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翌日は晩秋にしては珍しく、霧もない良く晴れた清々しい朝になった。
身支度を整えて個人用の居間に入ったセリーナは、朝食をテーブルに用意するルーカスを見て朗らかに笑った。
「おはよう、ルーカス! 素晴らしい朝ね!」
「おはようございます、お嬢様。朝早くからご機嫌麗しいようで何よりでございます」
セリーナとは対照的に、ルーカスは冷やかな声で挨拶を返した。が、今日の彼女はそれぐらいでは気にしない。
「あらあら。ルーカスはご機嫌斜めなの? 困った人ねぇ?」
セリーナの機嫌は良いどころか、気味が悪い。にこにこ――というより、にたにた笑う彼女に、ルーカスは眉をひそめた。
「お嬢様、そのお顔では、得るものも得られないかと思います」
「し、しょうがないじゃない、嬉しいんだもの!」
セリーナは決まり悪そうに頬を染め、それでも足取り軽やかに朝食の席についた。
「今日はこれから、モンゴメリー卿と遠乗りに出掛ける約束をしたの。お弁当を持って行くのよ」
「まさか、お二人でお出掛けになるのではないでしょうね?」
「いけない? もちろん、モンゴメリー卿の馬丁はついて来てくれるでしょうけど。この辺りの案内をしてさしあげるのよ。ここがいかに素晴らしい土地か知ってもらわなくちゃね」
浮かれていたセリーナは、ルーカスが黙りこんでしまったことには気付かなかった。
昨日、クロエと相談した計画内容を一人で話し続け、元気良く朝食をとる。
「――では、私もお供させて頂きますので、急いで支度をして参ります」
「え? お供って……ルーカス?」
食事を終え、乗馬用のブーツに履き替えようと席を立ったセリーナに、ルーカスが手早く食器を片付けながら告げた。
セリーナがその言葉を飲み込むより先に、ルーカスは出て行く。
部屋に残された彼女は、ちょっとした予定外の成り行きに戸惑った。
領地の視察がてら、ルーカスと一緒に遠乗りに出掛けたことは何度もあるのに、なぜか気が進まない。
楽しみだったはずのお出掛けが、一気にこなさなければならない義務になってしまったようだった。
セリーナは自分の心の変化を不思議に思いながら、のろのろとブーツを履き、厩舎に向かった。
そこでモンゴメリー卿と待ち合わせているのだ。
何も言わずに部屋から出てきたが、ルーカスはすでに準備を整えて待っていた。
彼の馬である鹿毛の〝トリスタン〟と、ミリンガム家所有のおとなしい雌馬の手綱を引いている。その芦毛の馬は、昨夜クロエから乗るように勧められた馬だ。
落ち着かない気分でセリーナはモンゴメリー卿と挨拶を交わすと、ルーカスに手を貸してもらい、小さくお礼を言って馬に乗った。
それからはルーカスの先導で一行は乗馬を楽しんだ。
先ほど意気揚々とセリーナがしゃべっていた計画内容を、彼はちゃんと聞いていたらしい。
目的地に向けて進む順路も予定通りだった。
ミリンガム家に貸している地所を抜けると、セリーナ自慢の果樹園が広がる。
この時期は葉を散らし、むき出しの樹木が立ち並んでいるだけだが、そんなそっけない姿さえもセリーナには愛おしかった。
それなのにいつもは熱が入る果樹園についての説明も上の空になってしまう。モンゴメリー卿の反応ではなく、なぜか前を行くルーカスが気になってしまうのだ。
広い背中を真っ直ぐに伸ばした後ろ姿はとても品が良く、頼もしい。
しっかりした体格に合った乗馬用の衣服は古びてはいるが、仕立てが素晴らしいものだとわかる。
そこでセリーナはふと眉を寄せた。
今まで気付かなかったが、その衣服はまるでルーカスのために特別にあつらえたかのように見える。しかもかなり上等な生地のようだ。
やはり王宮に仕えていた頃には、お給金もかなりもらっていたのだろうか。
ひょっとすると、セリーナが思っている以上にルーカスは重要な地位についていたのかもしれない。
だとすれば、ジャックとの関係も納得できる。
(そういえば、他にもルーカスが持っている服は全部……)
普段のルーカスは、リチャードの服を仕立て直したものを着ている。
だが、特別のお客様――絵画の仲介人などを迎える時には、丈がきちんと合った自分の服を着てくれるのだ。
「では、あと何年ほど実をつけるのですか?」
「……え?」
問いかけられて、ようやくセリーナは横に並んだモンゴメリー卿に意識を向けた。
慣れ親しんでいる土地の案内は自然にしていたが、気持ちが全然入っていなかった。
あまりに失礼な自分の態度に頬を染めた彼女に、モンゴメリー卿が優しく問い直す。
「この果樹園の木々たちは、あとどれくらいの間、実りをもたらせてくれるのでしょうか?」
「あ、はい。……ここは、わたしが生まれた記念に両親が苗木を植えたのが始まりなんです。わたしがお酒を飲める年になった時、是非ここの果実酒でお祝いをしようと父が……。それが十七年前のことですから、何事もなければ少なくともあと二十年はたくさんの恵みを与えてくれると……」
セリーナは両親のことを思い出して、急に込み上げてきた涙を隠すように目を伏せた。
そんな彼女のそばに馬を寄せ、モンゴメリー卿は手綱を握るセリーナの手に手を重ねた。
「先代フィリプトン伯爵は本当に素晴らしい方でした。奥方様もとてもお優しくて……。きっとご両親が恋しいでしょうね?」
「……両親を知っていらしたんですか?」
年相応の節のある大きな手を見つめていたセリーナは驚いて顔を上げた。
「ええ、ずいぶん昔になりますが、ある取引で困っていた私に、伯爵が力を貸して下さいましてね。お陰で今日の私があると言っても、過言ではありません。ですから、三年前は――」
「お嬢様、そろそろ先へ進みませんと、全てを見てまわる前に日が沈んでしまいます」
思いがけず両親の話を聞けて、セリーナは喜んで耳を傾けていた。
そこにルーカスの声が割って入り、少しむっとして彼へと目を向け、はっと息をのんだ。
彼の端正な顔には、冷たい怒りにも似た表情が浮かんでいたのだ。
しかし、それは一瞬で、すぐにいつもの柔らかな笑みに変わった。
「……ええ、そうね。では行きましょう」
動揺を抑えてうなずくと、セリーナは合図を送って馬を歩かせ始めた。
そっとルーカスをうかがい、ほっと息を吐く。
今の彼に変わった様子はない。
先ほどの表情はきっと光の加減のせいだろう。
ここのところ感じる居心地の悪さは、やましさのせいなのだ。
(……って、なんでわたしがやましく思わなきゃいけないの? これは正しいことなんだから。条件で夫を選ぶなんて、みんなしているもの!)
彼女は心の中で自問自答し、言い訳して、隣に並んだモンゴメリー卿に微笑みかけた。
すると、話途中になったことも気にしていないのか、穏やかな笑みを返してくれる。
(大丈夫。この方となら上手くやっていけるわ)
何かから目を逸らし、自分自身に言い聞かせて、彼女はこの日一日を過ごした。
そして別れ際、クロエの誕生パーティーでエスコートをさせて欲しいと申し込まれた時には安堵した。
それでもなぜか、よくわからない空しさを感じていた。