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 風を切る音が耳に冷たく突き刺さる。

 すっかり黙り込んでしまったセリーナを気遣ってか、ルーカスはトリスタンに合図を送って速度を落とした。 


「……お嬢様、大切な話がございます」


 しばらくして、ルーカスが重い口調で切り出した。

 しかし、セリーナは〝大切な話〟など聞きたくなくて、大きくかぶりを振る。


「いいの。ルーカス、わたし知ってるから。聞かなくていいの」

「まさか……」


 驚き呟いたルーカスは、うつむいたまま目を合わせようとしないセリーナをじっと見つめた。


「いったい、いつからご存知だったのですか?」

「さ、最近よ。今までまったくわからなかったけど、さっき……食堂で、例の三兄弟と話しているところを……それで……」


 はっきりと言葉に出来なくてセリーナが口ごもると、それからしばらく沈黙が続いた。

 だが、やがてルーカスが口を開く。


「それで、王都行きを決心したとか?」

「べ、別にそれが理由じゃないわ。たまたま、偶然よ。だって、わたしは夫捜しを諦めたわけじゃないですからね。婚活は王都の方がしやすいもの」

「へえ? ではきっと、王都で素敵な結婚相手に巡り会えると思いますよ」


 今さら気持ちを知られるなど耐えられず、強がる彼女に、ルーカスは不敵な笑みを向けた。

 セリーナの背に冷たいものが走る。

 つい先ほども目にしたばかりの彼の表情に、何をされるのかと身構えたが、特に気まずい思いも、痛い思いもすることなく、無事に正門を抜けた。

 不思議に思い、改めてルーカスを見ても、いつもの穏やかな笑みを浮かべているだけ。それが急にしかめっ面に変わり、彼女はびくりとした。


「お嬢様、どうやら、またダノシー男爵からの使いが来ているようですよ」

「え?」


 首をめぐらせ屋敷の玄関前を見れば、ルーカスの言葉通り、見覚えのある簡素な馬車が止まっていた。

 男爵たちが乗る家紋入りの豪奢なものではなかったが、先日彼らが訪れた時に上級使用人たちが乗っていたものと同じ二頭立ての馬車だ。

 到着してからそれほど時間は経っていないのか、二頭の馬からは蒸気が立ち上っている。

 早く厩舎に連れて行って汗を拭いてやらないと、体調を崩してしまうだろう。


「ルーカス、お願い出来る?」

「はい、それはかまいませんが……お一人で大丈夫ですか?」


 ジャックが厩舎にいるかわからないので、トリスタンと二頭の馬の世話はルーカスがしなければならないかもしれない。

 そう考えて心配したが、幸い屋敷から馬車の御者らしき人物がジャックと共に現れた。

 すぐにジャックはセリーナたちに気付き、トリスタンが足を止めるまで待って、駆け寄る。


「ありがとう、ジャック」


 トリスタンから抱え下ろしてくれたジャックにお礼を言うと、彼は無言で深く頭を下げた。

 そして、ルーカスから手綱を受け取り、入れ替わりにトリスタンへと跨る。

 いつもなら乗らずに手綱を引いて歩くのだが、今日は馬車を厩舎まで先導するからだろう。

 出会ってからもう二年近くになるのに、彼の声を聞いたことは数回しかない。ルーカス以上に、彼は謎めいた人物だった。

 広がり始めた薄闇の中に溶け込むような黒髪のジャックを見送る。


「さあ、お嬢様。ここは寒いですから、中へ入りましょう」


 声をかけられてはっと我に返ったセリーナは、背を向けていた屋敷を振り返り、玄関扉を睨んだ。

 男爵はいったい、今度は何を言ってきているのだろう。

 いやな予感に襲われ、なかなか前へと踏み出せないセリーナの背に、そっと温かな手が触れた。


「心配することはないですよ。男爵が何を言ってこようと、気にする必要はありません。大丈夫ですから」


 励ましの言葉と、温かな手に後押しされて、セリーナは屋敷へと続く玄関前の階段を上り始めた。

 ルーカスはいつも欲しい時に、欲しい言葉をくれる。

 優しくて、意地悪で、頼もしくて、厳しくて、セリーナにとっては、なくてはならない存在。

 いつから恋心になっていたのかはわからないけれど、気付いた今では頭のてっぺんから爪の先まで、ルーカスで占められてしまっている。


 それでも、これからは彼がいなくてもやっていかなければならない。もう甘えるわけにはいかない。

 今まで何度かルーカスが言いかけていたこと――大切なこととは、サラのことだったのだろう。

 将来的には食堂をサラと一緒にやっていこうと決意したとか、彼女のためにこれ以上ただ働きをするわけにはいかないからフィリプトンにはもういられないとか。


(大丈夫。王都へ行って、新しい恋をすれば……)


 爪の先くらいは彼のことを忘れられるかもしれない。

 すぐ後ろにいるルーカスを意識しながら階段を上りきると、計ったように玄関扉が開いた。


「お帰りなさいませ、お嬢様。お疲れのところ申し訳ありませんが、ダノシー男爵の使いの方がいらしております」


 しばらくの滞在で、ダノシー男爵家の使用人たちともそれなりに親しくなっていたリチャードだが、やはり男爵の使いとしては歓迎できないようだ。

 渋い顔をして伝えた老執事に、セリーナは大丈夫だと言うようにうなずいて見せた。


「ありがとう、リチャード。使いの方にはすぐに行きますって伝えてくれる?」

「いいえ。申し訳ありませんが、使いの方にはしばらくお待ちくださいと伝えて頂けますか?」


 セリーナの言葉をリチャードが了承するより前に、すばやくルーカスが口を挟む。


「ルーカス、何を――」

「お嬢様には先に、お怪我の手当てをなさって頂きませんと。手首と、左足を」

「……見たの?」

「いいえ。その素敵であろうお御足を目にするなどとても……。ですが、階段をお上りになる時、あきらかに左足を庇っておいででしたから」


 抗議しかけたセリーナを遮りあしらうと、ルーカスはわざとらしく慇懃に頭を下げた。

 可愛さ余って憎さ百倍とはこういうことかと、セリーナは初めて実感しつつ、ぷいっと顔をそらした。

 その間のやり取りを、リチャードは実に微笑ましそうに見ている。


「じゃあ、そういうことで」


 にこやかな表情のリチャードにそれだけ告げると、意地を張ったセリーナは左膝の痛みをこらえ、すたすたと歩いて屋敷に入り、自室に向かった。




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