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18

 

 正門を抜け小川を越えると、村までは比較的平坦な道が続く。

 しかし、霜が降りはじめる晩秋は、日中の太陽に温められて地表に水たまりができるため、所々スカートをたくし上げて歩かなければならない。


 セリーナは右手にカゴを、左手にスカートを持ち、水たまりをぴょんぴょん飛び越えて進んだ。

 冬になれば霜柱が消えることなく、その上を踏みしめるのがセリーナは大好きだった。

 ぱりぱりと小気味好い音を聞くと嬉しくなるのだ。

 幼い頃は時間を忘れて踏み続け、足の指先が霜焼けになってしまい、痛痒い思いをして後悔したこともあるのだが。


 必要以上に飛び跳ねていたセリーナは、村の入り口に着いた時には息を切らしていた。

 そこでゆっくりと深呼吸をしながら、右に行こうか、真っ直ぐに進もうかと考える。

 右に行けば若夫婦の家だが、真っ直ぐに進めば村で一件だけの宿屋を兼ねた食堂があるのだ。

 村の中央に位置するその食堂は、村人たちの憩いの場となっており、情報交換も盛んに行われている。

 道中に出会うこともなかったルーカスはきっとそこにいるはずだと、大した根拠もなく考えて、セリーナは先に食堂へ向かった。

 もし彼の用事がすんでいれば、一緒に若夫婦の家へ行けるだろう。

 そして屋敷へ戻る道すがら、それとなく気持ちを確かめればいい。


(うん、完ぺき!) 


 急な思い付きの行動だったが、上手くいきそうだとセリーナは満足していた。

 頭の中でルーカスに伝える言葉を繰り返し、口に出していることには気付かず歩く。

 やがて食堂に着いた彼女は先に隣接されている小さな馬屋に寄り、繋がれているトリスタンを優しく撫でてから、換気用に小さく開けられた窓から何気なく中をのぞいた。

 まだ昼過ぎではあったが、店はなかなか繁盛しているようだ。


 店内の一角には行商人らしき壮年の男性とその息子らしき若者が二人、遅めの食事をとっており、また別のテーブルでは旅装に身を包んだ男たちが二組、食事のあとの休息についているようだった。

 そしてカウンターから一番遠い席に、ルーカスは座っていた。

 嬉しさにセリーナの顔が思わずほころぶ。

 しかし、何かを話し込んでいる様子の彼の表情は険しい。

 不審に思った彼女は、いったい誰と話しているのだろうと、改めて相手を見た。


 同席しているのは三人。

 みんな体格が良く、ルーカスと同年代か、それより少々年上のようで村では見かけない顔である。

 そこで、一年ほど前に村のはずれの空き家に、働き盛りの男たちが三人で住み始めたという噂を思い出した。

 はじめは何かよからぬことを企む流れ者ではないかと警戒していた村人も、礼儀正しく真面目に働く三人――兄弟なのだそうだが、その彼らに対して次第に打ち解けていった。

 それどころか力仕事などを率先して引き受けてくれるらしく、今では重宝されているそうだ。


 もちろん、噂を聞いた当初はセリーナも心配したが、彼らのことを詳しく知るために村まで足を運んだジャックが、まず問題ないだろうと報告してくれたので安堵したのだった。

 食堂の店主も三人のことを気にしている様子はないことから、おそらくその三兄弟なのだろう。だとすれば、ルーカスは何か力仕事を三人に頼んでいるのかもしれない。


 そう思い当たるとほっとして、セリーナは一度彼らに挨拶しておこうと、食堂の入口へ向かいかけた。――が、すぐに足を止める。

 見知らぬ若い女性が彼らの席に近付いたのだ。

 どうやら給仕係らしく、彼女がグラスにワインを注ぎ足すと、ルーカスが優しく微笑んで声をかけた。

 途端に女性の顔が赤くなる。

 さらにルーカスが何か言うと、女性は満面の笑みを浮かべ、空いている方の手でテーブルに置かれていた彼の手を握った。

 三兄弟たち――一人は背を向けていて顔が見えないが、彼らが軽くはやし立てる。


 セリーナはまるで足に根が生えたようにそこから動けなかった。

 ただ呆然と彼らを見つめていると、信じられないことに、女性が歓声をあげてルーカスの頬にキスをした。

 ひときわ大きくなったはやし立てる声の中、セリーナはようやくその場から逃げるように走り出した。

 心配しているのか、いななくトリスタンの鳴き声を背に受けながら馬屋を通り抜け、裏に回りひたすら走る。

 ぐちゃぐちゃの頭の中に渦巻くたくさんの疑問。

 あの人たちと何を話していたの? あの女性は誰? 今までもずっと会っていたの? それで村に通っていたの?

 前もろくに見ずに走り続けていたセリーナは、張り出した木の根につまずいた。


「あっ!」


 体勢を立て直そうとしたが遅かった。

 転んでしまったセリーナの持っていたカゴから、お祝いの品が湿った地面に散らばる。

 自分のことは後回しに、慌てて品物を拾い集めて確認すると、どの食べ物も損傷はないようだった。

 ナッツィ夫人がどれも丁寧に包んでくれたお陰だ。


 セリーナはほっとして、産着を包んだ風呂敷についた土を払い落し、蜂蜜を詰めた瓶の泥をスカートで拭い取った。

 それでも少し汚れてしまったが、カゴに詰め直すと立ち上がり、今度は自分の衣服についた土や泥を払う。

 乱れた髪の毛を整えて、他におかしなところがないか点検しようと体をひねったその時、ずきりと足に痛みが走った。

 そろそろとスカートを持ち上げて見てみると、左膝に大きな擦り傷が出来ていた。

 しかし、ここではどうしようもないので、なかったことにして歩き出す。

 膝はひりひりするし、右の手首もなんだか痛む。だが、誰にも見られなかったことは幸いだった。

 もう転ぶことのないようにとゆっくり歩きながら、セリーナは先ほどのことを冷静に考えた。


 あの女性はきっと店主の娘さんだろう。確かセリーナより一つ年上のサラと言う子がいたはずだ。

 くるくる巻き毛が可愛くて、笑うと出来るえくぼが印象的な女の子だった。それが今では、大人の女性としての魅力にあふれている。

 セリーナの口から知らずため息が漏れ出た。


 見下ろせば、ルーカスと初めて会った頃と何も変わらない、少しも成長していない姿がある。

 盛り上がりの乏しい胸に、ぺったりした髪の毛。

 残念ながら、筋肉だけはついたような気がする。

 食堂に着く前までは完ぺきだと思っていた計画が、急に色あせていく。

 すっかり気落ちしてしまったセリーナは、それでも若夫婦の家を前にして、真っ直ぐに背筋を伸ばした。

 戸口を軽くノックして、笑みを顔に張り付ける。

 応対に姿を現した若妻に中へと招き入れられ、お祝いの言葉と品物を贈り、短い時を若夫婦の家で過ごした。




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