署名の真偽
「今日は、ライカさんが言っていたデザートが楽しめる店にしましょうか?」
アルの提案に大賛成!ちょっと値が張る店だから時々しか行けないんだとライカさんは言っていた。
「あ、ちょっと待って、通り道だから、ドナさんに籠を返しに行くわ!」
もらったパンを別の器に移して、籠を持つ。
アルが持つよと言ってくれたけど、自分で手渡したいからと譲らなかった。
「あ……」
ドナさんのパン屋に近づき足を止める。
「食事の後にしようか?」
「そうね……」
パン屋の前には、ゴーシュと手下の姿があった。あんなことをするひどい人間もお腹が減るんだ、パンくらい買うだろう。
だけど、もっと遠くで買い物してほしかったな。見たくない。
少し距離を置いてパン屋の前を通り過ぎようとしたら、何やら言い争う声が聞こえて来た。
「さぁ、耳をそろえて金を返してもらおうか!」
「だから、借りてないって言っているじゃないですか!」
手下が、ジョンさんに顔を寄せて詰め寄っている。
ジョンさんは、腰を泳がせながらも必死に言い返しているようだ。その様子を見て、ドナさんがおろおろしていた。
「ドナさんっ、どうしたんですか?」
首を突っ込まない方がいいんだろうとは思ったけど、思わず、声をかけてしまった。
「ああ、リリィーちゃん。……突然彼らがやってきて、貸した金を返せって……。私も主人も借金なんてしたことないのに……」
私がドナさんに話を聞いていると、手下の一人が私に気が付いた。
「なんだ、小娘!って、お前は、代筆屋の!」
その言葉に、ジョンさんに詰め寄っていた男の勢いが弱まった。護衛のアルが殺気を放って睨み付けているからだ。
「関係ない者には、口出しはしないでもらおう」
ゴーシュが忌々し気に言葉を吐き出す。
関係ない……そういわれてしまえば確かにそうなんだけど……。
「どんなに言い逃れしたって、証拠がここにあるんだ、さぁ、きっちり耳をそろえて金を返してもらおうか!」
手下が、紙きれをジョンさんに突き出した。
「こ、これは……?」
ジョンさんが言葉につまる。紙には文字が書いてあって読めないのだ。
「借用書だよ!ほら、ここにお前のサインしっかりあるだろう?」
手下が、トントンと指で紙を指さす。
「まさか、そんな……」
……しめた。関係ないから口を出すなと、今度は言えないよね。
「見せてもらってもいいかしら?それが本物なのか……」
「部外者は黙ってな!」
……チラッとドナさんを見る。
「部外者ではありません。”代読屋”として依頼を受けてます。代読料金は先ほどパンで前払いでいただいてます」
ドナさんが驚いた顔を見せる。だけど、小さく頷いてくれた。よし、これで関係者。
「はぁー?なんだとぉ?」
カッなった手下を、ゴーシュが諫めた。
「まぁまぁ、見せてやりなさい。確かな証拠だ。これを見れば言い逃れできないだろう」
手下がゴーシュの命令に従い、紙を私に向けた。
「甲が乙に金貨十枚を貸し付ける……」
返済期限、利子、そのほか色々と書かれている。
「確かに借用書のようですね……」
後ろからのぞいていたアルがつぶやいた。
お金を貸した甲の部分にゴーシュのサインがある。そして、お金を借りた乙の部分に……。
「ジョン……と書いてあるわ……。これは、確かにパン屋のジョンさんのことなの?」
「他にどのジョンさんがいるって言うんだ?確かにその男だ」
ゴーシュの言葉に、ジョンさんが声を上げる。
「知らない、そんな紙を見たことも無いし、サインをした覚えもない!」
ゴーシュがいひひひっとバカにしたように笑った。
「そりゃそうでしょうねぇ。サインをした覚えがあるわけない。パン屋が”文字”を書けるわけないですもんねぇ。ジョンさん、あなたの同意の元、このサインは私が代筆してあげたでしょう?」
「嘘だ!」
ゴーシュはふんっと馬鹿にしたようにジョンさんを見る。
「借りたのに借りてないという人間がいるから、こうして借用書という公文書が存在しているんですよ?その借用書を知らないと言われましてもねぇ……」
いたぶるように、汚い瞳をジョンさんに向ける。まるで水に浮いた廃液がチラチラ揺れるように小さく光を映した。気持ち悪い。吐きそうだ。
「出るところへ出でもいいんですよ?」
ドナさんの顔は真っ青だ。
ジョンさんもそう……。
私には、ゴーシュが嘘をついていてジョンさんが正しいことを言っているように思える。だけど、何の証拠もない。
もし、出るところへ出たとしても、借用書が有るということが有利になるのだろう……。
アルも、殺気を放ったまま動くことはない。やはり、ジョンさんを助けたいとは思うがその手段を見つけられないんだ……。
ジョンさんの無実を晴らすには……。
あ!
そうだ!
もしかして、うまくいくかもしれない。
「ジョンさん!」
紙と携帯用のペンを取り出してジョンさんに渡す。
「さぁ、名前を書いて!」
言われるままに、ジョンは震える手で文字を書く。
ジ、ヨ、ン。
決してうまくはない文字だ。だけど、十分。
私は、先ほど手下がしていたように、借用書のジョンさんの名前の部分を指でトントンと指示した。
「この文字は本当に、ジョンさんに頼まれて代筆したのかしら?」
ジョンさんが書いた文字をゴーシュに見せる。
「自分で名前が書けるのに、代筆を頼むなんてこと、あるのかしら?」
ゴーシュは、ぐっと言葉に詰まった。
そして、じりじりと後ずさりしている。先ほどまでの人を馬鹿にした表情はない。
「ど、どうやらジョン違いだったようだ……失礼する!」
そう言って、背中を向けた。
「待て、お前には、出るところへ出てもらう必要がある」
アルが素早くゴーシュたちの行く手を阻むように立ちふさがり剣を構えた。
「くっそ、やってしまえっ!」
ゴーシュの号令で、手下の3人が武器を構え、アルに襲い掛かった。
「アル!」
やだっ!もし、アルが傷ついたらっ!と思った次の瞬間には、手下3人は膝をついていた。
うわっ、強い!というか、手下が弱すぎ?
「公文書偽造は重罪だ。違うというなら、出る場所へ出て、無実を証明するがいい」
「いや、待ってくれ、」
ゴーシュが腰を抜かしてしりもちをついた。
「公文書偽造が違うと証明できたとしても、詐欺罪、脅迫罪、暴行罪、器物損壊罪、殺人教唆は言い逃れできない。被害届はしっかりと出させてもらう」
騒ぎを聞きつけた街の警邏が手下とゴーシュを縛り上げ連れて行った。
「ありがとう、リリィーちゃん……」
私の手を取り感謝を述べるドナさん。その手は小刻みに震えていた。
「でも、ジョンが字を覚えたのは……」
借用書に書かれていた日付は3か月前。ジョンが文字を覚えたのは昨日。借用書が作られた日にジョンは文字を書くことなどできなかった。
だから、私は”カマをかけた”のだ。
「借用書が本物だとしたら、ゴーシュはこういったハズよ『嘘だ、借用書を作った時には文字が確かに書けなかったはずだ』と」
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