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 国王がくっと顎で示すと、侍従が壇上途中より降りてきて、男爵が差し出す封筒を受け取った。


「ですが、陛下! それは偽造されたものです!」


 それまで黙って見ていたセリーナはついにこらえきれず訴えた。


「何を馬鹿なことを! その封蝋を見れば、フィリプトン家の印章がしっかりと押されている。しかも、誓文書には先代フィリプトン伯爵が直々にサインしたのですぞ? 間違いない。貴殿らは先ほどから、不当な言いがかりばかりだ!」

「言いがかりなどではありません! その封蝋は、先日男爵が我が屋敷にいらっしゃった時に、わたしの目を盗んで型を取った偽の印章のものでしょう!?」


 大胆なセリーナの言葉を聞いて男爵の顔が一気に青ざめ、喉を何かで詰まらせたように口をぱくぱくさせた。

 ひいひいと耳障りな呼吸音がしている。

 皆が不安そうな目を向け、救命のためか騎士二人が一歩前へと進み出た。

 その時、男爵は何重にもなった顎を揺らして激しく咳き込み、呼吸を再開した。


「だ、大丈夫ですか?」


 今度は真っ赤な顔をしてげほげほ唸る男爵に、セリーナは心配のあまり問いかけた。

 しかし、男爵にはそんな彼女の気遣いも無用だったらしい。


「ええ、……大丈夫ですよ。まさか、私も陛下の御前で泥棒呼ばわりされるとは思ってもおりませんでしからね。驚きのあまり、心臓が止まるところでした」

「そんな……」


 そんなつもりはなかったと言いかけて、セリーナは口をつぐんだ。否定は出来ない。

 それが事実なのだ。しかも男爵は、さらに領地までも盗み取ろうとしている。


「まったく、このような不名誉を与えられるなんて信じられませんよ。まあ、レディはまだお若いですからね、衝動的に物事を考えられるのも仕方ありませんな」

「衝動などではありません」


 馬鹿にした言い様に、セリーナはむっとして反駁したが、それもまた軽くあしらわれる。


「おやおや、そうですか? でしたら、誓文書が偽造されたという証拠があるのでしょうね?」

「しょ、証拠は……」

「私は婚約が成されたという証拠を誓文書という形で示すことができます。ですが、レディはその誓文書が偽物だとする証拠を示せない。さて、困りましたなあ」


 わははと笑う男爵の顔は愉悦に輝いている。


「とにかく、男爵のおっしゃる誓文書とやらを確認させて頂かないと、どうにもなりませんがね」


 穏やかに口を挟むレスター侯爵の言葉を耳にして、セリーナは我に返った。

 冷静さを失っていたのが恥ずかしい。

 ようやく封筒が侍従の手から国王へと渡ると、国王はじっと封蝋を見つめて呟いた。


「ふむ。確かに、わしの知っているフィリプトン家の印章だが……。レディ、そなたは今、印章を持っているか?」

「は、はい。こちらに……」


 ダイヤモンドのネックレスと一緒に首から下げていた銀の鎖をたぐり、起きている間は肌身離さず持っている指輪を取り出して、国王の侍従に差し出した。

 男爵が「まさか、そんなところに!」と、大げさに驚いている。あくまでも白を切るらしい。

 侍従から指輪を受け取った国王は皆が見守る中で、指輪を封蝋の印形と合わせた。

 寸分の狂いもなく、ぴったりと重なる。


「……ふむ。間違いないようだな」


 国王の言葉と共に、男爵が得意げに笑う。

 わかってはいたが、セリーナは落胆を隠せなかった。中に入っている誓文書は、屋敷で見つけたのと同じ、サインが偽造されたものだろう。

 侍従が一度、封筒を受け取り、開封してまた国王へと差し出す。


「このサインもまた、わしの知っている先代フィリプトン伯爵のもののようだな」


 誓文書にざっと目を通した国王の言葉を聞いて、セリーナは青ざめ震えた。


「でも……偽物なんです。……父が、そんな約束をするはずがありません」

「まだ、そんな戯言をおっしゃるのですか、レディは。たった今、陛下もお認めになったではないですか」

「いや、まだ認めたわけではないぞ」


 勝ち誇った男爵の言葉に異議を唱えたのは、国王自身であった。

 男爵がぎょっとして悲鳴じみた声をあげる。


「陛下!」


 国王は男爵を無視して、はっと顔を上げたセリーナに慰めるような優しい視線を送った。


「わしは先代フィリプトン伯爵とはかなり親しい仲であった。伯爵が領地に腰を据えてからも、頻繁に文のやり取りをするほどにな。よって、もし本当にそなたの婚約が成されたのなら、必ず知らせてくれていたはずだ。しかし、こうして伯爵のサインが記された、わしの知らぬ誓文書があるのも事実。レディはこれを偽物と証明できるかね?」

「証明を……」


 問われて、セリーナは答えを詰まらせた。

 フィリプトン家の印章で封がなされていた封筒と、中に入っていたのは誰が見ても先代伯爵のものだと思われるサインが記された誓文書。

 せめてサインが偽物だと証明できなければならない。

 どうすればいいのか、眉を寄せ考える。

 筆跡を模倣することを生業にする者もいると教えてくれたのは――。


「ルーカス……」

「うん? なんだね?」


 セリーナの口から自然と名前が漏れでたのは、困った時にどうしても頼ってしまう存在。

 例え彼自身がこの場にいなくても、彼のことを想えば勇気が湧いてくる。


「ルーカスは、――フィリプトン館で臨時執事として働いてくれていたルーカスは、わたしが男爵に印章を見せていたことを知っています」

「そ、それが、どうしたというんだ!? 指輪を見せてもらったからといって、それを型に取った証拠にはならないぞ!」


 すかさず反論する男爵に、セリーナはぴんと背筋を伸ばし、射抜くような強い視線を向けた。


「ですが、男爵は先ほど、指輪をわたしが首から下げているのを見て、まるで初めて知ったかのように驚いていましたよね? なぜ、そのようなふりをなさる必要があったのですか?」


 はっと息を飲んだ男爵はすぐにこほんと一度咳をして、攻撃的な弁解を始める。


「何を言っているのかわかりませんな。私はフィリプトン家の印章など、見たことはありません。例えそのルーカスとやらが証言しても、フィリプトン屋敷の執事の言うことなど信じられませんな。自分の主人の都合の良いように言うに決まっているのですから」

「おや、私は信じますよ」


 再び穏やかに口を挟んだ侯爵に、男爵が噛みつく。


「こ、侯爵は、以前あの者を使っていたことがあるから……み、身びいきでしょう! それは公平ではありません!」

「だが、わしも信じるな」

「ええ、私も」


 侯爵に続いて、国王と王太子までもがあっさりと男爵の言葉を否定した。

 愕然とした男爵の顔には大粒の汗が浮かんでいる。


「な、へ、陛下? 殿下までも何を……」

「まあ、これこそ身びいきとなるが……」

「もう、まどろっこしいですね。さっさと本人を呼んで、証言をさせればよいではないですか」


 ううむと考え込む国王を横目に、王太子が提案する。

 急な展開に何がなんだかわからず、唖然としていたセリーナだが、王太子の言葉を聞いて我に返った。

 この場にルーカスを呼ぶということなのだろうか。


「殿下、ルーカスは――」


 領地にいると言いかけて、セリーナの息が止まった。心臓も。

 一拍おいて、どくどくと脈打つ音が頭の中に鳴り響く。


「ルーカス……?」




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