思って行動してくださいませ。市井で生活してマナーを忘れないための本番さながらのレッスンです」
なるほど。
本番さながらなので、服装も舞踏会用を着せられたのね。だけどねぇ。やっぱり緊張感は出ないよね。
舞踏会の必需品、扇で口元を隠して小さなため息をつく。
「ロッテンさんが厳しくチェックしていますからね」
ひっ。はい。本気で臨みます。まずは、背筋を伸ばすところから始まます!
大広間の扉を、控えていた侍女が開ける。
え?ここ、ロゼッタマノワールの2階だよね?と、思わず目を疑うほど部屋の中は貴族の屋敷と遜色ないほど美しく整えられていた。
そして何より目を引いたのは……。
「一曲お願いしても?」
目の前にいる紳士。
本物の舞踏会ですら、このように人の目を引く男性はそういないだろう。
白いレースのボリュームのあるリボンタイに、横に4、縦に8並んだ金のボタンの付いたベスト。濃紺の燕尾服に、シルクの帯と白いズボン。
どこをとっても完璧な貴族の正装だ。
「エドワード……」
差し出された手を取る。部屋には人数こそ4人と少ないが楽隊もいて、舞踏会でよく演奏される音楽を奏でている。
エディのリードで、クルクルとダンスを踊り始める。
「くすっ」
ん?
「リリィー、ダンスが上手くなったな」
「わっ、私ももう15歳ですっ!6つや7つの頃に比べたら上達してるに決まって」
「うん。とてもダンスの練習なんてしたくないと泣いていたあのリリィーとは思えない上達ぷりだ。あのまま練習嫌いでダンスが下手なままかと思った」
ぷぅー。
失礼な!
「くっくっく。そう膨れるな。ダンスが上手くなったと褒めてるんだ」
エディがまた楽しそうに笑った。
全然褒められてる気がしない!
「エ、エディはもっと、人を褒める練習した方がいいと思うわ!じゃないとモテないんだからっ!」
「リリィーはモテる婚約者がいいのか?」
え?
グイッと腰に手を回され、上半身をそらされる。エディの顔が、私の顔を見下ろす位置にある。
「言ったろ、リリィー。もう一度婚約しよう」
「本気……なの?」
曲が終わる。
エディの体が私から離れ、お相手ありがとうございましたと深々とお辞儀をする。これは舞踏会での礼儀作法だ。
何故、エディは私と婚約がしたいというの?一度自分で婚約を破棄しておきながら……。
立ち去るエディの後ろ姿を見る。
モテないんだからって言葉は嘘だ。
エディは、カッコイイ。きっと、女性をうまく褒める言葉を知らなくたって、女の人は寄ってくるだろう。
エディの後姿を目で追っていると、視界に差し伸べられる手が映った。
「一曲お願いできますか?」
!!
思わず息を飲む。
「アル……」
瞳の色と同じ空色の燕尾服を身にまとったアルの姿があった。
いつもピンでとめるか下ろしているかの前髪も、整髪料で整えられている。中央で分け左右に流している。
いつもイケメンだけど、こうして貴族の正装姿に、きちんと整えた髪になるだけで……、いや、もう、何……。
かっこよくなりすぎ!
ああ、そうだ、あれだ。小説でもあったよ。制服フェチ。なんか着る服が変わるだけで心ときめいたりするんだよね……。
やばい。アルの正装姿、ちょっとドキドキする……かもっ!
差し出されたアルの手に、添えるように手をのせる。
落ち着け、落ち着け。
音楽が始まり、アルが流れるようなステップで踊りだす。
うわっ、いや、そういえば、メイシーがアルとのダンスの練習緊張したって言ってた。
めっちゃアルのダンスが上手かったって言ってたよね……。本当に、すごく、上手だ。
エディも上手だけど、なんだろう、アルはリードが上手いのかな?私まで上手になったような気持ちになれる。
「可愛いね」
え?
ダンスのステップに体が慣れたころ、アルが小さな声で話しかけてきた。
「タンポポみたいで、とても可愛い」
あ、ドレス、そう、ドレスのことね。
びっくりした。うん、そうだよね。私のことじゃないよね。
確かに、クルクルと回る動きに合わせてドレスのスカートが広がって、このドレスとても可愛いんだ。
パッと顔を上げると、アルの瞳が至近距離にあって、びっくりしてすぐに下を向く。
あ、いや、ダンスなんだし、この距離に瞳があるのは普通なのに……なんで驚いたの、私!
「あ、ごめん……タンポポって、その雑草に例えるなんて失礼だったね……」
アルが、必死に謝罪の言葉を述べる。
そうか、すぐに目をそらしちゃったから、私が怒ってると思わせちゃった?
「庭園に咲き乱れる、黄色の……えっと、ラナン……ラナンキ?……」
ステップは優雅なのに、顔は困り顔。口からは暗号みたいな言葉。
くすっ。
「ラナンキュラス」
アルが思い出せずにいた花の名前を口にする。
「そう、それ、」
「ラナンキュラスも好きだけど、私はタンポポも好き」
ニコッとアルに笑いかける。雑草とか観賞用だとか関係ない。だって、タンポポは
「「綿毛」」
あっ。
私とアルの台詞がかぶった。
「そうなの、タンポポって黄色い花も可愛いけれど、綿毛もフワフワで可愛いし、青空に向けて飛ばすの大好きなの」
私がいかにタンポポが好きなのかを主張すれば、アルが小さく頷いた。
「僕も……。髪の毛に綿毛をいっぱいくっつけた子の笑顔も、彼女が僕のために摘んできてくれたタンポポも、窓から自由に飛んでいく綿毛も……」
アルの空色の目には、今を映していなかった。タンポポの思い出が映し出されているようだ……。とても幸せそうな瞳。
そうだ、アルには好きな人がいると言っていた。
きっと、そのタンポポを摘んできた子が好きなのだろう……。
目の前にいるアル、手を握り体を寄せて踊っているアルが……とても遠くに感じる……。
何だろう、胸の奥がきゅっとする。
焦り?
焦燥?
……大丈夫、私だって、アルみたいに好きな人を見つけるんだから……。




