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「あ、あの、ルーカス?」

「黙ってついて来て下さい。もうすぐですから」


 どこへ行くのかとの質問は、口にする前に封じられてしまったために仕方なく、おとなしくついて行く。

 王宮内はところどころ見覚えがあるような気がしたが、それでもセリーナにとっては知らない場所だった。

 やがて中庭を囲んだ回廊を通り抜け、テラスに出る。

 すると、白い無垢材の大きな扉の前で、よく知った人物が立っていた。


「お待ちしておりました。殿下、セリーナ様」

「ジャック?」


 姿かたちはジャックなのに、微笑みを浮かべた表情も、柔らかな声も別人のようだ。


「では、誰も来ないように見張っておりますので、どうぞお好きなだけ愛を語らって下さい。ですが、セリーナ様、もし身の危険を感じられたら遠慮なされず大声をあげて下さってかまいませんよ。すぐに殿下の暴走を止めに参ります」

「馬鹿なことを言うな、ジャック。私は紳士だ」

「はは、さようでございました」


 むすっとして言うルーカスの主張を、ジャックは乾いた笑いで受け流した。

 そして白い扉を開け、一歩下がる。


「今の、本当にジャックなの?」


 やはり今までのジャックとは別人のようで、セリーナは訊かずにはいられなかった。

 ルーカスはちらりと振り返り、首をかしげる。


「見た通りですが。なぜです?」

「だって……あんなにしゃべるなんて、知らなかったわ」

「それは、私が必要最低限しゃべるなと命じていたからですよ」

「ええ!? どうして!?」

「ジャックは昔から女性にもてるんです。ですから、間違ってもあなたがジャックに惹かれてしまわないようにと、予防です」


 あっさり言ってのけるルーカスに、からかわれているのだろうかと、彼の表情を探った。

 だが、どうやら本気らしい。

 呆気に取られて彼を見つめていると、ルーカスはわずかに顔をゆがめて自嘲した。


「私はあなたに対しては、ひどく独占欲が強くなってしまう。例えあなたが、資金繰りに苦労していても、見て見ぬふりをして、フィリプトンの屋敷に閉じ込めておきたいと思うほどに」


 セリーナは驚きに目を見開き、次いで顔を赤くした。どきどきと心臓はうるさく打っている。

 これは期待してもいいのだろうか。

 それでもちゃんと確かめることが怖くて、話題をそらした。


「ここは……温室、でしょうか?」


 ふと、彼の本当の立場を思い出し、口調を変える。


「ええ、ノルサント王宮自慢の温室です。ここでは美しい花々がいつでも楽しめるんです」

「本当に、素敵な場所ですね」


 辺りを見回しながら同意すると、ルーカスは顔をしかめた。


「なぜ、そのような話し方をするんです?」


 わずかに険しくなった声に、セリーナはたじろいだ。


「それはその……ル、殿下には――」

「止めて下さい。今まで通り、ルーカスと呼んで下さって結構ですから」

「ですが、殿下もわたしには敬語で話されます」

「それは癖で……」


 セリーナの反論にルーカスは言い淀んで少しの間黙り込み、再び口を開いた。


「では、私もなるべく敬語を使わないようにします。ですからお嬢様も、…セリーナもそのまま敬語はなしでお願いします」

「……ルーカス、全然できてないわ」

「……少し、猶予を下さい」


 困ったように笑うルーカスにつられてセリーナも笑った。

 ようやくいつもの調子に戻り、二人の明るい声が温室に響く。

 だがふとルーカスは真顔になって、セリーナが困惑するほどにじっと見つめた。


「……もう少し、奥に行きましょう。そこに長椅子があるので」


 戸惑い目を逸らしたセリーナを、彼が優しく誘う。

 素直に従い、長椅子に座った彼女は、隣に座るルーカスを見上げた。

 濃密な空気と甘い香りに、なんだか頭がくらくらする。

 何か彼に言わなければならなかったはずなのに、思い出せない。クロエと約束したのに。

 そこまで考えて、思い出した。


「あの、ルーカス」


 勇気がなえないうちにと言いかけて、ルーカスの大きな手がセリーナの口を塞ぐ。


「待って。私の話から先に聞いて下さい」


 真剣なルーカスの表情に、息が触れ合うほどの距離に、セリーナの胸が高鳴る。

 口を塞がれたまま、こくりとうなずくと、ルーカスはほっとしたように手を離した。


「その……今までずっと騙していたことを謝りたくて。本当はもっと早く打ち明けるつもりだったのですが、だんだん怖くなって、できませんでした。言えば、嫌われるんじゃないかと」

「そんなこと――」


 ないと言いたかったのに、また口を塞がれてしまった。

 しかし、今度はすぐにセリーナの口は解放され、そのまま大きな手は彼女の頬に触れる。


「いつまでも逃げていても仕方ない。あなたを――セリーナを、このまま閉じ込めるわけにもいかないと、春になったら打ち明けようと決めていました。春になって、あなたが十八歳の誕生日を迎えたら、膝をついて許しを請い、愛を乞おうと。そして、プロポーズしようと思っていたんです」

「ルーカス……」


 セリーナは込み上げてきた涙を何度かの瞬きで抑えた。

 目の前がぼやけているのは、夢を見ているからかもしれない。

 ぼんやりとした桃色の思考の中に、ちらりとよぎった光景。


「……で、でも、サ、サラは!?」


 手を握り合う彼とサラを見たのは、ほんの十数日前なのだ。

 いきなり夢から醒めた気分でルーカスに訊くと、彼は訳がわからないといった様子で眉を寄せた。


「サラって?」

「誤魔化さなくていいの。わたし見たんだから。……この前、村の食堂でサラと手を握り合ってるところを!」


 またあの光景が目の前にちらつき、セリーナは強く頭を振った。

 訝しげに眉を寄せたままのルーカスはしばらく考え、それから「ああ!」と声をあげた。


「それで、あの日、様子がおかしかったのか……」


 ルーカスは納得がいったと嬉しそうに笑う。

 一方、納得のいかないセリーナは、むむっと顔をしかめた。


「彼女はマックスの恋人なんです」

「マックス?」

「ええ、あそこにいた三人のうちの一人です。彼らは私の護衛騎士なのですが、王宮に戻れと言っても聞かなくて。仕方なく、それなら村の人たちの役に立てと命じたら、すっかり馴染んでしまって……。あの時は、マックスに彼女との結婚の許可を求められ、了承したところだったんです」


 すっかり勘違いしていたことが恥ずかしくて、セリーナは耳まで真っ赤になった。

 あれだけ一人で大騒ぎしておきながら、全て誤解だったなど情けなさすぎる。


「それにしても、あんな所で私に許可を求めるマックスにも困ったものだが、誰も疑問に思わなかったことの方が不思議ですよ。あの村の人たちも、のんびりしすぎていて心配になってしまう」


 困ったものだと呟く彼は本気で心配している。

 どうやらルーカス自身も、あの地にしっかり馴染んでしまったようだ。


「じゃあ、ルーカスがずっと言おうとしていた大切な話って……」

「そう、本当の身分を打ち明けて、プロポーズするつもりでした。セリーナが予想外に婚活なんて始めてしまって、春までなど待っていられなくなったから」


 うなずいたルーカスは急に立ち上がり、可憐に咲いていた薄い紅色の花を一本手折った。

 そして、セリーナの足元に跪き、芳しく香る花を差し出す。


「ずっと一人で領民を守ろうと、懸命に頑張っていたセリーナを、わたしは守りたいと思った。その気持ちはいつの間にか恋になり、愛に育っていたんです。――セリーナ、どうか、私と結婚して下さい」

「……本当に、私と?」

「ええ、あなたと」

「同情じゃなくて? わたしは笑いながらウサギを捌くし、手だってこんなに荒れているのに……」

「こんなに可愛い働き者の手は見たことがありません」


 膝の上でぎゅっと握りしめたセリーナの手を取り、ルーカスは薄紅色の花ごと包み込んで、そっと口づけた。


「セリーナ、早く私のプロポーズを受けてくれないと、このままここに閉じ込めてしまいたくなってしまいます」

「それは……困るわ」

「では、受けてくれますか?」


 こくりと小さくうなずいたセリーナの頬を、小さなしずくが流れ落ちる。

 ルーカスは立ち上がると、きらきら光るしずくに唇を寄せてぬぐい、そのまま震えるセリーナの唇に重ねた。


「セリーナ、愛している」

「わたしも……ルーカスを愛しています」


 耳元でささやかれる甘い言葉に、セリーナも小さな声で応えた。

 花の香りが立ち込める温室が、愛の語らいとひそやかな笑い声に満たされていく。


「――あの、ところで、ルーカスって何歳なの?」

「……」


 しばらくして、ふと浮かんできた疑問。

 そのままをセリーナが口にすると、ルーカスは一瞬黙りこみ、次いでいきなり彼女の鼻をつまんだ。


「ルゥカフ!?」

「セリーナは本当に、最近まで私に興味がなかったようですね?」

「で、でも、誕生日は知っているわよ!」


 はあっと大きなため息をついてぼやくルーカスに、セリーナは赤くなった鼻を押さえて反論した。


「そうですね。誕生日祝いはしてくれていましたからね。でもまさか、年も知らず祝ってくれていたとは……」

「そ、そこまで頭が回らなかったのよ」

「……まあ、いいでしょう。私の傷ついた心は、セリーナがちゃんと責任をもって癒してくれるでしょうからね」


 そう言って、ルーカスは優しく微笑む。

 不穏な気配を感じるものの、ここで引くわけにはいかない。


「もちろんよ」


 セリーナがごくりとつばを飲み込んでうなずくと、ルーカスはさらに笑みを深めた。


「では、私の年の数だけキスしてくれますね」

「え?」

「二十二回です」

「ええ?」

「さあ、今から始めてください」

「えええっ!?」


 セリーナの幸せに満ちた叫びは、温室の外にいたジャックにまで届いた。が、彼が助けに入ることはなかった。




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