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「――どうかされましたか?」


 問われて、セリーナは慌てて顔を上げた。

 夫人の言葉通りルーカスを誘って居間でお茶にしたものの、先ほど言われたことが気になって考え込んでしまっていたのだ。

 しかし、なぜかルーカスには相談する気にはなれず、セリーナは首を振った。


「ううん、なんでもないの」


 その返事に納得した様子のない彼を見て、慌てて付け足す。


「こ、これからのことを考えていたの。大出費にはなるけれど、やっぱり王都まで出掛けてみようかと思って。この……茶器のセットを売れば、どうにか費用は捻出できると思うし……」


 そこまで口にして、彼女はうつむいた。

 セリーナという名は祖母からもらったものだ。祖母のように美しく、優しい女性に育つようにと。

 そして、愛する人と結婚して、幸せになれるようにと両親が願いを込めてくれたのだ。

 セリーナの胸がどきりと鳴る。


(愛する人……)


 その言葉で思い浮かぶのは――。


「って、ルーカス!?」


 気が付けば、膝をついた彼が心配そうにセリーナの顔をのぞきこんでいた。

 驚いて立ち上がりかけた彼女の手を、ルーカスが押し止めるように握る。

 今度は破裂してしまいそうなほど、胸がどくどくと脈打ち始めた。

 この場から逃げ出してしまいたい。でも、傍にいて欲しい。

 混乱する想いの正体を知りたくなくて、彼女は真っ直ぐに見つめてくる碧色の瞳から目を逸らした。

 しかし、まるで抗議するかのように、握られた手に力が込められる。

 痛くはない。ただ、熱い。

 セリーナが恐る恐る視線を戻すと、よく出来ましたとばかりに、ルーカスは柔らかく微笑んだ。 


「お嬢様に、大切な話がございます」

「……大切な、話?」

「はい」


 ルーカスはそこで一度、ためらっているかのように深く息を吸った。

 そのらしからぬ仕草に、いったい何だろうと怖くなる。


「お嬢様、実は私のことなのですが――」


 続くはずだった言葉は、ノックの音に遮られてしまった。

 セリーナはなぜかほっとして、ドアの向こうで声をかけるリチャードに応えた。


「おくつろぎのところ、お邪魔してしまい申し訳ありません。たった今、この手紙がダノシー男爵より届けられました。なんでも、急いでお返事を頂きたいとかで、使いの者はそのままホールで待っております」


 居間へと入って来たリチャードが、憂鬱そうに告げる。


「ダノシー男爵から?」

「はい」


 セリーナはいやな物でも見るように、トレイに載せられた封書を睨みつけた。

 だが、それで消えてなくなるわけもない。

 仕方なく手に取ると、少々乱暴に封を開けた。


「お嬢様!」


 ルーカスとリチャード、二人から叱責が飛ぶ。が、セリーナは気にしない。


「はいはい、これからは気を付けます」


 おざなりに返事をして手紙を取り出し、さっと目を通す。そして盛大に顔をしかめた。


「今度は何をおっしゃっているのです?」


 顔を曇らせるリチャードとは違い、ルーカスは表情を変えることなく冷静に問いかけた。


「いえ、別に大したことは……」


 言いかけて、もう何も隠さないと約束したことを思い出し、セリーナは軽く咳払いをして言い直す。


「――男爵がバカ息子と……いえ、ハロルドと一緒にこちらへ訪問したいと言っているの。どうやら、わたしのここ最近の行動――婚活がばれたみたいね。強引にハロルドとの結婚を迫るつもりじゃないかしら?」

「なんと勝手なことを……。お嬢様がお返事を書かれるまでもありません。私が使いの者に断って参ります」


 怒りに顔を赤くして、リチャードが出て行きかけた。それをセリーナがすぐに止める。


「待って、それはダメよ」

「なぜです?」


 ルーカスの鋭い声にたじろぎながら、それでも明るく答えた。


「このままだと国王陛下に訴えるそうよ。婚約不履行で」

「ばかな!」


 今や真っ青になったリチャードが声を張りあげた。ここまで彼が取り乱すのも珍しい。

 一方のルーカスは険しい表情で黙りこんでいる。

 セリーナは諦めのため息をついて続けた。


「問題は男爵たちの滞在費よね。当然、夫人も一緒だから……侍女にメイド、侍従、馬丁に他にも大勢。ああ、頭が痛い……」

「問題はそんなことではありません、お嬢様……」


 もはや気力を失くしたリチャードが小さく嘆く。しかし、セリーナは聞いていなかった。

 みんなを守るために、バカ息子と結婚しなければならないなら、受け入れようと覚悟を決める。

 もちろん、最後の最後の手段だが。

 とすれば、考えなければならないことは、どうやって男爵から領地を守るかだ。

 ――が、その前に滞在費。


 セリーナはテーブルの上に置かれた茶器セットをじっと見つめた。

 ダノシー男爵のために、これを手放すつもりは一切ない。

 家族用の居間を見回しても、もはや換金できそうなものもほとんどなかった。

 色あせた壁に二か所、絵画を掛けていたあとが残っている。他の部屋も似たようなもので、どうやってもこの家の窮状は隠せないだろう。

 ほんの十日前には期待に胸をふくらませ、屋敷を美しく見せようと頑張ったのだが、残念な結果になってしまった。


(みんなが協力してくれた大掃除も、ダノシー男爵のためじゃなくて、夫となる人が気持ち良く過ごせるようにって、頑張ったのに……)


 そこでふと閃いた。


「そうよ! そうだわ!」

「お嬢様?」


 問いかけるような二人の視線には気付かず、勢いよく立ち上がったセリーナはそのまま部屋から出て行ってしまった。

 一瞬、呆気に取られたリチャードが、慌ててあとを追う。

 しかし、ルーカスは何事もなかったかのように茶器セットを片付けると、自室へと向かった。

 結局リチャードは、セリーナが手紙の返事を書いている間、玄関ホールに待たせていた使者を暖かい厨房に招き、もてなす役目を引き受けたのだった。




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