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 セリーナたちがミリンガム家へ出発する前日。

 何かと慌ただしかった屋敷の中も、ようやく落ち着きを取り戻していた。

 上手くいけば、クロエの誕生パーティーから戻る時には、婚約者を屋敷に案内することになるかもしれない。

 その時には少しでも好印象を持ってもらおうと、屋敷中の大掃除を徹底していたのだ。


 今では家庭菜園のようになった庭園の手入れには、近所の小作人たちが手伝いに来てくれた。リネン類の洗濯や繕いは、その妻たちが手伝ってくれた。

 収穫が終わって冬が来る前にやらなければならないことはたくさんあるのに、みんな自分たちのことは後回しで協力してくれたのだ。

 その優しさと期待に、自然とセリーナにも気合いが入る。

 そして今、カバンに詰める最後のドレスの仕上げにかかっていた。


「よし、出来た!」


 セリーナは糸切りバサミをテーブルに置いて立ち上がると、仕立て直した母の若い頃のドレスを胸に当てた。

 上質なシルクのイブニングドレスは水色の光沢を放ち、セリーナの金色の髪をいっそう輝かせ、蒼色の瞳を引き立てている。

 今回、流行に合わせて襟ぐりをきわどい深さにしたものの、レースで縁を飾って、多少の慎ましさをもたした。

 それでも身ごろを絞ったので、胸のふくらみは強調されるだろう。


「まあ、お嬢様。とても素敵に仕上がりましたね。よくお似合いです。そのドレスをお召しになったお嬢様の前には、求婚するために殿方の長い列ができますよ」


 古びたタペストリーを繕っていたナッツィ夫人が、顔を輝かせて褒めそやす。

 かなり身びいきな言葉だが、やはり嬉しくてセリーナは頬を染めて笑った。


「ナッツィったら、褒めすぎよ」

「あら、本当ですよ。そもそも、お嬢様は――」


 言いかけたところでノックの音が響き、ナッツィ夫人は置時計に目をやって驚きの声をあげた。


「まあ、もうこんな時間!」


 急いで手元のものを片付けると、お茶の用意をトレイに載せたルーカスと入れ違いに出て行く。「ルーカスさんからも、お嬢様はとても素敵だって、おっしゃって下さいな」と、言い置いて。


「……お嬢様はとても素敵ですよ」

「うわー、全然嬉しくない」


 ナッツィ夫人に言われた通りの褒め言葉を口にするルーカスに、セリーナは唇をとがらせた。


「冗談はさておき、そのドレスは少し大胆過ぎませんか?」


 碧色の瞳をきらりと光らせて、ルーカスはセリーナの顔から胸に当てたままのドレスに視線を落として問いかけた。

 セリーナにしてみれば、冗談だと言われて怒ればいいのか、傷付いてみせるべきなのかわからず、結局問われたことに答えることにした。


「これくらいでちょうど良いのよ。先日、クロエがここに寄こしてくれた仕立て屋さんから見せてもらったドレスは、もっと大胆だったもの。それで、このドレスの下に、クロエからの婚約祝いとして仕立ててもらったコルセットを着ければ、ないものもあるように見えるってわけ。完ぺきでしょ?」

「……男の私から言わせてもらいますと、それは立派な詐欺行為です。そもそも、まだ婚約もしていらっしゃらないのに、お祝いを頂いてどうするのですか?」

「時間の問題だから先に贈るわって、言ってくれたんだもの。ちなみに、もう一枚のコルセットは結婚祝いなのよ」

「お嬢様……」


 ルーカスが呆れと諦めを含んでため息をつく。

 それがなんだかセリーナには腹立たしかった。


「もちろん、夫となる人には、我が家の現状について嘘を言うつもりはないわ。結婚しても、数年の間は領地や屋敷を維持していくために多くの出費が必要だと、全て正直に話すつもり。でも、ちゃんと立て直せば、その後は実り多きものになるのは間違いないもの。有意義な投資よ」

「確かに、おっしゃる通りです。しかし、それならばお相手は裕福な貴族階級の者でもよろしいのでは? 身分ある者を除いていては、選択肢が狭まるだけではないでしょうか?」

「……結婚の際には、一つ条件を出すつもりなの。領地運営に関して、お金は出しても手と口は出さないでってね。アドバイスは聞くわ。でもそこまで。フィリプトン家の屋敷も領地も全てわたしの名義のまま変えるつもりもないし。そのことを、身分以上にプライドの高い方たちが受け入れるとは思えないもの」


 貴族たちをバカにするように、セリーナはふんっと鼻を鳴らした。

 それに対して、ルーカスは何も言わない。普段はマナーに厳しく、淑女らしくないとよく叱られるのだが。

 ただ少し考え込むように沈黙し、そして口を開いた。


「今、お嬢様がおっしゃった条件では、身分のない者も喜ばないのではないでしょうか? 得るものが……少ないと思うかもしれません」

「得るものはあるわ。とても素晴らしいものよ」

「それは?」

「子供よ」


 セリーナは堂々と胸を張って答えた。

 ルーカスの唇の端がぴくりと動く。


「わたしは夫となる人の子供を産むわ。その子がフィリプトンの爵位と領地を受け継ぐのよ。わたしはそれまでこの素晴らしい土地を、決して切り売りしたりしない。領民を切り捨てたりしない。両親の愛したこの土地と人々を、愛すべき子供にちゃんと引き渡すの」 


 堂々と胸を張って言い切るその姿は、間違いなく領主としての威厳に満ちている。


「……わかりました」


 セリーナの真剣な言葉を噛みしめるようにわずかな間をおいて、ルーカスは真摯な面持ちでうなずいた。

 そして、いきなり彼女の足元に片膝をつく。


「それでは私は、私の大切な姫君の望みを叶えるため、愛と忠誠を尽くすことを誓います」


 まるで騎士のように誓いの言葉を述べると、ルーカスはセリーナの左手を取り、口づけた。

 驚きにセリーナが目を見開く。

 初めて淑女として受けたキスが恥ずかしく、淑女らしくない荒れた手が恥ずかしくて、声も出せない。

 真っ赤になって呆然とする彼女を見上げ、ルーカスは優しく微笑んだ。


「お嬢様は、世界中のどんな姫君よりも気高く美しい方です。お嬢様を花嫁に迎えられる者は、世界一の果報者となるでしょう」


 セリーナは小さく震える唇を引き結び、これ以上ないほど赤く染まった顔をぷいっと逸らした。


「そ、そんな、今さら歯の浮くようなお世辞を言ったって、無駄なんだから!」


 未だ握られたままだった左手を慌てて引き抜くと、直したばかりのドレスを抱えて駆け出す。

 お茶も飲まずに部屋から出て行くその後ろ姿を、ルーカスは柔らかく目を細めて見送ったのだった。




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