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 貴族の者たちが乗る馬車にもまったく引けを取らないミリンガム家の豪奢な馬車が、王宮の外門を抜ける頃になると、さすがにセリーナの緊張も戻ってきていた。


「やっぱり、緊張していらっしゃるの?」


 膝の上でぎゅっと両手を握りしめたセリーナを見て、付き添ってくれているミリンガム夫人が優しく訊ねる。


「だ、大丈夫です」


 あからさまな嘘と引きつった笑みで答えると、夫人は柔らかく微笑んだ。


「わたくしもとても緊張していますのよ。内殿へ入るのは初めてですから。ですが、楽しみでもありますの。だって、本来ならそうそう入れる場所じゃありませんからね」


 笑みにかすかな茶目っけを混ぜて夫人が言う。

 すると、向かいに座るミリンガム氏がうむうむとうなずいた。


「はっきり言って、羨ましいな。だが私はたまにへまをやらかすから、外殿でおとなしく待つ方が間違いないしなあ」

「あら、たまにですか? しょっちゅうではなくて?」


 ふふふと笑う夫人に、ミリンガム氏が顔を赤くする。

 二人がセリーナの緊張をほぐそうとしてくれているのが嬉しくて、仲の良いやり取りを彼女は笑って見ていた。

 通常、爵位を持たないものは王宮の内殿には入れない。

 そのため、今回はミリンガム氏が外殿までセリーナを送ってくれ、そのあとは夫人が付き添いとして同行してくれる手筈になっている。

 クロエも侍女としてならセリーナに同行できたが、それは申し訳ないので断った。

 国王陛下との謁見がどのような形で結末を迎えるのかわからないので、あまり巻き込みたくはなかったのだ。

 夫人がそばにいてくれるのも内殿の控室までらしいので、謁見はセリーナ一人で為さなければならない。

 しかも、男爵が同席するとなると、緊張と恐怖でどうにかなりそうだった。

 それでも馬車が止まり、扉が開かれると、セリーナは精いっぱいの笑みを顔に張り付けた。


 フィリプトン女伯爵として、恥ずかしくないように堂々と馬車から降りる。

 途端に、誰かがはっと息をのむ声が聞こえ、しんとその場が静まりかえった。

 セリーナは何か失敗をしてしまったのだろうかと戸惑い、馬車を止めた王宮の中門を見回した。

 外殿中央の入口にいる者たち全員がセリーナを見ている。


「皆さん、レディが美しいから、見惚れていらっしゃるのよ」


 その場に釘付けになってしまったように足が動かず、立ったままのセリーナの後ろから、そっと夫人が囁いた。


「さあ、行こうか」


 夫人に続いて、ミリンガム氏がクロエによく似た茶色の瞳を輝かせてうながす。

 セリーナはこくりとうなずくと、ようやく足を動かして、ミリンガム夫妻と一緒に、案内人のあとを歩き始めた。


 ひとまず外殿の一室に案内されたセリーナは、その壮麗さに目を奪われていた。

 少し華美すぎる感もあったが、以前のフィリプトン館のようでもあり、セリーナの郷愁を誘う。

 そこに、ノックの音が響き、ミリンガム氏が応える間もなく、ドアが開かれた。


「やあ、君がレディ・セリーナだね? ずいぶん久しぶりだが、覚えて……は、いないだろうな。それにしても、お母上によく似ていらっしゃる。実に美しくなられたね!」


 にこやかに微笑んで颯爽と入って来た壮年の男性は、セリーナに目をとめると、さらに笑みを深めて話し始めた。

 その勢いに圧倒されて、ただ呆然と立ったままの彼女の横で、ミリンガム氏が慌てて腰を折る。


「こ、これはレスター侯爵。まさか侯爵がこちらへいらっしゃるとは……」

「いやいや、堅苦しいことはなしでいいじゃないか。なぜって、それを言えば、私もかなり不作法な人間になってしまうからね。早くレディにお会いしたくて押しかけて来たばかりか、紹介もされずに話しかけてしまったよ」


 はははと豪快に笑う目の前の男性を呆然と見ながら、口髭がとても似合っていて素敵だわなどと考え、そこでやっとこの人物が誰なのか頭が理解した。


「は、初めまして、レスター侯爵。わたしは――」

「ああ、挨拶はいいから。むしろ、その言葉は胸に突き刺さる。初めましてじゃないんだが……聞いていた通り、すっかりこちらでの生活を忘れてしまっているんだね」


 セリーナの挨拶を遮り、侯爵は少し寂しげに言うと、上から下から改めて彼女を眺め、琥珀色の瞳を細めた。


「さて、では急がせてすまないが、内殿に部屋を用意したから、そちらに移ろうか」


 侯爵はわずかに表情を引き締めてそう告げると、ミリンガム氏へと視線を移す。


「ハリー・ミリンガムだったね? 君のことは良い噂として何度も耳にしているよ。ここまでレディを連れて来てくれて、本当に助かった。ありがとう」

「いいえ、そのような……」


 この国で地位、実力ともに高いレスター侯爵に過ぎた言葉をもらい、感極まった様子でミリンガム氏は深く頭を下げた。その一歩後ろで夫人も頭を下げる。

 そんな夫人に侯爵は目をとめ、声をかけた。


「あなたがレディの付き添いかね?」

「はい。マリア・ミリンガムと申します」

「そうか、では一緒に来なさい」


 侯爵は軽くうなずいて命じると、黙って待っていたセリーナに微笑みかけて腕を差し出した。


「レディ、内殿までは少し歩きますから」

「……ありがとうございます」


 次々と変わる侯爵の態度に、セリーナは面食らいながらも、どうにか微笑み返して腕に手を添えた。

 豪華な回廊を今度は侯爵と共に歩いていると、先ほど以上に多くの人たちの視線が突き刺さる。

 思わず尻ごみしてしまいそうになり、セリーナがうつむくと、侯爵が励ますように腕に添えた彼女の手をぽんぽんと優しく叩いた。


「心配しないで大丈夫。皆、レディの美しさに見惚れているだけだから」


 同じ言葉でミリンガム夫人に励まされたばかりのセリーナは、くすりと笑って後ろを振り返って見た。

 だから言ったでしょうと、言わんばかりの得意げに微笑む夫人と目が合う。


「おや、女性同士の内緒話かね? 私は本当のことを言っただけなんだがね」


 二人のやり取りを、侯爵はわざと誤解して嘆く。

 手紙の文面からも感じてはいたが、ずいぶん親しみやすい人物のようだ。


「それにしても、レディは本当に美しくなられた。誰の目にも触れさせず、隠しておきたかったというお気持ちもよくわかるほどにね」

「はい?」

「ん?」


 独り言のように呟く侯爵の言葉が理解できず、聞き返しても訊き返されて、うやむやになったまま目的の部屋に着いた。


「陛下との謁見の前に、少し休んだ方がいいだろうから、お茶を運ばせよう」


 内殿で案内された部屋はさらに豪華な調度品に囲まれていた。

 しかも室内には暖炉も見当たらないのに、春のように暖かく過ごしやすい。


(すごい……まるで春みたい……)


 白磁の花瓶には春咲きの花まで飾られていて、宮殿では季節まで左右できるのかと思ってしまうほどだ。


「さあ、レディ、どうぞ」


 室内をきょろきょろしていたセリーナは、侯爵に声をかけられ、現状を思い出して顔を赤らめた。

 目の前のテーブルにはお茶とお菓子がいつの間にか用意されており、向かいに座る侯爵が穏やかに微笑んで勧めてくれる。

 少し離れた位置に置かれた肘掛椅子に座った夫人には、王宮のメイドがお茶の入ったカップを渡していた。


「いただきます」


 素直にお茶を口へと運び、甘そうなお菓子をひとつ摘む。

 それからしばらく、侯爵との会話は弾んだ。

 おもに、侯爵がセリーナの両親の思い出話をしてくれ、時には彼女の幼い頃の話にもなり、ちょっとばかり恥ずかしい思いで笑った。

 やがて、腰に剣を下げた厳めしい顔の男性が部屋へと入って来て、侯爵に耳打ちする。

 王宮内に入ってからは、様々な所で兵や騎士を見かけたが、こうして間近にいると、どうしてもどきどきしてしまった。

 セリーナの緊張が伝わったのか、侯爵が安心させるように微笑む。


「彼は陛下の近衛騎士だよ。まあ、怖い顔しているからね、レディが恐れてしまうのも仕方ないな」

「侯爵……それはあまりにも酷いですよ」


 顔を赤くした騎士がちらりとセリーナを見て、侯爵に抗議した。

 その様子を目にして、こんな怖そうな騎士でも顔が赤くなるんだなと思い、セリーナは騎士に向けて微笑んだ。

 ますます騎士の顔が赤くなる。


「おっと、陛下の騎士の心が壊れてしまう前に、救ってやらなければ」


 呟いて、侯爵は立ち上がった。

 続いて席を立ったセリーナに、侯爵が秘密を打ち明けるように小さな声で問いかける。


「この謁見に、ダノシー男爵が同席することは知っているかい?」

「――はい」

「そうか、それでもレディはやって来たんだね。その勇気には敬服するよ」

「いいえ、それは……」


 否定しかけたセリーナの言葉を、侯爵は首を横に振って遮った。


「レディは今まで十分に頑張ってきた。だけど、もう一人で戦う必要はないんだ。どうかあとは任せて欲しい」


 セリーナは目を丸くして口を開きかけ、すぐに閉じた。何を言えばいいかわからない。

 侯爵がそんな彼女の震える肩を優しく叩く。


「さあ、行こうか。男爵の強欲ぶりも、さすがに行き過ぎた。容赦できないほどにね」


 先を立って歩き始めた侯爵の言葉も、緊張したセリーナの頭には入らなかった。




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