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この地方にしては珍しく、小春日和が続いたある日の昼下がり。
セリーナは大掃除の休憩がてら、アフタヌーンティーを楽しんでいた。
アフタヌーンティーと言っても、薄い紅茶と自家栽培の栗で出来た甘露煮をふた粒。
それでも疲れた体には十分に休息を与えてくれる。
セリーナは深く息を吐くと、手に持ったティーカップに視線を落とした。
祖母の嫁入り道具だった繊細な白磁の茶器セットは、長年の家事労働で荒れた手にはひどく不釣り合いに見える。
なんだかいたたまれなくてカップから視線を逸らし、向かいに座るルーカスに目を向けた。
午後のこの時間は友人として、二人は一緒に過ごすことが習慣となっている。
「それで、ルーカスは誰がいいと思う?」
よく磨かれた古い樫材のテーブルにカップを置いたセリーナは、昨日届いたばかりの手紙――お婿さん候補がまとめられたリストに目を通すルーカスに問いかけた。
リストは数少ない同年代の友人、クロエにお願いして作ってもらったものである。
裕福な商人の娘であるクロエは顔が広いのだ。
「確かに……こちらに名前があるのは裕福な方ばかりです。ですが、どの方もお嬢様に相応しいとは思えません。由緒あるフィリプトン伯爵家の後継者であるお嬢様のお相手としては、ご身分がいささか――」
「身分なんて、くそくらえよ!」
ルーカスの返答をセリーナは勢いよく遮った。
「お父さまにも、お母さまにも、身分の高いお友達はたくさんいたわ! だけど、苦しんでいる時に誰も助けてくれなかった! それどころか、お葬式にだって誰ひとり来てくれなかったのよ!」
「……お嬢様のおっしゃることはもっともでございます。ですが――」
「それに、ダノシーのバカ息子とは絶対に結婚しないわ!」
「……は?」
セリーナがどんっとテーブルにこぶしを打ちつけたために、カップとソーサーが音を立てる。
突然の宣言にルーカスは驚いたものの、すぐに冷静さを取り戻すと、繊細なティーカップをワゴンへと下げた。
「そのお話は初耳ですね」
「当然よ、わたしだって知らなかったもの!」
湧き上がる怒りのままに、セリーナは色あせたダマスク織のソファから立ち上がり、家族用のこぢんまりとした居間の中をうろうろと歩き始めた。
「数日前、ダノシー男爵から手紙が届いたの。あそこのバカ息子とわたしの結婚を、お父さまと約束していたって。婚約誓文書を見せてって返事を出しても、三年前の災害の時に失くしたって。ありえないでしょ!? 別にお屋敷が風で飛んでいったわけじゃあるまいし。でもこの先、変な難癖をつけて強引に迫られても困るのよね」
「まさかとは思いますが、それが理由でご結婚を決意されたのですか? 誰にも相談なされずに?」
感心しないといった様子のルーカスから、セリーナはぷいっと顔をそむけ、また行ったり来たりを繰り返す。
「ダノシー男爵は王宮にすごく顔が利くって聞いたわ。だから……ううん、もちろん、それだけじゃないわよ。ルーカスだってわかっているでしょう? 我が家の財政状況がもう限界だって。このティーカップのセットだって、いつ手放さないといけなくなるか……。今年は幸いどうにかなったわ。でも来年は? もしまた災害が起こったら? あんなに大きなものじゃなくても、たった一回の嵐でおしまいよ。それに……あなたには全然お給金を払えていないわ。それどころか、満足に食事もさせてあげられない。リチャードだってナッツィだって、本当は引退してゆっくり過ごすべきなのに、未だに無理をさせているのよ……」
自分の不甲斐なさが情けなくて、足を止めてうつむいたセリーナに、ルーカスが歩み寄る。
「お嬢様、実は――」
彼が何か言いかけていることには気付かず、くるりと振り向いたセリーナは、同じように労働で荒れてしまった大きな両手を握りしめた。
「だから、ルーカスには色々と教えてほしいの。男性について」
「……は?」
「だって、お金持ちと結婚するにしても、やっぱり愛情も必要でしょう? 幸せな結婚生活を送りたいもの。だけど、わたしはあのダノシーのバカ息子以外、男性について全然知らないから。間違った選択をしないように、ね?」
「しかし、それは……」
ためらうルーカスにかまわず、セリーナはさらに続ける。
「あとね、どうすれば男性に好かれるかも教えてね。これでもわたし、覚えは良い方だから大丈夫。男性を喜ばせるこつをちょっと教えてくれれば、あとは自分でどうにか出来ると思うの」
そこまでひと息に告げて、返事を待つ。が、何も返ってこない。
どうしたのかと顔を上げたセリーナは目を見開いた。
普段、感情の起伏をあまり見せないルーカスが、苦虫をかみつぶしたような顔をしていたのだ。
「……ひょっとして、わたしって女性としてまったく魅力がないとか? どうしようもない?」
無理難題を押し付けてしまったのかと焦り、その事実にセリーナはショックを受けて青ざめた。
フィリプトン家の特徴である澄んだ空のような蒼色の瞳に、母譲りの淡い金色の髪を真っ直ぐ腰まで伸ばした姿は、それなりに魅力があると思っていた。
しかし、大きな勘違いだったようだ。
王宮で仕えていたこともあるルーカスからすれば、田舎暮らしのセリーナは、まったくもって論外なのだろう。
そこでさらに気付く。前からの悩みであったことも問題なのかもしれない。
「……クロエから聞いたけど、王都では今、胸元を大胆に見せるドレスが流行ってるんですって。それで、寄せて上げる技術も発達してきているらしいから、わたしも頑張れば――」
「お嬢様」
冷たい声で呼びかけられて、セリーナはびくりとした。
ルーカスはいつも厳しくはあるが、冷たいと感じたことは今までなかった。そして怖いとも。
思わず握っていた大きな手を放しかけて、今度は逆に握りしめられてしまう。
驚いたセリーナが逸らしていた視線を戻すと、優しく細められた碧色の瞳とぶつかった。
濃い栗色の髪に、目鼻立ちのはっきりしたルーカスは、とても格好良い。
そのせいか、胸がどきどきして、頬が熱くなる。
「是非、お任せ下さい。私が責任をもって、来年の春までにお嬢様を素晴らしい花嫁にしてさしあげます」
「……来年の春?」
「はい。種蒔き前に、心配事はなくしておきたいでしょう? 私もできるだけ早く、お嬢様の花嫁姿を見たいですから」
自分で言い出したものの、ルーカスの言葉になぜか胸がちくりと痛んだ。
だがすぐに、これはきっと予想以上に急な展開に混乱しているだけだろうと笑顔を作る。
「ありがとう、ルーカス。それじゃあ、さっそくクロエに出席すると返事を書くわ」
「……今のお話と、クロエ嬢の誕生パーティーと、どう関係があるのですか?」
「だって、今度の誕生パーティーは、いわゆる婚活パーティーになるから」
「婚活パーティー?」
とたんに、ルーカスの顔がまた険しくなる。セリーナは弁解するように、慌てて説明を始めた。
「十八歳になるクロエの誕生パーティーは、成人祝いも兼ねているでしょ? だからとても盛大にするそうよ。それで、たくさんのお婿さん候補も招いたんですって。そのリストに載っている方はほとんど。だけど、クロエも彼女のご両親も本命は爵位を持った方だから、わたしとは争う必要がないわけ。それどころか、わたしの結婚式に期待してくれているのよ。我が家はお金はないけど、爵位だけは立派ですからね。王都でどこかのお屋敷を借りてパーティーを開けば、きっと公爵だって来てくださるわ」
これはある種の取引だ。
体面を重んじて、うわべだけ取り繕う人間関係よりも、損得勘定で付き合う方がずっといい。
その上、クロエは裏表のない性格だから本音で付き合える。
父親のミリンガム氏もとても親切で、フィリプトン館の調度品を買い取る時はいつも出来る限り高く引き取ってくれる。伯爵家に伝わる品々は、とある上客の好みにぴったりと合うらしいのだ。
ミリンガム一家がいなければ、セリーナは両親が亡くなってからの二年間を切り抜けられなかっただろう。
そして、ルーカスがいなければ。
「一週間ほどの滞在になると思うけど、もちろんルーカスも付いて来てくれるわよね? どの人が良いか悪いか、実際に会って教えてほしいの」
「かしこまりました。ただし、ひとつだけ条件がございます」
「……条件?」
何を言われるのかと、セリーナはかすかに怯んだが、ルーカスは静かに続けた。
「これからは、ダノシー男爵からの手紙を含め、その〝婚活〟とやらに関わる事柄は全て、包み隠さずお教え下さい」
「全て?」
「さようでございます。情報が多ければ多いほど、事は有利に運べますから」
「ああ、なるほどね……。ええ、わかったわ」
大した条件ではなく、セリーナがほっとして了承すると、ルーカスは満足げに微笑んだ。